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ループライン#21
【中央公園駅】…………Nonoka Hasegawa (4)
「……っ、そう、なの。おそろい」
男性はそっとハンカチを渡してくれた。ベージュだった。
「あ、たし……ね、ひとりで、おこって、出てきた、の」
声が震えてつっかえる。
「けんかにも、なってない、の」
だから、本当にはお揃いとは言えないかもしれないけど、と相変わらず泣きながら笑う。
「いい子だねってほめられるの、最初は嬉しくて。だからいろんなこと、飲み込んで、飲み込んで、そしたらそれが当たり前になってて……何でかなあ?」
本当にわからない。どうして? いつの間に、こういう風になっちゃったの。
「あたしなりに、頑張ってたの。でも、誰かのためにやった九個のことよりも、誰がやってもいい一個をあたしがやらなかったって、そんなことばっかり言われて、もう、あたし……嫌になっちゃって」
何度も何度も頭の中に響く声。
『お兄ちゃんを見習いなさい』
『乃々はお姉ちゃんでしょ』
――お兄ちゃんは自分のことばっかりじゃない。あたしお手伝いと勉強のどっちもを、いっしょうけんめい頑張ってるのに。
――お姉ちゃんだから、いっぱい妹の相手してるじゃない。あの子のワガママも、ホントは嫌なことでも、ガマンしてるじゃない。
そんな思いが少しでも顔や態度に出れば、乃々花が口を開くより先に『機嫌悪いわね』だの『何が言いたいの』だの言われる。耐えて耐えて、でも我慢しきれなくて少しだけ零せば、『兄妹の中でも乃々は文句ばっかりね』なんて。なんで?
「疲れちゃった、の……」
ヒックヒックとしゃくり上げながら何とか呟いて、それきり乃々花は黙り込んだ。胸に渦巻いていた苦しいものを吐き出して、急に自分の中が空っぽになったような感覚だった。ハンカチを顔に当てたまま目だけでおじさんの様子を伺う。そこでハッとした。男性が、誰の目にも明らかに“痛そう”な表情をしていたから。
「おじ、さん……?」
おずおずと声をかければ、彼はスッと穏やかな表情に戻った。
「……貴女は、おうちでとても頼られているのですね」
「どうだろう。わかんない」
まるで澱んだ水槽の中のように全然周りが見えなくて、息苦しかった。でも四六時中そうな訳ではない。楽しいことも嬉しいこともあるし、家族は好きだ。そうやって浮いたり沈んだりを繰り返しヘトヘトになって、疲れ果てたのが今日だった。それだけ。
「きっとそうだと思います。とても心強くて、頼りになる……そんな“いい子”だったのでしょう。――貴女の努力によって」
俯いた拍子に大粒の涙が、ハンカチを避けて宙を舞い、ワンピースの膝にこぼれた。
「う……っく、う、うええん」
たった一言。
――それさえあればよかったの。
褒め言葉が欲しかったのは、何も得意げにしたかったからじゃない。褒めてくれるってことは、見ていてくれているってことだから。いい子でいることに自分の価値があるのなら、それをちゃんと大事にしたかった。
だけど、アピールしなければ努力そのものが無かったことにされるなんて、そんなのどうしても腑に落ちなくて。逆に、ちょっとしたことでもアピールさえ上手ければ褒めそやされる――動物に優しい不良の法則と一緒だ。まっとうに頑張る分だけどんどん損になっていく気がして、そんなことを考える自分は最早いい子じゃなくて。
そうしてブクブクと、溺れて、沈んだ。
「貴女が意外と大人であるように、大人は意外と子どもです」
私を見れば分かるようにね、と男性は言う。
どこかでクラクションの音がした。
「背伸びをしなくても顔を上げていれば、目を合わせて話が出来ますよ。向き合うのが怖ければ、例えばこうして並んで座ってね」
男性はニッコリ笑って、クッキーを美味しそうに頬張った。
溺れて沈んだ身体から変な力が抜けて、自然と水面に浮き上がってきた……そんな風に、感じた。
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■2020.02.02 初出