雑多に日記#202309
大遅刻ですわ! 1ヶ月かけてちまちま書いていたが、遅れたからといってボツにするほどの信念もないので記事を上げておきます。
pop'n music 25th Anniversary!
おめでとう〜〜!!!!すごい!!!!!えらい!!!!!!!
色んなゲームの四半世紀を祝ってきましたが四半世紀って言うと途端に凄く聞こえる。時間感覚が年々早まっていくにつれ、5周年単位ですら大々的に祝う暇とかあるか? と思ってしまうのですが、誕生日を祝うのは楽しいし、祝われている様を見るのは素直に嬉しいですよね。
20thから25thの5年間は、私がポップンを知り、楽しみ、上達していった5年でもありました。以前の記事にもあるようにその腕前は頭打ち寸前で、他機種との時間というパイの取り合いも激化しています。あと「ゲームを周回する」体力自体が落ちている気がしていたり……。
音ゲーから“飽き”て離れるとか、まだ考えられないけれど、可能性はゼロじゃない。だからずっと好きでいるために、何となく「色んな遊び方」を模索していく時期なのかなと思います。例としてはノスタルジアでリサイタルモードに手を出したりしたように、オジャマを使って遊んだり?
TRUTH behind U が ギタドラに来た
ありがとう……ありがとう……ありがとう……!! 今回の日記感情になってばっかだな。
『TRUTH behind U / Zutt』。
私がポップンを初めて間もなく、リアルタイムで解禁できた「始めた頃に気になっていたコンポーザーの新曲」というファーストパンチにして、ノスタルジアとポップンの友情の証、そしてMarLさんの代表曲と言って差し支えない、慟哭と希望が込められた1曲。
それが来た。GITADORAに来た。
結果的にポップン、ノスタルジア、ギタドラにのみ収録された『世界の果てに約束の凱歌を / Zutt feat. NU-KO』と同じ収録機種になったTRUTH behind Uに、カマしに行きました…五体投地をよ…!!
ギター/ベース/ドラム がそれぞれ強調された音源、それがもう新規音源と言って差し支えないほどに色んな一面を見せてくれて、凄く良かった。最高でした!!!
タイムラインでGITADORAにいるMarLさんボーカルの隠れた名曲『Sweet feelin'』の話になってクダを巻いてしまったり、丁度PREMIUM ENCORE STAGE(シーズンごとに出てくるボス曲みたいなやつ)がZuttの片割れPONさんの爽やか青空プログレインスト『AVEL』だったりして、そういった周辺含めて楽しいトピックでした。
音ゲーの話は以上!以下はそれ以外の近況です。
一人旅した
生まれて初めて「1人で」「(東京以外の)他県へ」「自分の金を浪費して」「目的なく(旅自体を目的に)」旅をしました。日帰りですけど、泊まりとかもっと遠出とかしてもやって行けそうな雰囲気を確かめる、予行演習になったかなと。
詳しい話が聞きたかったら私のPrivatter探してフォローしておいてください。100%プライベート話、まだ全体公開に躊躇があるので(なので知らない人は弾きます なんでフォローしてねとか言ってるんですか?)
「OU」の世界を巡る
実は私は、定期購読をしてるぐらいにはニンテンドードリーム(以下、ニンドリ)を愛読しています。
その割にはヘビーゲーマーでは無いのですが、そこはそれ。昔からゲームカタログや製作者インタビューを楽しく読んでたタイプなのが、今でも続いている様なものです。
なのでニンドリでずっと特集されてきた「OU」のことは、発売されたらすぐプレーしよう、とずっと思っていました。
ジャンルはピクチャレスク・アドベンチャー。プレイヤーはセリフとテキストを読みながら、物語のページを捲るが如く主人公「OU」を前に進ませていきます。
素朴なスケッチを思わせる画面作りの中、流麗に動くキャラクターには眼を奪われ、ノスタルジーを誘うアコースティックギターのBGMが耳に残ります。
ゲームではあるけれど、ゲーム性は少ないです。
干渉可能なオブジェクトへの選択肢は「するか・しないか」の二択であり「した」ことの影響は物語全体に波及します。
一方でOUが自由に行動できる要素のひとつ「ふせんを貼る」こと(と、ふせんの種類の収集)は、物語そのものには影響を与えません。単にフレーバーテキストが増え、世界を知れること以外に効力を持たないのです。
ゲーム性は少なくても、これはゲームでなくてはならない。それはOUの舞台、ウクロニアにも言えること。
マルチエンディング式のこのゲームで、1つの結末に辿り着いては、はじめからページをめくり直す……この流れを繰り返していくうちに、ウクロニアという舞台の脆さ、あるいは懐の広さを知る。そうして「なぜゲームなのか」という問いと同じ地平で、「なぜウクロニアなのか」という問いが生まれるのです。
けれど。自分の操作、OUの行動。それが“無”意味であったとしても、行動を取った理由も、取ることで得た思考や変化に、価値はある筈。
この物語は、そんなだれかとなにかのあいだに生まれるものの “価値” を肯定する物語と受け取っています。
肯定というほど讃歌的では無かったかもしれませんが、ゲームと同様、ウクロニアと同様、このテーマもまたあらゆる選択と解釈を受け止めてくれて……それじゃあまるで故郷のようですよね。
自分の活動と産物に、自信がなくなった時にふと帰りたくなる、素敵な作品を見せてもらいました。
なのでその、サントラ欲しいなあ…東京ゲーム音楽ショーにまた出店してくれると嬉しいのだけどな…。
今月(先月ですが)はここまで。お読みいただきありがとうございました!