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いまだに李琴峰は反日だと騒いでいる人たちとか
最近新聞に出たりしているから、また3年前に私が芥川賞を受賞した時「忘れてしまいたい日本語は『美しいニッポン』」発言を引き合いに出して、「李琴峰は反日だ」「こんなやつに芥川賞を与えるなんて芥川賞も地に落ちたな」とか騒いでいる連中がいるらしい。
こんなのとか。
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こんなのとか。
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こんなのとか。
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こんな脅迫も届いた。
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そういえば2021年7月に、鈴木傾城という右翼ライターが「李琴峰の芥川賞受賞は、反日左翼による日台離反工作かもしれない」というとんでもない陰謀論を広めていたので、反論を書いたね。ここに再掲しよう。
どうせ叩きたいだけの連中には届かないだろうけれど、「美しいニッポン発言」の真意について、私はこれから何度も疎明している。
例えばエッセイ「思い出し反日笑い」(『透明な膜を隔てながら』に収録)には、こう書いた。
さて、七月中旬、芥川賞を受賞した直後の記者会見で、記者の方から「忘れてしまいたい日本語は?」という質問を頂いた。非常に難しい質問だった。何故なら、私は日本語を愛している。自分が努力して覚えた言葉であれば、たとえ「クズ」や「阿呆」といった罵り言葉でも、私は忘れたいと思わない。忘れたい日本語なんて、そう簡単には思いつかない。一回スルーしたが、繰り返し質問された。どうしたものか。私は受賞作『彼岸花が咲く島』を思い出しながら、何か手がかりはないか考えた。すると、作中に出てきた「美しいニッポン」という言葉がふと脳裏に浮かんだ。我ながら完璧な答えだ。作品の内容を踏まえているし、政治への警鐘も込められる。この答えを思い当たった瞬間、私はクスッと「思い出し笑い」を浮かべた。
ところが会見後、ネトウヨたちはこの部分の応答を切り取った動画をネットに上げ、拡散しながら盛大に騒ぎ立てた。どうやら私の「クスッとした思い出し笑い」は、彼らには「クズが日本を鼻で笑った」ように見えたらしい。とんだ濡れ衣だ。自分の笑いがあんなふうに曲解されるなんて、まさに「予期せぬ笑い」だ。
このことから私たちが得るべき教訓は、思い出し笑いは慎むべきだということ。見る側の解釈一つで、「思い出し笑い」がいとも簡単に「反日笑い」になってしまうからだ――少なくとも阿呆なネトウヨたちにとっては。
そして、6月下旬に刊行予定の新刊『言霊の幸う国で』(書き下ろし1000枚、34万字!)でもこのことに言及しているので、ここで当該箇所を先行公開しよう。
(『言霊の幸う国で』はもう予約できるのでぜひご予約ください!)
記者会見はおおむね順調だった。唯一応答に困ったのはニコニコ動画の担当者が代読した、ユーザーからの質問だった。
「私は今、日本に留学して日本語を勉強しています。柳さんの好きな日本語と、忘れてしまいたい日本語があれば教えてください」
芥川賞の記者会見では毎回、ニコニコ動画のユーザーからの質問が読み上げられるのをLも知っていたが、留学生からの質問とは予想外だった。Lもかつては留学生だった。今質問しているこの留学生も、いつか日本を支える人材になるかもしれない。そう考え、Lはなるべく真剣に、誠実に答えてあげようと思った。
「好きな日本語」はすぐに思いついた。「せせらぎ」や「木漏れ日」など、中国語ではなかなか対訳が見つからない四文字の和語を、Lはずっと美しいと思っていたので、それを答えた。しかし、「忘れてしまいたい日本語」とは――
「嫌いな日本語」なら、いくらでも思いつく。「レズ」「ホモ」「オカマ」「おとこおんな」など、他者を決めつけ、貶めるためだけに存在するような言葉は、日本語にも無数に存在する。「社会人」や「学生気分」といった言葉も嫌いだし、「~か国語」という言い方は、一つの国には一つの言語しかないという誤った前提に基づいているので、やはりLはなるべく使いたくない。
このように「嫌いな日本語」ならいくらでも挙げられるが、しかしそのどれもが「忘れてしまいたい日本語」とは言えない。なぜなら、Lは日本語を愛している。どんな汚い言葉であっても、それはLが地道な努力を通して記憶し、習得したものだ。それらの言葉の一つひとつに、Lが日本語と向き合ってきた歴史が宿っている。使わないという選択はできるが、忘れるという選択はできない。
どうしても思いつかないので、Lは一回、この質問をスルーした。しかしニコニコ動画の担当者は繰り返し質問した。Lは困り、暫く考え込んだ。受賞作「彼岸花が香る島」に、何かヒントはないだろうか。
そしてふと、「美しいニッポン」という言葉が思い浮かんだ。これだ、とLは心の中で叫んだ。
「美しいニッポン」は今回の受賞作でも登場している言葉であり、作中では排外主義者に乗っ取られ、ディストピアと化した遠い未来の日本を指している。記者会見の場にいる記者は基本的に受賞作を読んだ上で来ているので、この前提は共有されている。加えて、「美しい国ニッポン」は安倍晋三をはじめ排外的な右派が盛んに用いているスローガンなので、それに対する皮肉も込められる。Lは、文学は社会や政治とは切り離せないと考えている。作品世界と現実世界を横断する「美しいニッポン」という言葉は、まさしくLのそんな信念を象徴しているとも言える。保守政治家や右派のプロパガンダに多用されたため、今や手垢まみれになっているこの可哀想な言葉、「美しいニッポン」。今の使われ方を、まさに一回忘れてしまわなければならない、とLは思った。一回、政治的プロパガンダとしての「美しいニッポン」を忘れてはじめて、「美しい」という言葉の持つ本来の意味を取り戻すことができる。それこそ「『美しいニッポン』を、取り戻す」だ。
Lは、咄嗟にこの完璧な答えを思いついた自分を褒め称えたい気持ちになった。これほど完璧な答えは他にあるだろうか。
「忘れてしまいたい日本語……美しいニッポン」とLは答えた。狙い通り、会場にいる記者たちから笑いが巻き起こった。Lは記者たちの反応に満足した。
※一応説明しておくと、『言霊の幸う国で』は私・李琴峰自身と似て非なる人物「L」を主人公に据えた作品です。「似て非なる」なので、いわゆる「私小説」ではありませんが、上の段落の描写は私自身の経験を写し取ったものです。
要するに、私が「忘れてしまいたい日本語」に「美しいニッポン」と答えたのは、日本が嫌いだからではなく、日本と日本語が大好き過ぎたからだ。
そもそも、たまたま日本で生まれ育ったってだけで「日本大好き」と連呼している連中とは違い、私は自らの意思で日本語を習得し、日本に住むことに決めた。日本と日本語に対する愛は、連中に負けるはずがない。少し考えれば分かることなのにね。
届かない人には決して届かないのは分かり切っている。でもこの文章を読んでいるあなたには届いてほしい。
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