読み易いTwitter、読み辛い本。冷凍食品
自分の手で人に読ませる文章を、レポートの様なフォーマットが決まったものではなく「書く」という行為をするようになり、書く時間よりも読む時間の方が増えた。正確には読み易いとは、面白いとはどういうことなのかを考えるようになった。Twitterはなぜ読み易く、書籍は読み辛いという人が多いのか。
こんにちは、こんばんは、知ってくださっている方も知らない方も。目を通していただきありがとうございます。さらさらっと1時間くらいで書くことを目標に。
違いを図にしてみた。
なんかすごく恣意的なものが出来上がったが別にどっちが好きだとかはない。どっちも好きだし、どっちも嫌いだ。Twitterは見始めたらキリがないし、書籍関連にかけた金額は月毎2万円に登る。しんどひ...
Twitterは少ない文字数にどれだけ意味を乗せられるかの勝負だと思っている。少ないからこそ価値が出るし、短かすぎて伝わらないこともある(細かすぎて伝わらないはめちゃめちゃ好き)。Twitterの特徴を失い難しい言葉を使い議論をする人がいるが、それが成立するのはそれまでその人のTweetをみていて「文脈」を持っているからである。ここでいう文脈とはその発信者がこれまでどのように考えていたか、そして前提となる知識を持っているか。である。
対して書籍は書きたい内容をじっくりコトコト煮込めるのである、素晴らしきかな。更には難しい内容や言葉遣いにもそれに見合った読者がいる。読者のレベル(知識量、言語能力)が上がることにより、則ち文脈を持っていれば書ける幅も広がり、より質の高い文章が出来上がる。
では同じように文脈を持っているのに何故違いが出るのか。書籍の読者は得てして特定分野の本ばかり読んでいるわけではなく、知見が広いことが多いからである。
そもそも読み易い読み辛いってなんだ。
人による。これに尽きる。Twitterでも表現力が低い人の文章はとてつもなく読み辛いし、読み易い本もある。しかし根本的な文章量が違う。では何故書籍に価値があると考えるか、それは淘汰された美しい文章は自身の国語力を向上させる(気がする)からである。
書き出しで、noteを書くようになったら書く量より読む量が増えたという話を覚えているだろうか、当然覚えていないだろう。何故なら驚くべきほどさらっと書いたからだ。読み易い文章というのはさらっと終わってしまう、正直面白くない。
そう、私の文章がさらっと読めない時は、面白いか、絶望的に読み辛いか、どちらかだ。
冷凍食品?
Twitterって何か冷凍食品に似てないだろうか。私もよく食べるし、美味しい。手軽で簡単美味しい冷凍食品はプロの味とまではいかないが見せかけの美味しさは演じられるし、そこらへんのまずい料理屋よりよっぽどうまい。手軽な料理はよく食べることになるけれど、時には手の込んだ料理を食べて欲しい。いや、料理の話じゃない。そうだった。だがこれだけは言わせて欲しい。
「最近の冷凍食品は美味しい」
まとめ
読むのが簡単な文章はつまらない。簡単な文章ではなく面白い文章を読んで欲しいと少し思う。手の込んだ料理にはそれだけ味がある。私の家系は庶民派で、「貧乏舌」のせいで高級料理の美味しさがいまいちわからないこともある。そんなところだと思う。高級料理美味しく感じられるようになりたい。
それと同じように質の良い書籍も読んで欲しい。別に文豪、太宰治や谷崎潤一郎、遠藤周作から読めとは言わない。どうだろうここは、伊坂幸太郎から読んでみては?😼