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【自己紹介】ちょっと長い私の軌跡も。

はじめまして!
パート歴・約14年
アラフィフパート主婦の
木戸口りかと申します。

ネット発信歴は、約20年になります。

mixiから始まり、アメブロ、
X(旧ツイッター)など
使用してきましたが
2025年1月からnoteでの発信を始めました。

以下、詳しいプロフィールを
書いていきますので、
よかったらお付き合いください♪


プロフィール

1973年生まれ。
北海道の東の端っこに在住。

私、夫、息子、娘の4人家族。

自営業の家庭で経済的に
不安定な環境で育ったことから、
とにかく安定を目指してサラリーマンと結婚し
「普通の主婦」になることを選びましたが、
それが返って自分と家族を苦しめる結果と
なっていたことに気がつきました。

そこから自分も家族も一緒に幸せになるために、
心を癒し、学んだことを実践し、
たくさんの変化と成長をすることができました。

そんな自分の経験と学びを元に、
約10年前に心理カウンセラーとして
起業するが挫折。

長いブランクを経て、
その間の経験も糧にして、
再度自分のやりたいことを仕事にするため
挑戦していこうと思っています。

結婚するまでのこと

飲食業を営む両親の元に生まれ、
幼少期は一歳上の兄と一緒に
父方の祖父母宅に預けられ育ちました。

小学4年頃から実家で生活するようになり
生活環境の変化のストレスからか
急に肥満体形になりました。

そのため、母からは常に
体形について言われ続け、
また、学校でも男子から
からかわれたりすることが多く
自分の容姿に強いコンプレックスを
持っていました。

兄とケンカになると殴られたり、
母からも言いつけを守らないと
叩かれたりすることがよくありました。

父は優しかったのですが、
生活のリズムも違い、
家で一緒に過ごす機会は
少なかったです。

そして、父はてんかんの持病があり、
また、診断は受けていませんでしたが
躁鬱病(双極性障害)を患っていたようで
数年置きに躁鬱の波があって
それが家業に大きな影響を与えていました。

そのため、父と母の夫婦仲は
あまり良くなく、
いつも母から父の愚痴を
聞かされていました。

高校卒業後、地元で就職し
結婚退職するまでずっと
実家から通勤していました。

私が20歳になった頃、
父は神奈川県で建築業を営む
親戚の会社へ出稼ぎに行くことになり、
5年ほど父とは別居生活に。

母だけで飲食店の経営は続けており、
父からの仕送り、私が働いたお金とで
ようやく経済的に安定した生活を
送れるようになった感じでした。

しかし、また父の持病の波があり
父は神奈川県から北海道へ
帰ってくることになりました。

帰ってきてからの父は、
どんどん症状がひどくなっていき…

いよいよどうにもならなくなって
母も私も家を出ることに。

それから約2か月後、
父は自ら命を絶ちました。

その後、母が戻ってきて
しばらく休業しましたのち
家業の飲食店は再開。

私はかねてから交際していた夫と
父が亡くなって一年近く経った頃に
結婚して地元を離れました。

※父の自死については、
アマゾンキンドルでまとめてあります。
https://www.amazon.co.jp/dp/B09XY1BCJR/

父の死の前後のことを
詳細に綴っていますので、
少し刺激が強い内容に
なっているかと思いますが。

興味のある方は、
キンドル読み放題にも
登録してありますので、
読んでいただけたらと思います。

結婚してからのこと

結婚生活は、夫の職場の社宅で
無年金の義父との同居生活で
スタートしました。

結婚する前から
わかっていたこととはいえ、
実際に狭い社宅での同居生活は
想像していたよりも
かなりストレスがかかりました。

結婚して約二年後に
第一子の息子が生まれたのを機に
義父との同居は事実上の解消。

その時点でもうすでに
義父は後期高齢者になっており
年金もなかったことから、
一人暮らしも出来ない状態のため
義姉の家で生活してもらうことに。

実家が商売をやっていたために
子供の頃からずっと
他人が出入りする家で
生活してきましたが、
ここでようやく自分の本当の
家族だけでの生活を
手に入れることができました。

こんなはずじゃなかった子育て

ずっと実家が自営業で
不安定な経済状況の中で
暮らしてきた私は、
いつの頃からか
絶対に安定した職業に
就いてる人と結婚する!
と心に決めていました。

そして、子供が生まれたら
専業主婦になって
自分の手で子供を育てよう!
と思っていました。

ずっとそう思い続けたかいがあってか、
結婚した夫は公務員。

そして、念願だった
専業主婦で子育てをする生活を
手に入れることができたのですが…

まず、子供が生まれてからの私は
どうしようもない不安感に
苛まれることが多くなりました。

初めての子育てで
誰でも不安になることは
あると思いますが、
あきらかに普通ではない感覚。

子供と二人だけで過ごす時間が
不安でたまらなくて、
夫がいない時はいつも
実家に帰っていました。

子供に少しでも気になることがあると
すぐに母に電話して相談したりも。

とはいえ、自分が子供の頃とは
時代が違うこともあったし、
母はずっと仕事をしていて
兄と私を育てたのは祖母。

だから、とにかく母とは
意見が合わなくて結局いつも
最後はケンカして終わり。

それでも不安に耐えきれず
母に頼らざるを得ない状態で。

息子が自分で動けるように
なってくるにつれて、
母と意見が合わないストレスや
相変わらずの異常な不安感が
怒りとなって息子に向かうように。

母のように叩いたり怒鳴ったりしないで
優しく子育てしようと思っていたのに
母と同じか、もはやそれ以上に
ひどいことを息子にしてしまう。

思うように出来ないストレスと
その罪悪感から
「自分なんてこの世からいなくなった方がいい」
と思うまで追い詰められていきました。

どうにかしなければと
育児書を読み漁ってみたり
友人などに相談してみるも、
なんの解決策もないまま
どうにか毎日を過ごしていました。

息子が成長し、少しだけ
気持ちにも余裕が出てきた頃に
第二子の娘が生まれました。

二人目とあって
息子の時よりは育児が
ほんの少し楽な感じはしていました。

…が、息子に対して
怒りが爆発して止まらなくなる
という状態は変わっておらず。

ずっとこのままではいけない
どうにか改善しなければ
という思いはずっとありました。

そんな頃、たまたま友人の紹介で
当時流行り出したmixiという
SNSに登録したことがきっかけで
私の人生は大きく変化しはじめました!

SNSが私の人生を大きく変えた!

それまで、
自分の異常な不安や
怒りの正体はなんなのか?

どうしたら、それを
なくすことが出来るのか?

息子に怒りをぶつけずに
済むようになるのか?

まったくわかりませんでした。

それが、mixi日記に
自分のそんな状態や気持ちを
綴っているうちに
だんだんコメントが入るようになって。

コメントをくれた人から繋がって
ある家族カウンセラーの方の
日記に辿りつきました。

そこには、自分が知りたかったことが
詳細に書いてあった
のです!

まだ第2子の娘が一歳になる前で
夜中の授乳の合間に
とにかくそのカウンセラーさんの
日記を読み漁りました。

さらにそこからどんどん
情報が繋がっていって
そういったことを書いている本も
たくさん買って読みました。

その頃は、自分はもう
精神科に行くしかないと
思っていたのですが。

でもどうやら自分に必要なのは、
病院に行って薬をもらうことじゃなく。

子供の頃、辛かったことや
寂しい思いをしてきたこと、
父の自死、母との葛藤など
なかなか人に話せなかったこと、
話しても理解してもらえなかったこと。

それらを話して受け止めてもらうこと、
それに対する感情を解放すること。

それが必要だったんだ!!
ということがわかったのです。

心の傷を癒すこと

とはいえ、その当時は
今のように心の治療というのが
一般的ではなく。

カウンセリングを受けようにも
そんな場所もなく。

まだオンラインという手段も
一般的ではなかった時代。

mixiでの繋がりで
なんとか自分を保つことは
できていたものの
根本的な改善には繋がらず。

本や情報商材のようなものを買って
自分でどうにかしようと思っていました。

その頃にたまたま友人から
臨床心理士さんが近くに
いるらしいという情報を
聞くことがあったのですが。

その臨床心理士さんのところに
行ってみたい!と思ったものの
その友人は、そういう民間療法みたいなのは
危ないからやめた方がいいと
言っていたので、
そういうものなんだろうか…と思い
それ以上のことはせずにいました。


そうこうしているうちに、
いよいよ心身ともに限界になって
パニック発作のような症状が
現れるようになりました。

怒りが強く出る時に
過呼吸になったり
車の運転時にめまいのような
感覚が起こるようになって。

だんだんそれが
日常生活にも影響を
及ぼすようになってきたのです。

このままではもう本当に
自分も子供達もダメになってしまう…!!

そんな危機感を感じた私は、
以前聞いた臨床心理士さんの
カウンセリングを受けに行こう!!
と決心しました。

当時、専業主婦だった私からすると
一回のカウンセリング料金は
ものすごく高額に感じられたし、
自分にそんなお金をかけていいのか?
と何度も悩みました。

でも、もうこれしか方法がない!
と清水の舞台から飛び降りる決心で
その門を叩くことにしたのです。


心の傷を癒す。

文字で書いてしまうと
大したことがないように
思えてしまうかもしれませんが。

それはもう並大抵の苦しさでは
ありませんでした。

海水のように、一度飲んでしまったら
どうしようもなく喉が渇く。

そこに踏み出してしまったことを
後悔したことも数知れず。

そんな苦しみから
徐々に逃れられるようになってきたのは
心のケアを続けて約3年ほど
経ってからのことでした。

私も学びたい!

最初は個人セッションからスタートし、
サイコドラマというグループワークや
精神科医のグループワークショップ、
自助グループなど、
効果があると思えるものは
何でも受けに行きました。

特に私が効果を感じたのは、
サイコドラマを使った
グループでのワークでした。

もともと一人で何かするより
仲間と一緒にやることが
好きだったこともあったからか、
私にはグループでの取り組みが
向いていたようです。

そして、そのワークの場だけでなく
一緒に参加した仲間たちとの
プライベートでの交流が
さらに癒しを加速させていきました。


ただ、そんな中でも
仲間たちがみんな
先生が始めていた育成の講座を
受講しはじめていて。

私は興味はすごくありつつも、
自分にまだ自信が持てなかったり
お金の不安もあって
なかなか踏み出すことが出来ず。

仲間たちと集まっていても
だんだん疎外感を感じるように
なっていきました。

自分も学びたい!…でも…。


そんな葛藤を抱えながら
しばらく過ごしていましたが。

次の募集が出たタイミングで
ようやくその道へ踏み出すことを決めて。

月1回・2年半コースの講座で
車で往復8時間かかる場所での開催でしたが
心理の専門家育成塾に通うことにしました。

学んだその先

塾に通いながら、
もともと好きだった
カードリーディングや
カラーセラピーなども学び、
セッションを提供したりもしました。

仲間と一緒に、地域に向けて
無料で勉強会やカウンセリングを
提供するということもしながら、
無事に専門家育成塾を卒業。

はたから見る分には
次々にやりたいことに挑戦して
順風満帆に進んでいるように
見えていたと思います。

でも、同じく塾に通う仲間の中で
自分が学歴や公的な資格がないことを
コンプレックスに感じる出来事が
たくさんあったり。

その影響もあって
自分の力量以上のことを
無理をしてでもやらなければ!
という思いに駆られて
心身ともにボロボロになっていきました。


また、個人セッションをやるための
認定資格は得たものの、
私が目指していたのは
自分にとってものすごく良かった
グループでのワークが
出来るようになることでした。

初めて受けた時の感動は
今でも忘れることはなく、
自分と同じように苦しむ人が
もっとこの機会を得られるように
なれたらいいのに!!
とずっと思っていたからです。

そして、ようやくその講座を
受講できるところまでは
たどり着いたのですが…

その頃にはもう
グループワークの講座を
続けられるほどの資金が
残っていませんでした。

それまでは、なんとか
貯金を切り崩したり、
通信大学に入るためにも
教育ローンを借りたり、
パートで働いたりしながら
資金を捻出してきました。

でも、そこからさらに
グループワークの講座は
月1回・3年間のコースを
受講する必要があって。

それも、1回の講座料金が
約4万5千円。

そして、平日に
リアル受講しなければならず
さらにパートが忙しい日に
日程が重なるということに。

先生と他の受講生さんに交渉して
どうしてもという日程は
変更してもらうことが出来たのですが…。

それでも、その資金を
捻出するために
パート代を全部そちらに
費やすわけにもいかないので
何とかして、パート以外でも
お金をつくらなければならず。

そんな時、見つけた
起業女子ブームに乗っかり
起業セミナーやコンサルを受けて。

ひとまず個人カウンセリングで
起業して売り上げを上げよう!と
パート・学び・起業
そして、家事や子育てとで
フル回転で動きました。

幸いにも、夫も子供達も
協力的だったので
それなりに動くことは出来たのですが。

とはいえ、まだ駆け出しの自分が
高額でサービスを売るということに
どうしても自信が持てなくて。

ちょうどそのタイミングで
ある高名な心理の先生の
グループスーパーバイズを
受ける機会があったのですが。

そこでも「まだ力もないのに
カウンセリング料金が高すぎる!」
と厳しめに指摘をされて…。

その料金に関しては、
専門家育成塾の講師の先生と
相談して決めた金額だったのですが
同席していたその先生からの
フォローは全くなく。

さらに、起業塾の講師にも
ちょうど同じようなタイミングで
「学びなんてどうせ趣味にしか
ならないでしょ?
それをやって売れるようになるの?
個人セッションでのクライアントも
集められないのに」と言われて。

それに対して、返す言葉もなく…。

その頃、立て続けに
夫や子供が病気になって
入院するという事態もあり。

あまりにいろんなことが起こりすぎて
それまでどうにかこうにか
踏ん張ってきた心は
ボッキリと折れてしまいました。


そして散々悩んだ末に、
グループワークの講座も
起業もやめることにしました。

いつかまたやれる時が
来るかもしれないから…
今はいったんすべてを手放そう。

そう決めました。

手放してからのこと

ずっと長い間
目指してきた道を手放して。

それからは抜け殻のように
生きていました。

自分と家族が幸せになるためにと
心を癒してきたかいあって
父の自死を助けられなかったという
強烈な罪悪感も手放して。

母との関係も劇的に良くなって。

健全なコミュニケーションも
学んで実践してきたことで
夫や子供達との関係はかなり良好で。

周囲の人からも
本当に仲の良い家族だと
羨ましがられるような状態になりました。

結婚した当初からは
考えられないほど
生活環境も良くなって。

それだけでも十分
自分がやってきたことの
成果は手に入れていました。


やりたかった事を手放して
グレーに見えていた世界も
徐々に色を取り戻して。

このまま普通にパートで働いて
子供達が成長するのを見届けて
夫と2人で静かに生きていく。

それでも何の問題もない。

だから、これでいいじゃないか。

何度もそう思ってきました。

でも…本当にこのままでいいの?

そんな小さな声が
時折、心をかすめるんです。


それでもやっぱり挑戦したい!

いつかまた、出来る時がきたらやろう。

そう思って手放した夢でしたが。

そんな中、自分が婦人科系の
大きな手術をしたり。

娘がアレルギー性の病気で
症状がひどくなってしまったり。

コロナ禍が始まったばかりの時に
ちょうど息子の進学が重なった上に
進学先で病気になって手術をしたりなど
大きな出来事が続きました。

夫も異動で通勤時間が倍になって
生活のペースも大きく変わるなど
いろいろな出来事がありました。

私自身も、パートが忙しくなり、
それにパートのはずなのに
どんどん背負わされる責任が重くなり…

特にこの数年は、
人の入れ替わりも多く
休みが多い他のメンバーの分も
仕事をしなければならない事も多く
早出・残業をするのが当たり前。

子供達に手がかからなくなって
残業は出来るようになったけれど
帰ってきたらヘトヘトな毎日。

その状況を改善しようと
いろいろと試みてはいますが
どれもこれも上手くいかずに
結局、元の木阿弥に戻ってしまう。

アラフィフになって
どんどん自分の身体の衰えも
感じるようになって。

いったい、いつまで
こんな生活が続くんだろう…。

このまま、ただ消耗して
歳をとっていくだけなんだろうか?

田舎で働き口があまりないからと
今の職場で留まって
パートでいいように使われて
どんどん心も身体も擦り減っていくだけ。

ほんとうに、それでいいの?

ちがうよね!?
もっとやりたいこと、あったよね!?


だから決めたんです。

もう一度、挑戦することを。

何ができるかわからない。

でも、このままただ衰えて
死んでいくのはいやだ。

自分がやってきたこと
培ってきた経験を
もっとこの世の中で活かしたい。

表現して、伝えていきたい!!

それが今の気持ちです。


こうしてnoteで
書いていくこともですが。

これからYoutubeにも
チャレンジしていきます!

いまが一番若い!
アラフィフパート主婦の挑戦を
どうか見守っていただけたら
そして応援していただけたら
泣いて喜びます(笑)


ここまでの長い自己紹介を
読んでいただいて
ありがとうございました。

これからもよろしくお願いいたします!


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