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ループライン#18

【中央公園駅】…………Nonoka Hasegawa (1)

 三連休初日の土曜日。
 長谷川乃々花(ののか)は、八歳ながらに大層憤慨していた。大人は理不尽だ。理不尽なんて大嫌いだ。お気に入りのリュックに手当たり次第着替えや歯ブラシなどを放り込みながら、乃々花は口をへの字に引き結んだ。

 ――お腹すくかも。

 顔を合わせるのは嫌だったが、物資調達のためには仕方ない。出来るだけ気配を消しつつ自分の部屋を出る。相手はリビングにいるらしい。抜き足差し足ダイニングに忍び込み、買い置きのおやつが入ったカゴを探る。クッキーにマシュマロ、おせんべい、エトセトラエトセトラ。

 ――クッキーとかおせんべいは割れちゃうかなあ?

 一瞬考えて、結局マシュマロとミニドーナツの袋を選んだ。戦利品を手に再びこっそり自分の部屋に戻ってくると、静かな興奮に包まれた。これで大体の準備は完了だ。胸がどきどきする。
 一番好きなシャツワンピースと、裾にカラフルな花の刺繍がついた可愛いジーンズ。最後に厚手のパーカーを羽織って、乃々花はリュックを背負った。部屋の中をぐるりと見回す。

 ――今までありがとう、あたしの部屋。ばいばい。

 タイミングよく家の電話が鳴った。チャンス到来。足早に玄関に向かうと、リビングのドア越しに話し声がする。どうやら通話に夢中になっているようだ。靴箱の中から取り出したスニーカーに足を突っ込み、細心の注意を払って玄関を出れば、秋の気配の色濃い風が乃々花の頬を撫でた。
 空が高い。
 茹だるような暑さは大分落ち着いて、木々もだんだん色づいてきた最近。マンションの廊下から見える街の景色に、乃々花は目を細めた。世界はこんなにも広いのだ。居心地のいい場所なんていくらでもあるはず。そう頭の中で繰り返して、鼻息も荒くエレベーターに乗り込んだ。
 きっかけは些細なこと。でも日々の積み重ねだった。世の大人達はみんな、“いい子”が何も不満や憤りを抱えていないとでも思っているのだろうか。とんでもない。それを大きな思いやりでもってグッと我慢してみせるから“いい子”なのだ。大人ならばそのくらい分かると思っていた。いや、分かった上で子どもに甘えているのか。だとしたらなんてズルいのだろう。嫌になるほど聞いた言葉が蘇ってくる。

『お兄ちゃんを見習いなさい』

『乃々はお姉ちゃんでしょ』

 ――まったく、やってられないよ。

 兄が優秀なのは分かる。年だってちょっと離れているから自分から見ればうんと大人っぽく思えるし、優しいしっかりものだ。逆に来年やっと小学生になる二つ下の妹がまだまだ手がかかるのも分かる。だけど。

 ――あたしはあたしなりに、頑張ってるんだよ。

 怒りなのか悲しみなのか自分でも分からない。ただ胸が苦しくなって、乃々花はパーカーのフードから下がる紐をギュッと両手で握り締めた。
 ポーンという音と共にエレベーターが一階に到着する。乃々花が降りると、エレベーターホールには見知った顔が待っていた。

「あれ、乃々ちゃん。やっほー元気?」
「さっちゃん! こんにちは。お姉さん達も」
「こんにちは~」
「里っちのお隣さんだっけ? こんにちは」

 さっちゃんこと里子は隣の家の中学生だ。その友達二人も夏休みに何度か見かけたことがあった。仲良し三人組らしい。くさくさしていた気持ちがちょっとだけ楽になる。

「土曜日なのにみんな制服なの?」
「うちの学校、週休二日制じゃないんだ」
「そこは公立が羨ましいよねえ」
「ね~」

 みんな揃って深く頷く。確か里子は電車でちょっと遠くの中学校に通っていたはずだ。その上土曜日までばっちり学校があるのは、確かにちょっと大変そうである。

「今から遊びに行くの? 暗くなるの早くなってきたし、気を付けるんだよー」
「う、うん。暗くなるの早くなってきたもんね。気をつける」

 ドキッとして思わずオウム返しのようになってしまった。乃々花は内心冷や汗を流しながらも、何とか顔に笑みを貼り付けた。これ以上喋っているとボロが出そうだ。

「じゃ、じゃああたし行くね。さよなら」
「はいよー。またね乃々ちゃん」
「ばいば~い」
「またね」

 賑やかにエレベーターに吸い込まれていく三人娘に手を振って、乃々花は歩き始めた。小さく嘆息を漏らす。

 ――また、は無いかもしれないんだよ。

 何しろこれから自分は自由を求めて旅立つのだから。
 エレベーターホールを抜けて中庭へ。芝生の広場の真ん中には、新しめのマンションにはいささか立派すぎる大きな木が一本植わっている。ザラザラの木肌を通りすがりざまひと撫で。そのまま表通りを挟んだ向かいにあるモノレールの駅へと足を向ける。駅は通りより少し低くなっているので、乃々花は数える程しかない階段を軽やかに下った。小さな駅前広場の噴水を回り、やっと改札に到着だ。
 ゴクリ、と喉が鳴った。
 券売機を横目に、まずは先に時間を確認。時刻表の上にある時計の針は三時前を指していた。

 ――次のモノレールまであと十分……。

 早く来て欲しいような気もするし、ちょっとだけ待って欲しいような気もする。複雑な心境である。
 そもそもモノレールに乗る選択は正しいのか、と乃々花は難しい顔をした。貯めていたお小遣いは持ってきたけれど、所詮自分は小学校も低学年。児童の貯金額などたかが知れている。最初から自転車で出た方がよかっただろうか。でも途中で邪魔になるかもしれないし、モノレールの乗車賃はたった百円……されど百円。数分悩んで、結局乃々花は切符を買った。ええいままよ! といった心持ち。
 興奮と緊張を隠しきれずに改札を通る乃々花の頬は上気していた。友達と子どもだけで出掛けたことはあるけれど、乃々花一人というのは初めてのこと。連休初日だけあって人は結構いるし思ったより心細くはない。昨日までの自分と比べて一足飛びに大人になったようで、乃々花はドヤ顔でモノレールが来るのを待った。



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■2021.01.12 初出

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