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ループライン#10
【坂ノ下駅】…………Kei Tateno (3)
サッカーコートから少し離れた場所に、観戦にピッタリの土手がある。芝生の上に腰を下ろし、茎は走り回る子ども達を見ていた。
――あー、眩しいな。
目を細める。投げ出した脚に軽く触れる。梅雨の晴れ間としては満点をあげたい、いい天気だ。
「茎くーん、草だらけになるわよー!」
思わずゴロリと寝転がったら、お母さん方が明るい笑い声を上げた。保護者の皆さんは当番制で飲み物の用意や子ども達の送り迎えをしているから、自分ともそれなりに顔馴染みなのだ。転がったまま大きく両手を振って『大丈夫』の合図。
そこに。
「皆さん仲がよろしいのですねえ」
死角から突然声が降ってきて、茎は腕を空に突き上げたまま固まった。すぐに我に返ってパッと身体を起こす。すると背後……土手の上側に、見覚えのある男性が立っていた。
――この間の、雨の来訪者、だ。
「ああすみません。邪魔するつもりはなかったのです。どうぞ気になさらず、お寛ぎください」
「あ、いえ……」
申し訳なさそうに言葉をかけられて、もう一度横になるかどうか少し迷う。が、ちょうどコート内の子ども達に、
「タティーノっ、何寝てんだよー!」
と叫ばれ注目を浴びてしまったこともあり、再び寝転がるのはやめておいた。
男性はペコリと頭を下げると茎から少し離れ、そこに持っていた大きな鞄を置いた。何となく様子を眺める。 鞄から出てきたのは小さな折り畳みの椅子。キャンプに使う感じの、簡易的なやつだ。それを何とかいい具合に置こうとしている――が、何しろ土手だ。場所が場所だけに安定しない。
「ううん……どうしたって斜めですねえ」
などと、さほど困ってはいなさそうなトーンの独り言が聞こえる。
「あの、よければレジャーシート使います?」
多分チームの誰かは持っているはずだ。お節介かとは思いつつ、茎はそっと提案してみた。
男性の格好は以前見た時とほとんど同じように見えた。けれどよくよく見れば、少しずつ違うアイテムであることが分かる。しかもそのどれもが、どことな~く高級感を醸し出しているように思えたのだ。革ベルトの擦り切れた腕時計さえも。
男性は茎の言葉にニコリと笑った。
「どうもありがとう。平気ですよ」
彼は言うが早いか、遠慮ではないと証明するように『どっこいしょー!』と座ってみせたので、茎は思わずパチクリしてしまった。
と、そこで自己紹介をまだしていなかったことに思い至る。
――誰かの家族や知り合いだったら、した方がいいんだろうけど……。
とりあえず訊いてみることにする。
「あの、あいつら――あっ、いえ、あの子達の誰かの……ご家族の方ですか?」
お父さんかお祖父さんかは、微妙なラインだ。
男性はパタパタと手を振って否定した。
「いいえ。たまたま通りかかったら賑やかな子ども達の声が聞こえましたので、元気を分けて貰おうと思いましてねえ。貴方もそうですかな?」
問いを返されて一瞬だけ言葉に詰まる。イエスでもあり、ノーでもあり。
「……まあ。僕、ここのチームのOBなんですよ」
視線をコートに戻す。あの頃の自分達の姿がオーバーラップするようだ。
白昼の夢。
「そうでしたか。……晴れてよかったですねえ」
「はい。あいつらもここ暫く外で遊べなくてパワー持て余してたみたいですから。最近梅雨本番って感じで、特に週末になると雨ってパターン多かったですもんね。今日は久しぶりに晴れてホッとしましたよ」
視界の端で男性は、会話をしながら小ぶりのスケッチブックを捲っていた。真っ白な紙が日差しを反射して光る。
「絵を描くためにお出掛けされたんですね」
「それもありますかねえ。下手の横好きですが」
ケースから鉛筆を取り出した男性は、けれどすぐに描き始めるでもなく、子ども達を見つめている。
謙遜してはいたけれど、アート関係の人なのだろうか。それならこの一風変わったファッションというか雰囲気も納得かもしれない。
「趣味があるって、いいことじゃないですか。『好きこそものの上手なれ』なんて言いますし……って、年長の方に向かって生意気でしたかね」
つるりと言葉が滑り出てしまい、茎は内心少し焦った。
男性はいいえ、と口元を緩め、そして二、三度頷いた。
「お若いのに分かっていらっしゃる。私の周囲の者にも是非見習って欲しいものです」
実に物憂げだ。何かあったんだろうか。初対面だし深く追求するのも憚られて、茎は黙っていた。暫しの沈黙。
「……ここは、いい街ですねえ」
再び男性が口を開いたのは、ちょうど審判のホイッスルが鳴り響き、試合が止まったタイミングだった。
子猫を愛でるかのような柔らかい声音。
思わず、身体ごと彼の方を向いた。
「近くに住んでる訳では……なさそうです、ね?」
スケッチブックに何やら線を走らせながら、彼は茎の問いに答えた。
「ええ。ですが私はこの街が好きですよ。よくモノレールの車窓から街を眺めるのですが、住んでいる方々を写し出しているかのように穏やかだ」
心が擽ったくなるようなことを、何のてらいもなく口にしてみせた。聞いたこちらの方が何だか気恥ずかしい。
たまに電車好きな人が、モノレールに乗りに来るのは知っている。駅舎の全体を写真に収めるべく道路の向かいでカメラを構えている人の姿を、バイト中に見かけることもあるから。けど、彼はどうやら頻繁に乗りに来ているらしい。
――本当にこの街が、あるいはモノレールが好きなんだ。
街の住人として、悪い気はしない。
「確かに住みやすいですよ。皆基本的にはノホホンとした人ばかりですから。特に子どもにはいい環境なんじゃないかな」
「こんな好青年を育んだ街ですから、説得力がありますねえ」
「ですよねー……って、え? ちょ、僕ですか?」
「ええ」
きっぱり。
「うわはー……はは、照れますね」
ド直球の褒め言葉に大いに照れて、茎はポリポリ頬を掻いた。視線を落とすと手が少し汚れている。後ろの地面に手をついて身体を支えていたからか、細かな草がついていたらしい。慌てて頬を拭う。
――と。
にわかにコートの方が騒がしくなった。
「何だ?」
目を眇(すが)めて見てみると、二人の少年をチームメイト達が取り囲んでいる。両チームの監督も小走りにその輪に近付いて行く。
「ぶつかって、もつれ合って転倒した様ですねえ。大丈夫でしょうか」
男性の声音と表情、両方が心配そうに曇っていた。自分はというと、無意識に右膝をギュッと掴んでいる。
――こんなに晴れてるのに。
思い出すのはやっぱりあの雨の日。
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■2020.11.10 初出