#今を変える
最近、思うことがある。
もしも、「いま」の人生に、不満や不足などの、満たされない思いを感じて生きているとしたら、
つまり、
毎日が、
・ツラい
・楽しくない
・同じことの繰り返し
・ただ流されて生きている
…
もしくは、
・お金が足りない
・もっとお金があれば
・これが欲しい、あれが欲しい
…
そういう状態で生きているとしたら、
いつの日にか、
状況が、一変して、満足のいく状態になることがあるのだろうか?
なんでも欲しいものが、思いのままに、手に入るようになる日が来るのだろうか?
答えは、たぶん
「NO!」
ではないかと思う。
仮に、宝くじの一等が当たったとしても、多くの人は幸せになるどころか、破産したり、不幸になったりする人が多いという。
* * *
なぜ、「NO」なのか?
それは、「努力」が足りないからだろうか?
もっと、
早く出社して、
遅くまで残業して、
多くの本を読んで、
セミナーに通って、
SNSを頑張って、
…
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと…
努力したら、
もっと、もっと、もっと、もっと、もっと…
頑張ったら、
お金も、モノも、平和も、愛も、幸せも…
なんでも、欲しいものが手に入るようになる日が来るのだろうか?
* * *
そんな日は来ないように思うのは、私だけだろうか?
実際に、みんな、
努力しているし、頑張ってる
と思う。
では、「もっと」が足りないということだろうか?
なんだか、それも違う気がする。
きっと、
「いま」という現実の延長線上には、「いま」とは、たいして変わらない現実しかないのではないのか?
そんなふうに思う。
たとえば環状線を、「もっと」全力で走り続けても、同じところをクルクル回るだけで、違う世界には決して辿り着けない。
ただ、周回数が増えるだけだ。
もしかしたら、
必要なのは、「もっと」ではなくて、
「いま」を変えること
なのではないか?
「いま」走っている環状線から飛び降りるか、
ジャンクション(分岐点)を見つけて、違う路線へ移れば、違う景色が目に入ってくるだろう。
きっと、はじめは不安になると思うけど、見飽きた景色ではなく、これまで見たこともないような場所に行けるかもしれない。
どこに行くのかはわからないけど、
「いま」の延長線上にある、見覚えのあるどこかでないことだけは確かだ。
* * *
今まで、良かれと思って選んできた選択の結果が「いま」なのだとしたら、「いま」から(これから)は、逆に、良いとは思えない選択をしてみたら、どうなるのだろう?
やはり、状況は、もっと悪くなるのだろうか?
だとしたら、
最善の選択をした結果が、最善の「いま」なのだとしたら、
多くの人にとって、それは、あまりに惨めではないか。
では、
「もっと」最善の選択をすればいいのだろうか?
しかし、
そんなこと、できることなら、とっくにやっているだろう。
誰しも、選べる選択肢のなかで、最善と思えるものを選んでいるはずだ。
となると、
やはり、
道が間違えている
としか思えない。
「選べる選択肢」そのものを変えなくてはいけないのではないか?
試しに、これまでなら、絶対に選択しなかったことを選択してみたら、どうなるだろうか?
* * *
なんとなくだけど、
自分が、「苦手」とか「嫌い」だと思い込んでいることの中に、ヒントがあるような気がする。
なぜなら、
「得意」なことや「好き」なことは、これまでも、しっかり「選択肢」の中にあったはずし、多くは試してもみたと思う。
そして、その結果が、満足のいかない「いま」だとしたら…
これからは、これまでと同じような選択ではなく、
・諦めてきたこと
・避けてきたこと
・逃げてきたこと
などをやってみたらどうなるか?
どうなると思う?
もちろん、「いま」よりも現状が良くなる保証はない。
でも、ちょっと実験してみたくない?
やてみょうかな。
でも、なにから、やったらいいだろう…
# 今を変える