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【自己紹介】私は、ドイツでの修士留学を目指するASD当事者です。


初めまして。ヒカリノハナサクです。私のnoteをお読みいただきありがとうございます。このページでは簡単に私の自己紹介をします。


プロフィール

ペンネーム:ヒカリノハナサク
所属:都内にある有名私大(政治学科4年)
趣味:読書、音楽、洋裁
好きな食べ物:お寿司
そのほか:Aロマンティック・Aセクシュアル(恋愛や性交を必要としない性的指向)、自閉スペクトラム症(ASD)の当事者
目標:ドイツでの修士号取得

学んでいること

大学では政治学を専攻しています。中学時代に欧州難民危機のニュースを見て衝撃を受け、ヨーロッパの政治や、「差別」と「政治」の関係について関心を持ったからです。

でも、実際に大学に入り様々な学問をつまみ食いする中で、本当に興味を惹かれたのは社会学でした。ジェンダー学や障害学、ナショナリズム論の授業で差別が起こるメカニズムや政治との繋がりを知り、「これだ!!」と思ったのです。

研究したいテーマ

ASDについて、社会学的なアプローチから研究したいです。近年、ニューロダイバーシティという考え方が徐々に広まっていますが、それだけでは不十分な側面があると思っているからです。医学書院のウェブサイトに掲載されたインタビュー記事によれば、ニューロダイバーシティとは、発達障害を

「脳や神経由来の特性が持つ多様性」が社会環境下で引き起こす困難

https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/3445_01

として捉えるパラダイムです。そのベースには、明らかに障害の社会モデルがあります。

障害の社会モデルでは、障害は医学的に定義される個人の身体的特徴それ自体ではなく、個人と社会環境との相互作用によって生じる社会的不利であると考える。

篠宮紗和子. "学習障害 (LD) はいかにして 「中枢神経系の機能障害」 となったか: 障害の原因論選択の議論における生物医学モデルと障害の社会モデルのせめぎあい." 教育社会学研究 104 (2019): 193-214.

そう、発達障害は社会環境との相関で引き起こされることが、薄々わかっているのです。にもかかわらず、この「社会環境」が何を指しているのかが明確ではありません。だから、社会をどう変えるべきかがわからず、結局医療や福祉、当事者の個人的対処に囲い込まれています。

横道さんは『みんな水の中』で,発達障害者の生きづらさを軽減するための重要な支援ネットワークとして,①病院やクリニックなどの医療サービス,②行政と民間の福祉サービス,③自助グループ活動,④文学と芸術の利用を挙げていますね

https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2021/3445_01

私はここに風穴を開けたいんです。フェミニズムには「個人的なことは政治的なことである」というよく知られた言葉がありますが、これは発達障害にも当てはまることだと思っています。

子育て情報に関するいろんなメディアに載せられている、「子供は何歳までに〇〇ができる」という規範。そこから外れる子供は当然いるはずですが、その時に親が「その子のペースで発達すればいい」と開き直るのではなく、焦って子供に厳しくしてしまうのはなぜなのでしょうか。

私はその背景に、近代国民国家特有の政治力学があるのではないかと考えました。国家は、秩序を作り出し、国民を国力の増強に向かわせるため、さまざまな手を講じます。兵士や労働力となる子供を産ませるために、異性同士の性愛を他のさまざまな愛の形よりも優位においてみたり。

国家によるそうした介入の一つが、「コミュニケーション手段の統一」「さまざまな場面でどう振る舞うべきかを、暗黙知として刷り込む」ということであり、そのための手段が公教育なのではないかと仮説を立てました。

そして、国家が決めたコミュニケーション手段や行動様式にうまく乗らない人を排除する仕組みが「発達障害」なのではないか。公教育が子供たちを年齢により一括りにして扱う都合上、就学年齢までにある発達段階に達していなければ困るから、子供達の発達を管理する圧力が働くのではないか。

このように考えてみると、「発達障害」の子供たちというのは、国民国家の都合で排除や抑圧を受け、さまざまな能力を培う機会を奪われた子供達なのではないかと思ってしまうんです。この発想の中で、システムの中で多数派が「発達障害」の子供たちに押し付ける差別を問題化していきたいのです。

また、このようにして、発達障害という切り口から能力というものの社会構築性を見た時、能力による資源の配分は本当に公正なのか、という政治思想上すごく重要な論点に行き着く気がします。

※まだ文献の読み込みなどをできていないので論理はガバガバです(^_^;)
あくまでもこんなテーマに関心があります、という話です。

私とドイツ語

そんな私は、大学では第二外国語としてドイツ語を選択しました。元々語学が好きだったことに加えて、発音がカッコよくて子供の頃から憧れていたドイツ語を学べて、本当に楽しかったです。ASD由来の、興味あることにのめり込む性質も相まって、つい力が入りました。

それで、3年次の夏休みに、ハイデルベルクという街へ語学留学に行きました。生まれて初めて日本を飛び出したこの経験は、私の人生を劇的に変えました。「空気を読め」という圧力を感じない環境の生きやすさに驚いたんです。友人もたくさんできました。

だからこそ、たったの一ヶ月しかドイツに滞在できないことがとても寂しかったです。帰国してすぐに、「いつかまた必ずドイツに来よう、今度は長期で」と思いました。帰国後の大学のドイツ語の授業にも、より一層熱が入りました。

修士留学を目指すわけ

ドイツから帰国した後すぐに、修士留学の計画書を書き始めました。とはいえ、当時は研究したいことも決まっていなくて、またドイツに行きたいという気持ちだけでした。だから、就活の忙しさの中で、いつしか忘れていました。

それを思い出したのは、4年次春学期の、上級者向けのドイツ語の授業です。これを書いている日からすると、一ヶ月前です。自己紹介で、「いつかドイツへ修士留学に行けたらいいと思ってます」的なことを言いました。そういえば、私はドイツに行きたかったんだ。そう思いだすきっかけになりました。

そして、「エスニシティ・ナショナリズム論」という授業で国民国家について学んだことで、上に長々と書いた、政治と発達障害の関係を思いつきました。ずっと「障害の社会モデル」とASDの関係についてあれこれと思索を迷走させていた私でしたが、すごく重要なインスピレーションを得られた気がします。

そしてある時、「この得られたインスピレーションを、ドイツ留学中に研究してみたら面白いのではないか」と思いつきました。どう実現していくか考えるのはこれからです。

でも就活をする

とはいえ、私は多分、卒業後数年は働きます。親からは流石にそんなお金は出せないと言われてしまったので、留学資金は自分で貯めなければいけません。そして、その間に語学力を準備し、関連分野の書籍を読み込み、師事したい教授を見つけなければなりません。

そんな私がnoteを始めたのは、留学の情報収集のためです。Wordで留学計画書や文献リストを作ってみたら、膨大なページ数になる気配がしました。

そこで、調べた情報や準備の過程をnoteに集約することにしました。人の目に触れるようにしておけば、ドイツで修士号を取りたい誰かの役に立てるかもしれませんし。

どうぞよろしくお願いします。
 





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