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必要なものは変化していく

文具の物欲が爆発していることを受けて、割を食うように処分されていくそのほかの様々なもの。
スペースを圧迫していたものを手放してすっきりしたと感じる反面、使われるために生まれてきたものたちを全然活用できていなかったと猛省する。

例えば、ダウンのロングコート。
若い頃から必ず備えていた。
電車通勤だったし外出が多かったから、1軍の外套として活躍していた。
汚れたり痛んだりすれば、その都度 新調するのが当たり前だったのだけれど、車通勤に変わったことと昨今の温暖化によって、さほど重装備でなくても冬を越せるようになってしまった。
2年前、いつものようにダウンコートを新調したものの、「着なければ」と使命感にかられて1度袖を通しただけだった(でも暑くて脱いだ)。
朝晩肌寒くなって、冬のワードローブを考えたとき、ロングコートはおそらくもう必要ないだろうという結論に達した。
買取店に持って行ったけど、くつした1足買えるかどうかの額にしかならなかった。ウン万円のダウンがウン百円・・・
気に入っていたのに活躍させてあげられなくてごめん。
買取額は散々でも、本当に必要としてくれる人に迎えられてほしい。


例えば、通勤バッグ。
今の職場へ入る時の面接のために購入した。スーツに合わせても問題ない、真面目な見た目のトートバッグだ。
無事に入社できたが、カジュアルな社風のためそんなかっちりしたバッグで通勤する人はいない。
安月給ながら居心地がよく、転職も今のところ考えていないから、こちらも必要になる場面は今後やってこないだろう。
ダウンと同じく慰めにもならないほどの買取額だった。

他にも洋服や雑貨など数点を買取店に持ち込んだが、買取合計は760円。
持ち込んだ中で一番安価だったものすら買えない結果だった。
私の財布が温まることはなかったものの、ゴミに出さずに済んで少しほっとしている。買取不可だったユニクロが2着あって、こちらはリサイクルボックスに放り込むことにしよう。

断捨離にはまったとき、ものを処分しまくる私に母がよく言っていた。
「捨てるために買ってるみたいやな」
もちろんそんなつもりはない。
でも、浅い考えでものを買っていたことは確かだ。
あの頃よりは多少考えて買うようになってきたけど、今回の事でまだ修行が足りないと感じた。


シンプルに暮らしたい。
お気に入りのものに囲まれて、ゆったり穏やかに暮らしたい。
迎え入れたものを大切に丁寧に使いたい。
そう思っているのに、暮らしは全然シンプルじゃないし、ものも全然大切に使えていない。
そして、もっと活用するはずだった何かを手放すたびに心を痛める。

これは未来の自分への戒めだ。

過去の自分に必要だったものが、この先の自分にも必要とは限らない。
老いていくし、それに伴って価値観や生活スタイルも変化する。昨日と同じ明日なんて存在しない。
未来の自分を想像する力を養わなければ、きっとまた同じことを繰り返してしまう。それは自分の心にも、お財布にも、地球環境にも優しくないことなんじゃないかと思う。


断捨離で「ごきげん」を掴んだあの頃のように、価値観を再構築する時間が今の自分には必要なのかもしれない。


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