見出し画像

ループライン #2

【中学校前駅】…………Futaba Kanai(1)


「降水確率六十パーセント、かあ……」

 シャカシャカと歯ブラシを動かしつつ、双葉(ふたば)は洗面所に戻った。
 細い窓から外を覗けば青空が目に映る。つけっ放しになっているテレビからは、アナウンサーの爽やかな声が小さく聞こえてくる。口をゆすいでリビングに戻ると、ちょうどパンが焼けたらしい。チーンと軽い音を立てたオーブントースターから香ばしい匂いが漂った。
 なんとも平和な朝の風景だ。

「双葉、牛乳は自分であっためなさいよ」

 お弁当の中身を詰めながら声をかけてくる母親に、間延びした声を返す。

「分かってるー。お父さんはー?」
「もう出たわよ。今日は忙しいんですって」
「げ。途中まで車、便乗しようと思ったのに」
「残念でした。ほら、だから早く準備して食べなさい」
「はーい」

 中学生になって、双葉の世界は大きく広がった。
 つい去年までは電車に乗ること自体が珍しかったのに、今では定期券を当たり前に持つ生活だ。というのも、中学受験をしたから。双葉の通う私立中学校は、電車で三駅離れた街にある。

「今日どうしよっかな。自転車でも大丈夫だと思う?」
「天気? 夕方からどんどん崩れていくみたいよ。あなた今日部活は……」
「あるある。だから帰りは六時半くらいになると思う」
「なら自転車やめときなさい。明日は一日降るって言ってたから、置きっ放しだと雨ざらしになっちゃうでしょ」

 ――確かに。入学祝いにっておじいちゃん達に買って貰った自転車だし、サビだらけにはしたくない。

 双葉は眉間にシワを寄せ、それからパッと顔を上げた。壁に掛けられた時計を見る。

「うっわ、じゃあ急がなくちゃ。モノレール何分だっけ」
「見といてあげるから、とにかく食べちゃいなさい」
「そうする! いただきまーす」

 話しながらレンジに入れていた牛乳と、焼きたてのトーストを食卓へ。牛乳にココアの粉を混ぜ混ぜ、角が少しだけ焦げたパンにはピーナッツバターを塗りたくる。 

 ――手を合わせ、いざ!

 双葉が利用するモノレールの駅『中学校前駅』までは、歩いて十分程だ。乗り換えさえスムーズにいけば、そこからは三十分ちょっとで学校に着く。

 ――この時間帯なら接続は問題ないハズだから……。

 頭の中で逆算しながら、双葉はスクランブルエッグにフォークを伸ばした。

 この街にはモノレールが根付いている。
 電車の駅からは少し奥まったところにある地域だから皆よく利用するし、だからなのかバスも走っていない。双葉にとってはあって当然のものだったから、モノレールが割と珍しいものなのだと知った時にはカルチャーショックを受けたものだ。

『双葉ちゃんの最寄り駅って、夕陽(ゆうひ)が丘なんだね。あそこモノレールがあるんでしょ?』
『うん?』
『うちの弟がね、あ、ちょっと年離れてるんだけど。最近乗り物図鑑にハマってて。一度でいいからモノレールに乗ってみたいって、めっちゃハッスルしてたよ』
『そんな、大げさだよー。新幹線とかみたいに特別なものでもないのに』
『えっ』
『えっ』

 そんなやりとりが、何度かあった。なんというアウェイ感!
 近所の友達――同じ小学校だった子達は、ほとんどが地元の中学校に上がっている。自分は違う道を選んだのだと、妙なところで実感したものだ。やっぱりちょっと寂しい、という気持ちも一緒に。

「じゃあ、行ってきますー」
「傘は?」
「折りたたみにした。帰り荷物増えるんだ」

 気をつけて、とかけられた声に返事をしながら門扉を閉めた。隣の家の番犬スズちゃんに挨拶するのも忘れずに。

 ――気象予報士さんには悪いけど、見た限り雨が降るようには思えないんだけどなあ。

 徒歩十分の道のりを一人行く。
 『中学校前』という駅名の通り、駅のすぐ傍には地元の皆が通う公立中学校がある。通学路に人があまりいないのは、朝練にもまだ少し早い時間だから。

「皆元気かな」

 学校は楽しい。だけど、この寂しさはまた別の問題なのだ。
 トントン、とささやかな階段を降りた。
 無人駅の券売機は一台だけ。通勤通学の時間帯だけど、皆定期券を持っているから並んでいる人はいない。数える程しかボタンがないのは、料金が一律だからだ。おとな、こども、取り消し、他は複数枚購入のためのボタンが幾つか。ICカード? 何それ? と言わんばかりの硬派な改札機に定期券を通して、双葉は小さなホームに入った。

「おはようございます」

 そこに突然かけられた声。
 ビックリして振り返る。変わった雰囲気の男の人が改札を入ってくるところだった。おじさんというにはもう少し年齢を重ねているようだけれど、おじいさんというには早いような気もする。一応、おじさんということにしておこう。
 全体的に白と茶系でまとめた服装は、無難な言い方をすれば個性的。細身の体型も相まって古木めいた印象を受ける。モフモフの髭はまだしも、蝶ネクタイをしたおじさんなんて、普段の生活――少なくとも双葉の日常ではまず、お目にかからない。少しだけ面食らった。


 ――っていうか、この時期に茶色ばっかりで揃えるのはちょっと……もう暑苦しいんじゃないかなあ?

 とりあえずペコリと頭を下げておく。

「早起きで偉いですねえ」

 ――絡まれた。危ない人ではなさそうだけど……。

 双葉の小さな迷いを読み取ったのか、その人は「いってらっしゃい」と微笑んで、あっさり後部車両側のホーム端に行ってしまった。(ちなみにこの駅は単線一方通行だ)

 ――ちょっと感じ悪かったかな? 気にした様子はなかったけど、挨拶くらい、きちんと言葉を返せばよかったかも。

 不自然にならない程度におじさんを見てみる。おじさんは大きな鞄から何かを取り出すところだった。どうやらそれは携行用の小さな椅子で、おじさんはそれを慣れた手つきで組み立てている。

「ベンチあるのに」

 思わず独り言が漏れた。

 携帯椅子に腰掛けたおじさんは、ゆっくりと左右に首を巡らせている。何かを探しているようにも見えたけど、どうやらそうではないらしい。双葉が興味津々におじさんを眺めている間にも、数人のお客さんがパラパラとホームに入ってきた。皆一様にギョッとしたようにおじさんを見る。

 ――うん、そうだよね。驚くよね。よかった私だけじゃなくて。

 おじさんは誰と言葉を交わすでもなく、ただ景色を眺めている。

 程なくして、モノレールが大きなカーブを滑るようにやってきた。一ドア三両編成の小さな車両は、丸みを帯びたデザインで可愛らしい。

 ――運転手さんがあのおじさんを見てどんな反応をするのか、ちょっと気になるなあ。ここからじゃよく見えないけど。モノレールはワンマン運転だし、集中してるだろうから特にリアクションしないか。おじさんだってお客様なんだから、失礼になっちゃうもんね。

 そんなことを考えつつ、双葉は到着したモノレールに乗り込んだ。

 チラリと視線を流して、思わず二度見。

 ――乗ってない。

 おじさんは椅子に座ったままだった。そしておじさんをホームに残したまま、モノレールは出発した。


>>NEXT #3【中学校前駅】…………Futaba Kanai(2)

 

■2020.09.15 初出


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?