何故、雑貨屋を?
皆さんこんにちは、前回は会社を退職して開業する時の3つの条件についてお話ししました。
今回は「どうして雑貨屋を始めたか」についてお話をさせていただきます。
私が仙台市の中心部商店街のサンモール一番町にリブルマルシェを開業したのは、昭和62年2月8日、ムツミヤボタン店の2階に約8坪のお店を開業しました。
当時はまだ現在のように雑貨屋という概念が一般には浸透しておらず。仙台にも2~3店舗の全国チェーン店があるだけでした。
当初は知人に雑貨屋を開業したという話をすると、鍋・釜やほうきなどを扱っている、いわゆる金物屋さんというイメージで捉えられたものでした。
何故それまでの立場(一応、会社では部長職でした)を捨てて雑貨屋を始めたのか? 今でも時々聞かれることがあります。
もちろん経営的に成り立つかどうかが判断の基準ではありましたが、私自身が会社員時代からカフスやタイピンなどの小物に興味があり、良く集めていました。
そんな時、知人から教えてもらった”はらっぱA”という東京の代官山にあった雑貨店を見た時には、とてもわくわくする気持ちになったことを今でも鮮明に思い出します。その後、当時の代官山や原宿、渋谷界隈の雑貨店をくまなく見て回りました。
こんなお店を持ちたいという気持ちがとても強くなりました。
そんな時、後にリブルマルシェ開店時の柱の商品の一つになった食器・トィワイス(TWICE)の田中社長との出会いがあり、シンプルでやさしい雰囲気のあるトィワイスの食器を取り扱うお店として、フランス語で「自由な市場」という意味を持つ「リブルマルシェ」を開店しました。
好きなものに囲まれて、自分のお店を開店できたことは大変幸せなことでした。
私がリブルマルシェを開店したのは雑貨が好きだったことが原点だと思っています。
職業は選べます、強く希望して努力すれば、好きな職業につくことは大概かないます。・・・好きな女性はそうはいきませんが (笑)・・・
しかし、好きなだけでは続けていくことは容易くはありません。
20年ほど前、私は好きな木製の雑貨やインテリア小物をオリジナルで作成して全国の雑貨店に卸していたことがあります。
その時代は、雑貨店ブームで雨後の筍のように、全国に雑貨店ができていました。 私の会社も全国に200店舗ほどの卸先ができました。
皆さん、雑貨が好きで開業した方たちで、なかには自宅を改造して雑貨店を始めた方も沢山いらっしゃいました。そのような方たちとお話をしていると雑貨に対する熱い思いをとても感じさせられたものでした。
その後数年で、海外からの安価な木製品が出回ったこともあり、当社は木製の雑貨からは撤退しました。
その当時のお取引先のお店で、今も営業を続けているのは数店のみです。
それほど厳しいのが雑貨店の商売です。
好きなだけでは、始められても続けていくことは難しいという事です。
でも、好きなことが一番大事な事だとも思っています。だからこそ、今までどんな事があっても乗り越えてこれました。・・本当にいろいろありました・・
最近、採用面接で、面接に来た方から ”仮にサラリーマンをそのまま続けていた時と、今では、どちらが幸せだと思いますか?” という質問をいただきました。
正直、どちらが幸せだったかなんて判りません。
ただ言えることは、会社員を辞めたことには1ミリも後悔はありません。
人生1度きり思ったことにチャレンジ出来たことは間違いなく幸せでした。
アッ・・・それと妻に出会ったことも!!
誰もが、人生1度きり・・・レッツトライ! でも失敗もある(笑)
好きなものがある人生は、大切ですね。
*写真は開店当時のリブルマルシェの外観です。