歴史、お金好きは是非!無料の日本銀行貨幣博物館が楽しかった
ネット×マンガを考えるコミュニティ「ネットマンガラボ」(リンク)の影響で、にわかに経済やお金の歴史、特に経済やお金がどうやって歴史を動かしてきたかに関心を持っています。そんなとき同じラボのメンバーから誘われたのが、日本銀行貨幣博物館。
どんなにいても無料というオトクな施設にかかわらず、博物館員の方の熱意が伝わってくるすごくいい展示内容で、古代から現代までお金の歴史がまるっっと勉強できました。以下、展示のオススメポイントです。
<お金の流れ、日本と中国はきってもきれない縁>
展示のまずひとつの目玉は、富本銭から始まる、これまで日本国内で使われていた貨幣の展示です。日本で作ろうとしたり、金属製の貨幣から米や布に「戻った」り、中国から輸入したコインを流通させたり。そしてまた、統一政権ができると、貨幣を作ろうとしたり。今の「金属製の貨幣と紙のお札」という形が固まったのは、日本史から見るとすごく最近のように感じました。とすると、今後また変遷があってもおかしくない?
そして展示で実感したのは、お金の流れでは日本と中国はきってもきれない縁があるということ。富が日中の間を往き来しているというだけではなく、「貨幣」の形とかが中国から入ってきて、明や宋の時代には、当時の中国で使われていた貨幣がそのまま日本で流通することに。特に北宋は貨幣の「輸出」に積極的だったとのこと。これは当時の北宋で紙幣が「発明」されたことと無縁ではなさそうです。
<お金の裏にテクノロジーあり>
博物館には現代の貨幣も展示されていました。すかしや特殊インクの利用、隠し文字の印刷と貨幣や紙幣は先端技術の固まりです。
それはお金の歴史でも同じ。丸い銭に文字を彫るのは当時の最新技術だし、戦国時代以降、金貨・銀貨・銅貨が流通したのは鉱山開発の技術が進んだから。そして掘り出した金属を貨幣に加工できたのは、当時武器の加工にかかわっていた彫刻家がいたからです。
※展示にもあった、江戸時代に金貨の彫刻にかかわった後藤家がすごく気になります。今も子孫はいるのだろうか。
<織田信長はどんなオカネを作ったのだろうか>
ネットマンガラボのメンバー、アイタローさんもマンガで取り上げましたが、日本史で経済などを考えると織田信長は外せません。
でも、今回の展示を見て思ったのは「豊臣秀吉も徳川家康も小判を作ったのに、織田信長は独自の貨幣を造っていない」ということ。
戦国時代の日本は、各大名が独自の貨幣を発行していました。織田信長がやったのはそれぞれの貨幣の交換を認めたぐらい。結局、独自の貨幣は発行せずじまいでした。楽市楽座の制度をつくって、自分の軍旗の模様を貨幣にしていたぐらいなのに。
『陰謀の日本史』を読むと、決して織田信長は漫画や小説で書かれるほど合理的だったり開明的だったわけではないようですが、それでもこれだけ経済やお金に敏感だった大名の作った貨幣は見てみたい気がします。
<藩札がかわいい>
今回の展示でわくわくしたのは藩札の実物です。藩札というぐらいなので、出しているのは各藩かと思っていたら、高野山といった有力寺社や商人、公家も出していたとのこと。びっくりです。
そしてどれも凝ったデザイン。もちろんシンプルに数と発行元のみもありますが、それぞれのお国柄が出ています。例えばこんなの。色や形も多種多様。
なお、この「札」の発行は、明治時代まで続きます。西南戦争では、西郷隆盛側と政府側のそれぞれが独自の札を発行して戦争のための資金を調達しました。
戦国時代からの地続きですが、各大名、各藩ごとに貨幣が発行され、かつ江戸時代も西日本では銀が、東日本では金が通用していた状況は「ひとつの国で円ドルユーロが使われていたようなもの」とのこと。とすると、今これだけ各種ポイントや暗号資産が日本にあふれていることに違和感はなくなってきます。
なお展示内容は貨幣博物館のサイトで図録として公開されています。太っ腹。。。。。
おまけ
<お金の擬人化は江戸時代にも>
以上のような常設展に加えて、7月8日までは「おかねをめぐる物語」というテーマ展が併催されていました。いわゆる江戸時代の歌舞伎や黄表紙本にお金というテーマがどのように出てくるのか、というもの。お金の擬人化とか、お金にまつわる説話の絵物語とか、読み応えありました。これ、ぜひ現代版でやっていただきたいものです。
さらに、太宰治が『貨幣』という小説を書いていたことの紹介など文学作品にもお金にまつわる話は多そうです。
というわけで、貨幣博物館はマンガや創作のネタの宝庫でした。みなさん、行きましょう。