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和を知る土地(ち)

和の地を歩き、

和の地に今も流れる月日の流れの一部となる。


そんなに和から離れては

明日は来ないよ。


ぐるりとまわる”自然”という法則でできた和のなかでしか、

私たちは生きていられない。


調和というどこまでも広がってすべてを包み込む法のなかでしか、

私たちは生きていられない。


すべては必然で、今偶然と呼ばれているものは、まだ因果関係の発見されていない必然の仮の名だよ、とも言うけれど、

そうではなくて、ひとつひとつは偶然で、

それを勝手に繋ぎ合わせて、必然と呼んでいるだけなのかもしれない。


今私を慰めようと、肌を潤してくれた雨粒は、

偶然私の肌の上に落ちたもので、

それでもその雨粒に自然の優しさを感じた。

もし窓を閉めていたならば、

その時は、何に勝手に心を動かし、

自然の優しさを知った気になるのだろうか。


またある雨粒は、自然の怖さを誰かに教えるだろうが、

それもまた雨粒も私も”和”のなかにいるため。



私たちはみな、和を知る地にいて、

それでいて、その意識は深く深くにあるものだから、てんで和を知らないのかもしれない。

この地に吹く、月日の風を遡っていったなら、その意識に戻れるのだろうか。