台湾ドラマ(を見て自分)で学んだ、恋愛にがつがつしなくても(別に)いい(んじゃね)という心の持ち方
恋愛にがつがつできない。
別に明日会えなくてもいいと思ってしまう。
私はそんな人間だった。私が今まで付き合ってきた男たちは、自分が与えた愛に対して、相手(つまり私)からの愛が足りないとする男たちだった。
「好きだよ」って言われても、正直「ふ~ん」って感じなのはまずいのか?!
「好きだよ」と言われたら、「私も好きだよ」と言わなきゃいけないことはわかっているのだが、好きじゃないから言えねえ!っていうか、そんなセリフくさすぎていえねえ!っていうか、こうやって二人で言葉の交換をしているところを私みたいに性格の悪いやつに見られて、裏であざ笑われていたら、私のプライドが許さねえ!
だからそもそも恋愛が向いてないんだと思う。意味のないLINE返すのめんどくさいし、メシは一人で食った方が美味いし、カップルでごった返すテーマパークだのに行くのはマジであほらしいし。金払って張りぼての世界に飛び込むのは何が楽しいのか。いや、私が今生きているこの世界も立派な張りぼてなのか?
とにかく人といるということが基本ストレスになってしまうのかもしれない。例えば、ご飯を食べているときに、話しかけられるのはいいのだが、基本私からは何も話さない。基本無口なので、その無口をなんとか変えようとする状況にいることがストレスなのだ。
カップル見ると、なんであなたみたいな綺麗な人がこんな男と付き合ってんの?!って軽い衝撃を受けて、もしかしたらこの男ビル・ゲイツぐらい金もってんのかなとか考えちゃうの止めたい。
正直やれればいい。やるために付随する様々なタスクがめんどくさすぎて、重すぎて、無理なのだ。セフレは多い方がいいが、恋人はいらない。少なくとも今のところ。
私も稚拙なので、メディア、主に私の場合はテレビの言う通りになされてきたと言うこともできる。女の子には恋愛は必須で、「好きだよ」と言われたら、うれしいのだと。無条件にその言葉にうれしくならなければならないのだと。
ある台湾ドラマを見て、案外恋愛にあっさりした登場人物が出てきて、私はすっかり安心した。あ、これでいいのだと。何か演じなくてはいけないプレッシャーから解放されたというか、このままでも別にいいんじゃね、という一応の解決策を与えられたというか、そんな感じでよかったと思ったのだ。
遺伝子的に、絶対的に、合わねえ!