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ガタゴトと、ゆれる心は。

ガタゴトと ゆれる心は なにゆえか
      電車のせいか あなたのせいか

 高校時代は修学旅行の夕刻であったか、一日中歩き回り蓄まった疲れと、昨晩の無理で憔悴した友人を横目にホテルの最寄り駅まで一直線の電車の中。


 長旅を終えた足に四半刻の直立はこたえるもので、友人は乗車した途端に眠りにつくか、起きていても目は死んでいるかであって、無論会話に花が咲くなんてことはない。

 若いから立っていられるだろうと言う周りからの期待も、私には到底重い荷物も、それなりに混んだ電車の中で足下に置くのは迷惑になるからと背負っていた。今思えば異国の地への少なからずの恐怖心であったのだろう。


ドアが開き、また人が増えた。真冬の奈良でここだけが蒸し暑い。
電車の振動は足に響き、アナウンスは鳴り響く。

「ヤマトヤギー、ヤマトヤギー」

乗車してきた君は、不快な30分に花を咲かす。


 その時私は、地につく足でもつり革を持つ手でもなく、耳から聞こえてくるその声によって立たされているのではないかと思えた。「浮き足立つ」とはまさにこのことだろうか。

 時折、「男はバカ」という台詞を聞く。これは正にその典型であると自負する程だが、それでもその時の私の(いや、当の本人のと言うべきであろうか。)心が踊っていると言う感覚は偽りではなかった。


少し高めの声で周りの友人よりゆっくりと話すその方言は、心地良い。
一目惚れ。いや、一耳惚れである。

するとどうしても顔が見たくなるもので、そちらを向いてしまう。

彼女にとって普段となんら変わらぬ帰り道、私にとって人生でまたと無いであろう二度と通ることのない道、時間。


なぜあのとき声をかけることができなかったのかと、今でも思うことがある。

心だけでなく5年後のnoteまで奪われるとは、馬鹿だな。奈良だけに。


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としょかん
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