苦痛の2週目(中国留学記)
二週目、なおも苦痛である。祝日があったのでこれから控える数々の課題に取り掛かる余裕はあったが、あまりに怠惰で僅かにしか進まなかった。
課題となっているルソーの『人間不平等起源論』を中国語で買って読んでみた。まとまりがなくどこに向かうか分からない文章で、中国語の難しさと相まって自信を持って読むことができない。諦めて日本語の電子書籍を買ってみると、日本語の訳には小見出しが追記されていて読みやすい。母語は視覚を通して情報を直接脳に送り込んでくれる。日本語で読むとこの本は今ここで書く必要のない細かな脱線が多いと分かった。そして僕はまだ中国語で取捨選択ができないのだなとまたひとつ不足に気がついた。
ある授業ではゲストが来て英語での講義を聞いた。元来英語が得意で、好きで、これまで僕をたくさん助けてくれたのに、今回は裏切られた。英語を聞くと細切れに情報が飛んできて頭の中で勝手にまとまらない。質問をしようにも、先に出てくるのが中国語で簡単な言葉すらも出てこない。自分ってこんなに英語下手だったっけなと、がっかりの追撃を受けた。
二つの言語からボコボコにされると、残念ながら日本語に頼らざるを得ない。日本語でノートを取り、分厚い本は日本語の訳を探す。すると、1日の学習時間に占める中国語の割合が大きく減ってしまう。修士課程に来たからには学業こそが僕の義務であって、語学に集中したいなら語学学校にでも通えばよかったんだ。ただ不思議なことに、かつて語学留学に来たときは中国語を使って学ぶ方が語学力が伸びると信じていた。それが正しいかはさておき、隣の芝生は本当に青く見える。週に18時間中国語を聴き続ける修士課程と、週に30時間先生の優しい中国語を聞いて、何かしら反応しようと試みる語学学校、多分後者の方が言語の運用能力は上がると思う。とはいえ今こうして書いてみると、やっぱり中国語で学んで経験したことない困難を味わうのも悪くないなと思い始めた。二行で考えが変わる簡単な人間だ。
先週に引き続き、歴史を勉強しないといけない。そしてそれを中国語で説明できるようになり、英語で説明できるようになりたい。英語であれ中国語であれ、何も話せないのではなく、聞き取った内容を要約して記憶できないから何も浮かばないのである。耳は今すぐ改善することはできないから、知識とそのアウトプットの蓄積に今は励まないといけないように思う。