100年前の生活を続ける宗教コミュニティに潜入してみた【アメリカ留学】
ふと、スマホがなかった時代のことを想像してみる。ほんの15年前、スマホがなかった時代、寝る前の時間、電車の中で、ひとりでご飯を食べる時、私たちって何をしてたんだろう。そこにはどんな空気があったんだろう。
しかし今の時代、そんなことを想像するのは困難なほど、スマホは私たちの生活に食い込んでいる。朝起きるのも、目的地に行くのも、買い物も、私たちは全て小さな画面に頼っている。
そんな世界のすぐそばで、先進的な技術から一才身を置き、いわば100年前と同じ生活を今も続ける人々がいるのを知っているだろうか。
今回は、アーミッシュと呼ばれる彼らとともに2日間過ごしてみて考えたこと、気づいたことを書いていこうと思う。
アーミッシュとは?
車道を走る馬車
アメリカ北部のミシガン州、私の街には、「馬車注意」の標識がある。そして標識通り時折、馬車が通る。
アーミッシュという、現代のテクノロジーから離れて生活する人々についてはなんとなく聞いたことがあったが、まさか自分の街にいるとは。
街の人はみんな、彼らのことを完全に別世界の人々のように話す。「ここら辺一体はアーミッシュが住んでるんだよ。」「彼らはきついオランダ訛りの英語を話すらしいよ。」
こんなに近くに住んでいるのに完全に別の世界に住むアーミッシュに、私は好奇心を抑えられなかった。
調べてみると、アーミッシュはキリスト教の一派で、信仰上の理由から電気などの現代技術を使わず、自給自足の生活を送っているらしい。
私はどうしても彼らと1日過ごしてみたくなった。
閉塞的なコミュニティ
友達にアーミッシュの知り合いがいないか聞き回ったが、なかなか見つけられない。隣にアーミッシュが住んでいると言う人も、彼らとは関わりたくないという。友達は「どうしてアーミッシュのとこへ行きたいの?子供もみんな働かないといけないよ!」と。
私の中にも怖さがあった。信仰上の理由ああいう暮らしを貫く彼らにとって、私たちは「間違った生活をする人」とみなされているのではないかと思ったからだ。ネットでは、アーミッシュは極力外部との接触を避けるという情報もあるし、彼らをカルト集団のように紹介する人もいる。
会う人全員にアーミッシュと1日過ごしたいと話し初めて1ヶ月ほど、なんと知り合いのお父さんがアーミッシュと一緒に働いているという人を見つけた。教えてもらった方はコミュニティの仲介役のような人で、私をアーミッシュ内部へと案内してくれた。
そしてついに、アーミッシュの家庭へお邪魔させていただくことになったのだ。
別世界へ
私の街には、21家族、100人以上のアーミッシュがいるらしい。
私を受け入れてくれた家庭は、11人の子どもがいて、いちご農家と乳業で生計を立てる一家(アーミッシュは子沢山で、10人以上は珍しいことではない)。教会の日と働く日、それぞれ違う1日を体験したいと思い、日曜日と月曜日にお邪魔することにした。
日曜日、教会へ
ついに日曜日、8時半から教会が始まるらしいから、7時半に彼らの家へ。少し緊張していたが、一家のお母さんは笑顔で迎え入れてくれた。
アーミッシュはいつも、子供から大人まで男性は麦わらハット、単色のシャツと黒いズボン、女性は結ったお団子に白いボンネット、単色のワンピースにエプロンを着ている。聖書に基づいた身なりだそうだ。ちなみにワンピースとエプロンはすべて手作り。
教会までは普通歩いていくそうだが、今日は私のために馬車を使ってくれた。やはり交通手段は馬車、自転車のみ。
教会へ着くとまず、全員に握手とキスで挨拶をする(私は握手のみ)。驚いたのは男性と女性が完全に分かれていること。挨拶は同性同士としかしないし、礼拝の席も通路をはさんで男性と女性、分かれて座る。聖書の教え通り結婚前の男女の交流を極力避けているのだろう。
ちなみにアーミッシュの第一言語は、ペンシルベニアダッチというドイツ語の一種。聖書も讃美歌集もすべてドイツ語。礼拝は普通ドイツ語でやるらしいが、私のために特別に英語でしてくれた。本当にありがたい。
子供から大人まで、英語はみんな喋れる。ちゃんと英語を習い始めるのは小学校かららしいけど、その前に沢山英語に触れるから、大体の子供は勝手に喋れるようになるらしい。
教会のあとは家に帰ってランチの時間。
この日のランチはじゃがいもとミンチ肉、クリームチーズ、サルサソースとレタスのサラダ、それからいちごゼリーの乗ったケーキ。みんなで長テーブルを囲んで食べる。材料はやはりすべて自分たちで育てたものらしい。すごくおいしくて食べ過ぎてしまった。
ここで気づいたことは、そこに食べ物が乗っていたのか疑ってしまうほど、みんなものすごく綺麗に食べていること。日本からアメリカに来た時カルチャーショックだったほど、アメリカ人は食べ残しがひどい。家でもレストランでも、大体誰も完食しない。アーミッシュの家庭で久しぶりに綺麗なお皿を見て、日本に帰ったような気分になった。食べ終わったお皿はみんなで洗う。2歳の小さな女の子まで、洗い流すのを手伝っていた。
ランチ後はみんなでまた賛美を歌って、それからまったりする。日曜日は安息日だから、今日は一切働かない。
みんな読書をしたり、ボードゲームやおしゃべりと、思い思いに過ごしている。ここで当たり前だけど、誰1人スマホを触っていないのが私にとって新鮮で、違和感さえ感じるほどだった。
働き者すぎるアーミッシュ
さて次の日は、昨日とは全く違う労働の日。なんとみんな朝5時には起床し、6時半から働き始めるらしい。私には無理なのでこの日は8時にお邪魔した。
ワンピースに着替え、髪をお団子にしてもらい、旬のいちごのピッキングを手伝うためにいちご畑へ。働いているのはほとんどがその家庭の子供たち。従業員はいなくて、家族みんなで分担して仕事をこなす。
1時間も低い姿勢でいちごを狩っていると、すごく背中が痛くなった。昼前に仕事を終えて、私は小さな箱9個分のいちごを集めたけど、他の子は45個とか…。
それからみんなでランチの準備。今日はマッシュポテト、サラダ、チキン、ディナーブレッド、それから「いちごのショートケーキ」。私もサラダの準備を手伝った。ショートケーキというけれど、私たちが知っているショートケーキとは全然違う。ショートニングで作った生地に、牛乳といちごジャムをかけて食べる。ちなみにデザートは毎日作るらしい。
ランチの後は少し休憩の時間。私はみんなに折り紙で鶴を作る方法を教えた。
上は私が滞在中撮った数少ない写真。鶴の右に映るのはボンネット、その下は讃美歌集。宗教上の理由から、アーミッシュは写真に映ることができない。
さて今日は、「Youth Night」と言って、若い一家のお手伝いをしに行く日らしい。
夕方、仕事もなくなり時間を持て余していた頃、みんなですぐ近くの農場へ。コミュニティから、赤ちゃんからお年寄りまで、30人ほどが集まった。
集まった理由はニワトリを捌くため。生きたニワトリの頭を落とし、毛を取り、内臓を取り除いていく。さすがに私には手伝えなくて、豆の皮剥きを手伝った。
一緒に作業したのは11歳、13歳、14歳の女の子たち。
皮を剥く速さを競ったり(私はボロ負けだった)、時々豆を食べたり、おしゃべりしながら、大量の豆を処理していく。
アーミッシュの学校での教育期間は8年のみで、日本でいう中学2年生まで。そのあとは結婚して家を出るまで、親元で働く。「学校と働くのどっちが好き?」と尋ねると、「どっちも好きだから選べないな〜」って。夏も冬もどっちも好きだけど、やっぱり雪で遊ぶのが楽しいから冬が好き。そう語る彼女たちは、すごく幸せそうだった。
ディナーはお手製のピザとポップコーン、手作りケーキ。みんなで庭で円になって食べた(男性と女性はやはり分かれている)。
ディナーを食べたのが夜9時頃。もう帰らないといけないから、ワンピースを脱いで自分の洋服に着替える。自分の洋服に着替えた途端、私は彼らとはちがう世界に住んでいるという事実に、寂しさを覚えた。
満たされた2日間
全く違う文化の中で毎秒新しいことを学んだ2日間、振り返るとすごく満たされた2日間だった。人との繋がりをこれまでにないほど密に感じた。
彼らと過ごした次の日、ホストファザーは仕事、マザーは体調を崩して1日中ベッドの中、シスターたちは基本自分の部屋にいる。リビングでひとり、いちご狩りからの背中の痛みを感じながら、彼らの元へ帰りたいとさえ思った。
インターネットの普及した今の時代、目の前の人とむりに仲良くならなくても、スマホの中には遠く離れた親友も、趣味の合う友達もいる。
インターネットの普及は、心理的孤独を埋めすぎるがために、物理的孤独を加速させてしまっていると思う。家族や親戚と集まっても、友達と集まっても、その場にいない人と会話ができてしまう。一昔前からすると、それは異常なことじゃないか。
そしてもう一つ、やはり現代人はドーパミンを過剰放出しているということ。ベッドから出なくてもスマホ一つでドーパミンを得られるなら、どうやって仕事や勉強に喜びを見出せるだろう。反対に、学校も仕事も好きだから選べないと言った彼女がもしスマホを持っていたら、同じ回答が得られただろうか。
ネット上でアーミッシュの子供たちは、全てを制限された可哀想な子のように扱われている。TikTokでは、「アーミッシュの子供にスマホを売ってみた」動画さえある。彼らの生活が、宗教への信仰心ゆえであることも、冷ややかな目を向けられる理由の一つだろう。
でも聖書が教える通り、「快楽を避け労働から喜びを見出す」彼らは、現代人よりも幸せに見えた。
以上がアーミッシュと過ごした感想。あと留学期間も2週間を切った。最後の最後に貴重すぎる体験ができた。私の将来の夢に直結すること。
最後まで読んでくれてありがとう:)