価値観が合うな。と思っていた人の話
私は、音楽が好き。
自然の中で過ごすのが好き。
家族が好き。
動物が好き。(犬、猫、うさぎは特に)
おめでたい話を聞くのが好き。
散歩中の犬を見るのが好き。(人んちの)
たまに食べるジャンクフードが好き。
おばあちゃんの知恵的なことを知るのが好き。
人によって、好きなことや興味の対象はもちろん違う。
初めて出会った人や、あまり話したことのない人と、興味や趣味の話題で盛り上がると、価値観が似ているのかも?と、心の距離が縮まって、一気に近しい関係になれたような気になる。
でも、忘れてはいけない。
いくら価値観が近そうな人であっても、
人と自分は、なにもかもが違うのだ、ということを・・・
先日、共通の趣味を通じて仲良くなった知人と、あることで少しモメてしまった。
どうしてこうなったのか・・考えてみた。
思い返せば、「共通の趣味がある」ということ以外で、その知人と共鳴できる部分は、ほとんどなかった。
それどころか、第三者に対する立ち回りや振る舞い方に「それってどうなの・・」と感じることも多々あった。
しかし、共通の趣味を介して定期的に会う機会が増えたことで、距離感も自ずと近くなっていた。
距離感が近かったことで、目につくことが増えていった、ということもあるかもしれない。
「趣味を共有できる、大切な仲間」と思っていたからこそ、関係性を壊したくない思いが先行するばかりに、違和感を感じてもこちらから意見したり、声をあげたりすることが、出来づらくなっていたように思う。
気付けば私は聞き専になってしまい、結果、あるモメ事に巻き込まれることになった。
人間関係において、「口を挟まずに相手の話を一旦聞く」プロセスは大切だと思っているが、自分を押し殺してまで聞き専でい続ける必要ってあるだろうか。
相手がいてこその人間関係なのだから、敬い合えてこそ、大切にし合えてこそ、友人になれるのではないか。
知人が「知人」止まりなのは、そういうわけだ。
知人には「自分」以外に大切にしたいことがなさそうだった。
よく考えてみると、この知人は「共通の趣味がある人」ではあったが、意味のない話で盛り上がったり、ムダな時間を過ごしたり、忘れられない体験をしたい相手では、残念ながらなかった。
仕事でもプライベートでも、家族でも友人でも、相手を尊重できなくなったら終わり。
自分に敬意を払ってくれない相手と、付き合い続ける価値も意味もない。
時間は有限。
人生も長いようで短い。
共通の趣味があるということで、価値観が「似ている」人だったのかもしれないが、決して「同じ」なのではない、ということに、改めて気付かされた一件だった。
人間関係ってほんと難しい。
良い距離で、お互いを敬って、付き合い続けられる関係ってすばらしい。
そんな人たちを、大切にしていかなくちゃ。