こういう気持ちを作品にするのがnote人なんじゃないのか。
いらつく。めちゃくちゃいらつく。
いらつくし、とても厭だ。
私は日韓ワールドカップの年に生まれた(望んでないけど)。だから単純に計算して、もう20歳なんだが、そんな私が「早っ!」って思った出来事がある。
結婚
である。
結婚
なのである。
「Liちゃんが結婚するまで生きなきゃいけないからね!」
ごめん、おばあちゃん、だったら不死の身体を手に入れなきゃ(手に入れることを検討しなきゃ)だね。
ついに来たか、と思った。
こうやって、最終的には「孫の顔が見たい」ってセリフになっていくんだろうな、と軽く絶望(と書いてみる)。
早くないだろうか。私は早いと感じる。だって、この間まで、ずっと二次関数とかやってたんである。xとかyとか言ってたんである。
私のマンコに、誰のかは知らないけど、その誰かのちんこを突っ込んで、子供を作る。セックスしろ、と。
無理やり膣の入り口をオイスターナイフでひらかれて、ふっといペニスをぶち込まれている気分であった。いや、実際に「孫の顔が見たい」とはまだ言われていないのだが、気分としてはもう言われたも同然だ。
いや、これはあまりにも多くの人に言及されているもので、私が敢えてここで書く意味は、もはやほぼないと言ってもいいのだが、書こう。
突然化粧をしろ、と言われる。ついさっきまでは、化粧なんかするな、と言われていたのに。それはつまり、自分の足の間に、穴があることの強い認識を対象者に促す。突起ではなく、穴。受け入れる側。
これは私だけかもしれないが、そしてかなり「雑」な発想であるが、男を見てると、特に男が何人か一緒にいるとき、あ~こいつら全員ちんこついてんだよなあって思うことがある。それは羨望にも似た気持ちである一方、軽蔑にも似た気持ちである。もし仮に、人間の体温にいろんな仕組みが耐えられるのならば、その臓器を外側にぶら下げて生活することもなかったろうに。私はペニスをもったことがないのでわからないが、邪魔なんじゃないかと思う。邪魔だから、それを意識しないことができないのではないか。ある人はそれをまつりあげて、まるで男性の象徴のように扱っている。
中にあるより、外にある方が、意識として入ってきやすいのは、きっとそうだろう。
少し戻ると、それって男が女に向ける感情でよくあるやつじゃないか?羨望と軽蔑ってそうじゃないか?
化粧をしろ、という助言(と書いて、命令と読む)を、ある時期を境に、私たちに突然に浴びせるのならば、男の肉体を鑑賞してもいいのだと、声高に述べてほしい。「若い女の子なのだから、新しい洋服を着て、きれいにならなきゃ」という有難いアドバイスをくれるなら、それと一緒にペニスの飲み込み方を順を追って説明してほしい。
なぜなら、本質的には同じことだからである。一つのまるいものを、どの角度から見るか、というだけだ。
牛を見て、ステーキが食べたい、と言う。
私を見て、孫が見たい、と言う。
表現とは、そういうことだ。