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ループライン#5
【中学校前駅】…………Futaba Kanai(4)
駅舎の隣は公園になっている。遊具は数える程。クローバーやらオオバコやら、芝生よりももう少し野生的な短い草がフカフカと生えていて、小さい子が転んでもそれなりに安心だ。ただ、半端な時間だからか今日は他に人がいない。
年季が入って塗装の剥げたベンチに、双葉はストンと腰掛けた。
「雨降んないじゃん」
遠くに雲の塊はあるようだったけれど、こっちに流れてくるのかは分からない。すぐに帰れば、多分傘を開くことなく家に着く。そうした方がいい。そもそもがテスト勉強のために早く帰されているんだし。頭の中にポンポン正論が浮かぶ。
「はあ……」
――なのに一向に動こうとしない私って、一体。
背もたれにだらしなく体重を預けて、何をするでもなく空を見上げた。
――何だろな~……五月病?
薄い雲のかかった空はボヤーっと白っぽい。晴れている日とはまた違った眩しさに、双葉は目を細めた。
と、視界の隅。公園の入口に、妙に目を引く人影を見た。
「……チャゲ」
双葉の、声になったかも分からない呟きがまさか聞こえた訳ではないだろうけれど。しばらくぶりに見たその人は彼女に気付いたようだった。ニコリと笑って会釈するのを見て、双葉も反射的に立ち上がって頭を下げた。
フォーン……と鈍い音を響かせて、公園の裏手を走るレールをモノレールが通り過ぎて行く。
今のに乗って来たのかな? というか私、別に立ち上がる必要はなかったよなあ――そんなことを考えている内に、彼はのんびりこちらに歩いてきた。
「こんにちは」
「あ、ええと、こんにちは」
今回はちゃんと返事をする。チャゲは嬉しそうに頬を緩めた。
隣にでも座るのかと見ていたら、彼はそのまま双葉の前を通り過ぎた。そして少しだけ離れたところで、いつかの様に自前の椅子を準備し始める。距離的には……普通の話し声が、ギリギリ届く位の場所。
とりあえず、お尻をベンチに戻す。
小ぶりのスケッチブックを取り出したチャゲは、そこで椅子に腰掛けた。真っ白なページを開いて膝に乗せたまま、何を描くでもなく遠くを見ている。
――もしかして、描く道具を忘れちゃったとか……?
「あの、シャーペンとかボールペンでよければ、ありますけど」
躊躇うより早く言葉が出ていた。
チャゲのたっぷりした髭が、モフリと動く。吹き出したのかもしれない。目元は相変わらずニコニコしている。
「ありがとう。大丈夫です」
「そうですか」
――何だ。案外普通の人じゃん。
ホッとしたら好奇心が膨らんできた。
「絵、描くんですか?」
おずおずと質問してみる。鬱陶しがる様子はなく。だけど視線は遠くを見たままで、チャゲは返事をしてくれた。
「いや、なに、メモみたいなものです」
「ラフスケッチってやつですか」
「いや、さて」
悪人とか変質者ではないみたいだけれど、やっぱり不思議は不思議だ。のらりくらりとしている。
「お嬢さんは、雨を待っているのかな」
今度は向こうが口を開いた。
「どうしてです?」
――しまった。質問に質問で返しちゃったよ。
こっそり顔色をうかがって見たけれど、特に変化はない。
「そういう表情に見えましたので」
「そういう、って……」
――どういう表情だろう。めっちゃ喉渇いてるっぽいとか? いや違うか。それはナイよね。
自分のほっぺたを無意識にムニムニ触りながら、双葉は言葉を続けた。
「別に、そういう訳じゃないですよ。降らないなーとは思ってましたけど。これなら自転車で行けたなあって。あ、いつもはね、夕陽が丘駅まで自転車なんです」
「ほう」
「帰宅時間も普段はもっと遅いから、荷物も多い時あるし、自転車でバーッと行った方が何かと便利で」
「では、こうして今貴女とお話しているのは、とっても不思議な巡り合わせなんですねえ」
言われてみればそうだ。
いつもと違う時間。いつもは使わない通学手段。この公園自体、前に足を踏み入れたのはいつだったか思い出せない。改めて考えてみると。
「とっても……不思議ですねえ」
予想外に実感のこもった声が出たことに自分で驚く。
――だって本当に不思議で、凄いことだなって思ったんだよね。チャゲだけじゃなく、今日木内に会ったこともそう。巡り合わせなんだって。
どこかがチクッとした。
「早く降るといいですねえ」
どこが痛んだのか確認する前に、チャゲがのんびりそう言った。気が逸れる。
「おじさんこそ、雨を待ってるんですか?」
「今日はそうですね」
「今日、は?」
「そういう日もあるということです」
――そんなものかな。そんなものかも。
フワフワとしたチャゲの言葉を『ムムム……』と噛み砕いていると、ふと彼の膝の上の白が目に留まった。
「だけど、今雨が降ってきたら、それ、濡れちゃいますよ」
指で示す。
「描かないなら鞄にしまった方がいいんじゃ……他のページには絵、描いてあるんでしょ? せっかくの作品が濡れたら大変」
小学生の時、『我ながら傑作!』と思っていた習字を、雨の中持って帰ったことを思い出す。両親に披露しようとして、自信満々に作品を取り出した。その瞬間の絶望たるや筆舌に尽くしがたい。
――新聞紙に挟んでそのままなのがいけなかったんだよね。
クリアファイルでも持っていたら無事だったのだろうか。双葉がほろ苦い思い出に浸っていると、チャゲは慌てるでもなく真っ白な紙を撫でた。とても優しい手つきで。
「これは別に濡れても構わないのです。それもまた一つの……ある種の覚え書きというもので」
よく分からない。
「お嬢さんにとって、この街のモノレールはどんなものですかな」
フォーン……
鈍い響き。ちょうどまたモノレールが走り抜けて行ったタイミングで、コロリと話が変わった。
――私が雨の話、よく分かってなかったから気を使ってくれたのかな。もしかして。
パチパチと目を瞬いて、双葉は小首を傾げた。
「モノレールですか? えー……考えたことなかったな」
ローファーのつま先で草を弄りながら呟く。
地域に根付いたもの。小さい時からずっとある……そう、そこにあるのが当たり前で、当たり前だという自覚さえなかった。街の外に出るまでは。
――いつか引越しとか、一人暮らしとか、この街を離れることになったら、当たり前じゃなくなるんだ。そうなったら……きっと凄く、寂しいなあ。
しみじみと、実感してしまった。
「ずーっと身近にあったものだし、やっぱり愛着あるんだなあ。うん、大事だと思います。自慢ですし、好きですよ」
訳もなく、ちょっと照れくさくなったり。双葉はもぞもぞと座り直した。
――何気なく感じてたことも、言葉にするとこんなに輪郭がハッキリするんだ。新発見。
「そうですか。そうですねえ」
双葉の言葉を聞いて、チャゲは深く頷いた。
そして、初めて彼女に顔を向けた。
「話し相手になってくれて、どうもありがとう」
「は、いえいえ」
「雲が厚くなってきました。私はこの辺りで失礼しようと思います」
スケッチブックをゆっくり閉じて、空を指差す。
その人差し指の延長線をなぞる様に双葉は視線を上へ滑らせた。確かに、いつの間にやらジワリジワリと重い雲が近付いて来ていた。腕時計に目を落とせば時間もそれなりに経っている。
「私もそろそろ帰ります。実は帰りが早いの、テスト前だからなんですよ。勉強しなきゃ」
軽く勢いをつけて立ち上がり、スカートのお尻を二、三度払う。やっぱりベンチの木屑が付いていたらしい。家に帰ったらもう一回ちゃんとはたかないと――などと思いながら、隣に置いていたスクールバッグを引き寄せた。チャゲは相変わらずののんびりさで、椅子を畳んでいる。
「どうぞ。私はゆっくり参りますので、先にお帰りください。テスト勉強、頑張ってくださいねえ」
言いつつチャゲは親指を立てた。
あまりにもサムズアップが似合わな過ぎて、双葉は思わず吹き出してしまった。慌てて口元を手で抑えて誤魔化す。
――不意打ちはズルいよ、チャゲ!
心の中の叫びを悟られないように、双葉はにっこりと笑った。
「ありがとございます。じゃあ、これで」
「さようなら」
サムズアップしていた手を柔らかく解いて、チャゲが手を振る。自分も小さく手を振り返して、双葉は公園を後にした。
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■2020.10.06 初出