なぜ私は宗教にはまってしまったのか②【JW】
前回のつづきです。
今日は、
②集会
の部分を解説します。
聖書レッスンがある程度進むと、
レッスンをしている信者から
「集会に来てみないか」
と誘われます。
実は、①聖書レッスンと②集会は
必ずしも①→②の順番ではなく、
集会に時々参加している人が、
何らかの心境や状況の変化によって
聖書レッスンをスタートするという
ケースもけっこうあったりします。
特に、家族が信者で、
「まあ、たまに顔出すくらいならいいか」
ということで、
年に数回程度集会に参加するご家族の方は
こういうルートを辿ることがよくあります。
さて、
この集会で何が行われるかというと
怪しい黒魔術の儀式が行われる
なんてことは全くなく、
歌を歌って、
祈りを捧げ、
聖書に基づく話を聞く。
という
至極まっとうなキリスト教徒たちの集まりです。
話を聞くだけではなく、
自分が思ったことや考えたことを発表する
(これをjw用語で「注解する(現在はコメントする)」といいます)
機会も用意されています。
これだけ聞くと、
一体どこに問題があるのかと思われることと思います。
ここで問題なのは、
学んでいるまさにその「内容」です。
誤解を恐れずに言えば、
毎週の集会で彼らが学んでいるのは、
「聖書」ではなく「教義」である。
ということです。
集会に行くことで人々の”信仰”は強化されます。
自分と同じことを信じている人たちがこれだけいる
と安心感を抱くことができるからです。
人間は社会的な生き物であり、
その性質上、
どこかの集団に属していたいという思いがあるのは当然です。
教団が作成しているVTRには、
・学校でいじめられた子どもの信者が
・職場で失敗して怒られたお父さん信者が
・戸別伝道できつく断られた女性信者が
集会に来て、仲間たちに迎えられることで
笑顔を取り戻すというシーンが描かれています。
集会で仲間たちに会うことで
自分の帰るべき場所はここにある
と
教団への信頼を強めていきます。
そして、
この組織は世の中の企業や政府などの
人間が作ったものではなく
神が導いている組織であるとの自負から
・自分たちは正しいことをしている。神から是認されている
との認識をもつことにより、
ますますその依存度を深めていく仕組みになっています。
また、先述したように
集会では個々の信者にコメントする機会が
設けられているのですが、
これがいわば組織への信仰を補強する働きをしています。
この集会中になされるコメントには、
ネガティブな発言は一切出てきません。
もちろん、
してはいけないという決まりはないのですが、
暗黙の了解として
・神や教団を賛美するコメント
・聖書と教団の教義を結びつけて、教団の教えを正当化するコメント
・世の中で教えられていることがいかに神から見て、間違っているかを指摘するコメント
などしか、してはならないような雰囲気があります。
(自分の所属する組織の批判を堂々とみんなの前で言える人などいないですから。)
そして、このコメント。
もちろんしてもしなくてもどちらでもいいのですが、
することを推奨されています。
なぜなら、
コメント=神への賛美
という価値観があるからです。
つまり、
集会でコメントをする
=神を賛美する
=教団を肯定する宣言をする
を週2回繰り返すわけです。
どうですか?
すこぶる信仰が強化されると思いませんか。
なので、
もしも、
自分はエホバの証人を辞めたいんだ。
と思う人は
まず、
コメントする頻度を減らすことをお勧めします。
思っている以上に、
自分で宣言したことって
自分に強制力がはたらきます。
自分で教団を賛美するコメントをすれば、
当然ながら、そこから離れにくくなります。
言っていることと
やっていることが乖離しているからです。
なので、まずは
コメントする頻度を落とす。
しかし、
一気にしなくなると
周りの人にバレて、
心配されますので、
徐々に。
毎日2〜3回していたのであれば、
1〜2回に。
そして、その内容も
極力自分の思っていることと違うようなことは言わない。
もし、あなたが教団は信じていないが、
神や聖書については信じているというのであれば、
あえて、
聖書そのものに関わるコメントをしてみることをお勧めします。
jwの信者の多くは、聖書よりも
教団が発行した出版物を読み漁る傾向にあり、
あなたが聖書についてコメントをすると、
怪しまれず
むしろ
きちんと聖書を読んでいる信仰心の篤い人
と見られます。
よろしければお試しください。
さて、こうして
聖書レッスンを始めて、
集会に行き始めると、
なかなか辞めるのが難しくなっていきます。
確実に
自分の中のこれまでの価値観が変化していきます。
人間は環境によって容易に変わってしまうため
定期的に、
継続的に、
繰り返していくうちに
違和感を抱いていたことも
だんだん気にならなくなってきます。
集会ではいつも信者が優しく歓迎してくれます。
こうして、信者への道を突き進んでいくことになります。
そして、しばらくすると
第三の段階が訪れます。
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