商売嫌いの子供のころ
前回は出張販売のころのエピソードをお話しさせていただきました。
今となっては良い思いで話になりましたが、その時は本当に恥ずかしかったです。
今回はリブルマルシェのテーマでもあります「やさしさとぬくもりの生活雑貨店」の起源についてお話をさせていただきます。
冒頭の写真は3歳ごろの私と親父との写真です。親父は当時はハンサムで結構もてたみたいです。(私もその血を引きたかった・・・笑い)
実は写真の親父は生みの親ではないのです・・男だから当たり前ですが・・
私の生みの父親は写真の親父の弟、写真の親父は血縁上は伯父にあたるわけです。事情があって生まれて間もない私を引き取ってくれたわけです。
お酒と煙草が大好きな親父でした。
後になって、母親から聞かされたことがあります。
お前を引き取るかどうか親父と母が話合いをしたとき、親父は「酒も煙草もやめるから何とか文雄を引き取ることを承諾してほしい」と頭を下げて母に頼んだそうです。
結局私を引き取ることになったのですが、親父は1週間もしないうちに酒も煙草も復活したそうです。(私の酒好きと、いい加減さは親父譲りなのですね)
親父は若い時から自転車職人として修業を重ね、40歳近くになって自転車屋を開業したそうです。
腕の良い職人気質の親父でした。
親父は私を本当の子供のように育ててくれて、私も2つの事を除いては親父が大好きでした。
その2つとは
1つ目は、しょっちゅう酔っぱらう事、
私も小学校中学年頃になるとそのたびに親父が飲んでいる家に迎えに行ったり、介抱したり・・酔っぱらいは嫌だなぁ~と思っていました。・・・その私が今は酔っぱらいじじい・・・でも酔っぱらうと可愛い親父でもありました。
2つ目は、職人気質の親父はお店の営業が終わると、どんなことがあっても仕事をしない事でした。
当時は営業が終わってから、パンクやチェーンが切れたので直してほしい、だめならせめて工具を貸して欲しいというお客さんが良く自宅の方に尋ねてきました。(自宅の一部が店舗になっていました)
親父はどんな困った人が来ても頑として断り、工具をお貸しすることさえ許しませんでした。
ある夜の8時過ぎになって、女の方が本当に困って訪ねてきたことがありました、家に帰るのにどうしても自転車でないと1時間半以上かかるし夜道は怖いので何とかパンクを修理してほしいと懇願されました。母親や姉が見かねて「父さん、何とかしてあげたら・・」といっても頑として動きませんでした。
その女性の方はあきらめて自転車を引いて帰っていきました。母がその方に何度も頭を下げてお詫びしている姿が今でも焼き付いています。
小さい私でも、そんな状況を見るたびに心が痛みました。
商売というものはそのようなもの・・商売は嫌だなぁ~、そんな思いが小さい私の心の中に染みついていきました。
職人気質の親父には親父なりの商人として考えがあったのだと思いますが、私は大きくなっても商売だけはしないと思ったものでした。
大人になってもその考えは変わりませんでしたが、26歳の時に当時の会社の社長のお供である方にお会いしました。
公開経営指導というガラス張りの経営指導をしていた喜多村先生です。
喜多村先生は子供のころにお客さんの立場で、商人の嫌な一面を体験していました。その体験談をもとに、だからこそ商人の尊さを自覚していくことの大切さ、小売業としての社会的な責任や、お客様に与える幸福感を大事にしていこうという事を指導していました。・・・この紙面に言い表せない程いろいろなことを教えていただきました・・・
私は子供のころの体験が逆に強い反面教師になりました。
その時読んだ岡田徹先生の詩集の冒頭の言葉「商売とは人の心の美しさを出し尽くす業」は今でも私の小売業としてのバックボーンになっています。
(喜多村先生と岡田徹先生のお話はいづれ機会があったらお話しします。)
その時から、もしお店を営むようになったら、お客様にとって常に親切でありたい、またこのお店に来たくなるような温かさを大事にしたい。そう思うようになりました。
そして、リブルマルシェを開業する時に迷わず「やさしさとぬくもり」という言葉が浮かびました。
その意味するものはお客様に対しての事柄はもちろん、取り扱う商品、スタッフ同士の間での心構え、お客様に限らず全ての人や物事にやさしさやぬくもりをもって接してほしいという事です。それは人としての基本だとも思っています。
こんな思いを教えてくれたのは、今は親父だとも思っています。
そんな親父が私が小学校に入学する日の朝に撮ってくれた写真が次の1枚です。
当時カメラも持っていなかった親父がどうして撮ってくれたのかは、今となっては分かりませんが、その親父への感謝と尊敬を込めて、この写真を今後は私のアイコンにしていきたいと思います。