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読書記録『ただしい暮らし、なんてなかった。』
「一万円選書」で選んでいただいた10冊のうちの1冊。
※アフェリエイトではありません
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作品について
ただしい暮らし、なんてなかった。
大平 一枝 著 平凡社
(発売日:2021年12月3日)
内容
かつてのわたし、いまのわたし。
モノも友達もスケジュールも、もうそんなに足さなくていいと気づいた――。
家事のルーティーン、モノの持ちかた・手放しかた。人付き合いのコツ、心身のケア……。たくさんのトライアンドエラーをくりかえした日々の記録には、無理をしない、背伸びしない、心安らぐ暮らしのヒントがたくさんつまっています。
一万円選書での最後のエッセイ。
私がこれまで手に取ってきた単行本は、白い紙にパキッとした黒い文字で印刷されているものが多く、目がチカチカすることがあるのですが、本書は白い紙にややトーンを落としたダークグレーのような文字で印刷されていて、開いた瞬間に思わず「優しい」とひとりごちてしまいました。
変わることは自然なこと
考え方の変化、モノとの付き合い方の変化、人との関わり方の変化、身体の変化、生活の変化。世界も自分自身も変わっていくのだから、それらも一緒に変わっていくのは自然なことですよね。
一度好きになったものはずっと好きでい続けなければいけないとか、一度関わった人とは関わり続けなければいけないとか、「全ての人が絶対こうでなければいけない」なんてことは存在しない。
続けることも大事なことではあるけれど、その時々の価値観や生活スタイルに合っていないのに、「続けなくちゃ」だけで頑張り続けるのはしんどいです。
本書には、「以前はこうだったけど今はこう思えるようになった」というエピソードが詰まっていて、「なるほど、確かにそうだな」と納得、共感するところがたくさんあり、今の私にしっくりくる1冊だと思いました。
この先も自分の”好き”のものさしは変わり続けるだろうし、変わっていいと思っている。残すもの、手放すもの。それぞれの理由を探りながら、歩いてきた日々を懐かしむ。
人づきあいもほどほどの距離感で
相手のすべてを知らなくていい。
自分のすべてをわかってもらおうとしなくてもいい。
寄り添っていれさえすれば、気持ちは同じでなくてもいい。
そう思ったらずいぶん心が軽くなった。
「相手のことをきちんと理解しなくては」「なんで分かってくれないの!?」人間関係の中で付いて回るこんな感覚、あるあるですよね。
私は若い頃から「自分以外は全員他人」「脳みそを共有しているわけじゃないんだから分からなくて当然」とよく言っていました。周りからは「冷たい」とも言われましたが、本当に言いたかったのは上記の引用のようなことだったのかも。
近すぎても遠すぎてもボヤけてしまうから、1歩2歩引いたくらいの距離がちょうどいいのです。
また、次の箇所にはドキッとしました。
「ねえママ。傲りは許容量の邪魔をするね」
"自分はそんなことぐらい知っている"と思っている人と、"自分はなにも知らない"と思っている人とでは、同じ知識を得ても受け止め方の深度が変わる。
〈中略〉
要するに、謙虚でない人は損をするという話である。
自分の得意分野では特にこんなことが起こりがちです。
慣れ親しんでいないものの話を聞くのはとても好きで、乾いたスポンジに水を含ませるようにぐんぐん頭に入ってくるのですが、よく見知ったものの話となると、「それは知ってる」「自分の解釈とは違うな」となり、聞き流してしまうことがあります。流れていった言葉の中に新たな発見があったかも知れないのに、非常にもったいないことです。
どんなことでもはじめましての気持ちで向き合うのは大切ですね。
刻々と変わっていくから
20代の頃は少し体調が悪いくらいで休んだりしませんでした。
昭和世代の悪しき固定観念か、「休むことは悪いこと」って刷り込まれていたように思います。実際に「風邪ぐらいで休みやがって」とベテランが口にするのを何度も聞きました。
でも歳をとるままにしていると自然治癒力が衰えてしまいます。
私も最近は無理が効かなくなったと身に染みています。
きつかったら休む。できないと言う。苦しいので改善したいと申し出る。そうしないと自分の体を壊すだけでなく、結果的に周りにも迷惑をかける。
「無理をしないで」「頑張りすぎないでね」。よく使われる言葉だが、そのまま守れる人はどれくらいいるのだろうか。この世の中、じつは頑張らないことのほうがずっと難しい。
絶対自分でなければいけないことを除いて、もっと周りの人やサービスに頼ってもいいのかもしれない、と感じています。
全て手作りじゃなくていい。省略できるものは省略したっていい。
刻々と新しいものやサービスが生まれては消えていく時代、その都度自分の暮らしにあったものを取り入れては手放してを繰り返し、”ごきげん”を維持できるくらい肩の力を抜いた生活を送りたいものです。
それは水のようにたゆたい、変化してゆく。肩の力を抜いて楽に、欲張らず、もう少しだけゆっくり生きよう。
〈中略〉
軽い荷物で歩いていきたい。正しくも、きちんとしていなくても、人生は勝手に巡ってゆくので。
人生100年時代、まだ折り返しにも立っていません。
かといって若い頃と同じというわけにもいかない。
食事、人付き合い、仕事、家事、その他暮らしのあれこれを柔軟に変化させて、ごきげんに歳を重ねていければ幸せです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。