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スムージーを飲む女たちと白子を食べる色物としての女

素敵な男の人を見たとき、「素敵!」ってなる(ことよりも)のと同時に、ああ、男になりたい!って感じるのは異常だろうか。男に生まれていたら、金玉が私にあったなら!身長が高かったなら!(身長が高くない男の人もいるが)

最近、本気でちんこのことを考えている。普通に性的に考えることもあるのだが、最近はもっとマクロに考えるようになったのだ。なぜ生物学上の性別(セックス)は、人間において2種類だけなのだろう。もし2種類でなかったら、何らかの不都合があるから2種類なのだと思うが、不都合とはなんだろう。男にとってちんこが本体なのか、ちんこでない部分が本体なのか。人間が高いビルを建てたり、料理を生み出したり、なんか色んなシステムを作り出したりできたのは、ちんこからのエネルギーによってではなかろうかなどなど。(この現代までで、色々な主導権は男によって握られていた可能性が高いことから生み出した仮説。その可能性は男によって書かれてきた可能性が高い歴史から発生した可能性である。そうでない可能性もあるのだが)。

男になりたいと思うのは、世の中にたくさんある、男であることで得られるアドバンテージを得たいということが動機となっているのではない(もちろん、得たいが)。なんとなく、違うのだ。そうではないのだ。

ダサい男を見て、「男になりたい!」と思ったことはない。そういえば。つまり、何らかのかっこいい要素(それは普遍的なものではなく、私の個人的なツボ)を見たときに「男になりたい!」と思っていたらしいのだ。

なんとインクルーシブでないんだろう。とても部分的である。部分的であることを認識していないと大変なことになりそうだ。兄が欲しいと周りに言いふらしていた時代のことをうっすら思い出した。

白子とバナナを食べます。


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