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ループライン #1

【異風堂々 壱】

 ――怪しい。

 その男の姿を初めて見かけたのはいつ頃だったか。確か、まだ空気の冷たい春の初めだったように思う。やけに鼻が冷えたのを覚えているからな。 
 最初は気にも留めなかった。単に『ああ、外の人間かなー』って思った程度で。けれどたまたま乗り合わせたモノレール。そのガラガラの車内で、男はわざわざ俺の隣に座ってきたのだ。
 大抵の奴は初めて俺を見かけると、

 ①ギョッとしたような反応をするか
 ②見て見ぬフリをするか
 ③チラチラ様子を伺ってくるか

……のどれかだったから、この時ばかりは俺の方が面食らったものだ。
 だから突然、

「やあどうも。いい天気ですねえ」

 ――なんて話しかけられても、訝しげな視線を返すことしか出来なかった。そもそも俺はシャイなんだ。
 にこやかなその男は小奇麗な格好をしていた。……まあ、何だ。この近所じゃ見かけない、独特のファッションセンスではあったけれども。イメージカラーは茶色だ。ヒョロリとして、どこか枯木を思わせる。

・生成りのシャツ
・チェック柄の蝶ネクタイ
・サスペンダーで吊ったパンツ
・ピカピカの革靴
・擦り切れた革ベルトの腕時計
・千鳥格子柄のハンチング帽 

 このラインナップだけでもお分かり頂けるのではないだろうか。平凡で穏やかな街に、そうゴロゴロいる風貌ではないと。まだ肌寒いこの時期、何故ジャケットの下の服装まで詳細に分かったのか、疑問に思われるかもしれない。

 答えは単純。 

 車内が暑かったのか、乗客がほぼいないと見て、男が中に着込んでいたベストを脱ぎ始めたからだ。
 豊かな髭を蓄えていたから年嵩(としかさ)に思えたけど、じっと観察してみればまだそこそこの年齢かも知れない。腕にジャケットをかけて、脱いだベストを畳んでいるその手の甲なんか、まだ肌にハリがある気がしなくもないし。曖昧なのは許して欲しい。それだけ男が年齢不詳だということだ。
 とにもかくにも、こんなに掴めないタイプに遭遇したのは初めてで、人間観察が日課である俺としてはこう……何というか、悔しいけれどまんまと興味を引かれてしまったのだ。
 そんな思いを知ってか知らずか(いや、知らないだろう)、その後も男は度々姿を見せた。乗ってくる駅も降りる駅も毎回違う。まさか後を追って一緒に降りたりはしない。だけど降車駅に着くまでの短い時間でも、回数を重ねればそれなりの情報は集まるもので。
 飄々としたその男は、どうやら絵を描くらしかった。手にした大きな鞄の中には、小さな折り畳みチェアとスケッチ用の画材が最低限。頼んでもいないのに見せられた数枚のスケッチはというと、何とも言えない、味のある、独創的な、斬新さ――つまり有り体に言えばド下手だったので、完全に趣味で描いているんだろうと思う。

 ――趣味があるのはいいことだな、うん。

 と、これだけならまあ『怪しい』とまではいかないだろう。せいぜい一風変わった奴がいるな~、くらいで収まるところだ。では何を以(もっ)てして『怪しい』のか?

 目だ。

 何だ勘かよ、と結論を焦らないで欲しい。『目は口ほどに物を言う』という言葉の通り、目つきにはある種の真実が宿るのだ。
 男の目に悪意は浮かんでいない――少なくとも、俺には見て取れなかった。物腰はいつも穏やかで丁寧だし、挙動不審な振る舞いもない。むしろ堂々たるものだ。ただし、何やら秘密の匂いはする。だからこそ尚更目が離せない。
 俺は平凡で穏やかなこの街が気に入っている。退屈は幸福であると知っているから。そんな俺の日常に入り込んできた異質なもの。

 必然、今日も今日とて俺は男を観察するのである。


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■2020.09.08初出

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