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>>Vol.034,037

ご無沙汰しております。

年末年始、息するように昼夜逆転。好きな時に好きなものを食べ、好きなものを観て、怠惰極めてはや1週間、どうも私です。

一方で矢花くんをはじめとするJrのみなさんは
舞台してカウコンして舞台して…その他にも色んなお仕事があってそれをこなしておられるわけですよ…すごい…偉い…最高…
2021年、大変お疲れ様でございました。


そんな今年の振り返り〜〜の前に、まずはVol.034の話題について書いていこうと思います!


〜ほんへ〜

今回のお話の中に出てきた
『意識的に普通を選ぶ』ということは
"自分 対 人" の場面において、
'自我を出しすぎないための対処' の意味を持つことになるかと思うのですが、

そうですね…私もこれを利用して対人関係を築いているなと思いました。
でも、私の場合は"相手と近づくこと"ではなく、"相手と距離をとること"を目的としているかもしれません。

というのも私は  >>Vol.006 の通り、他人に対しては素の自分ではなく"表向きの自分"で接しているわけなのですが、
その"表向きの自分"を作るために
素の自分に『普通』を調合しているんですね。

矢花くんが出した例の
「マニアックな話になりすぎないように分かりやすくブログを書く(普通に近づける)」
というのは、相手に歩み寄るためのある種配慮としての『普通』の選択ですよね。

一方で私の場合は、
「素の部分に踏み込ませないようにバリアを張る(普通に近づける)」
というように、配慮とは逆の自分本位な拒絶心がベースになっているんですね。

自我の濃度を『普通』を足すことで調節している点では一見同じに見えますが…不思議なものですよね


じゃあそれでいくと私は人と関わる時は常に『普通』であるのか、という話になりますが…うん、そうでもあるし、そうでもない。

私が『異端』である時は
対自分の時と、何か創作物を作る時です。

自分自身に対して異端なのは大前提ですが、
創作物には受け取り手がいて、間接的にですがその人たちと関わることになるとすると、それは彼らに『異端』を見せていることになりますね。

(とか言って、私の創作は85%くらい自分のためにやってるので、積極的にみなさんにお見せしよう!という考えではないという部分もありますがまあまあまあ、)

何かを作る時は本心を、本音を示したいという意識があります。"純"ですね。"純"を記したい気持ち。

だから私は、冬の歌詞を書く時に
どんなに分かりにくい表現であっても、
それが私の中で生まれてこう表したい、と思ったものなら曲げないですね。
表現には…表現にこそ自分のものでなきゃ意味無いっていう意識がある故ですね。

でもこうやって、常に自分のいいと思う方を選択できるのは私がそういう環境にいるからであって、
アイドルでアーティストで、人との繋がりが常である矢花くんは、『普通』を選ばざるを得ない時が何度だってあるんだと思います。自分の意思じゃなくても、誰かに求められてそうしなきゃいけない時が。

だけど、そんな中でも異端であり続けられることは本当にカッコイイし、
そんなカッコイイ人が6人も集まっている7MEN侍は最高です。
私も、みんなが異端児と称されていることがとっても嬉しいです。


少し違う話になるんですけど、私は中・高の頃、スピーチやレポートを書く時に、ちょっと違った角度から物を言うってのをよくやっとりました。そしたら案の定それで良い評価をもらったり褒められたりして、それを快感としていたのですが、これぞ『異端』の選択って感じですよね。

そしてそんな選択を繰り返していくうちに、そういった人に見せること前提の創作物においては、今や半無意識的に異端を選んでいるように思います。今年出した課題やレポートを見返すと、どれも"異端感"に溢れていました。(ち、違うもん…尖ってないもん…🥺)

これは果たして、
『異端』を意識しすぎたゆえ、今『異端』がデフォルトになっているのか、
元々『異端』のポテンシャルがあったのを、意識によって引き出されたのか。
どういう過程を経てきたのかは定かではありませんが、

いずれにせよ、創作物において『異端』であることにこだわっているというのは、
どこかで『普通』をつまらないと思う瞬間があったってことなんでしょうね。
だから自己満足のために異端を選び、でもそれが結果他人のいい反応を生んで、また自分に返ってくる…
普通も異端も、相手ありきの選択ってことですね。

いやあ、最近ようやく将来を具体的に考えるようになったんですけど、そんな時にピッタリなこのテーマをいただいてね…ありがとうございますねいつも…

実際に私がこれからやっていきたいと思っていることは、誰かの生んだ表現に対して、私の個性を乗せて完成させるみたいなことなんですよね。
だからそれは…『異端』を生かせるものであり、『異端』を誇れるものであり、それによってみんなが楽しんだり喜んだりしてくれるなら、それはもう私も相手もハッピーで最高だよ、という感じのやつです。

ボカしすぎてなんのこっちゃですねすまそん。なんとなくでよいです。


結論、私にとって『普通』は

相手との距離感を保つために自我の強さを調節するためのものであり、

『異端』は

自己満足でもあり、結果周りの可能性をも産んで、自分に還元するもの。

てな感じとさせていただきます🤘


〜〜

でわでわここからは>>Vol.037と今年の振り返りということで、

思い出はベストアルバムな〜〜そうですね〜〜
良かった時を思い出すと良かったことが思い浮かぶけど、もう少し入り込むと全然良くない記憶も普通に浮かんでくるしのぉ…あと昔のブログとか日記見てたらそんなことあった!?って内容もあっておもろい。でも内容より口調がキモすぎて読んでられない。
矢花くんは昔日記とかつけたりしてるタイプでしたか?文字打ちとか書き方、今とギャップありますか?

えーー話が逸れましたが、
ベストオブベストアルバムは走馬灯と考えたら、そこには楽しい記憶だけをいっぱい掲載したいですね🎠


私は割と、今が一番楽しいので、幸せな事だと思います。子供の頃の無邪気さや自由さがなくなってもなおそれを思えるのは本当に、ね。
まあそんなに良くなかった過去を越えての反動的なのもあると思うので、あとは自分の力でどうにでもなってやる!の闘志もあるんですよね。すごい。ほんとに頑張ってほしいよ私。


やりたいことを見つけて、目標達成して、そんな自分をどんどん好きになっていくしすげーなー天才だなーって思っています。(普段こんなん言わんで!!年の瀬なので褒めてます!!)

言うても今の私は対人関係もないようなもんで、やりたいことだけに集中できるような環境で、
アイドルで音大生でいろんな人と関わってお仕事も沢山あって…そんな矢花くんとは状況が全然違うから、何を言うたところで孤独な怠惰の遠吠え(とは)なんですけど、

でも、矢花くんも自分で自分と会話してみたり、自分のこと客観的に見てみたら、
「俺、天才じゃん?」って絶対なれますから。なるでしょ?いやなるよ(圧)

時々、自分に対して無責任で無条件な褒め方をしてあげてみてください。


と、そんな感じで(どんな感じで)2021年こちらこそ本当にありがとうございました!
侍ふが始まり、アクスタ発売も決定し、クリエにサマステ、それぞれの外部舞台などなど…充実しながら成長もして、本当に濃い1年でしたね!

私個人的にも各面で自立・成長したなと思える年で、色々なチャレンジや考えをする中で、侍ちゃんの活躍を楽しみながら一緒に大きくなれた気がして、本当に嬉しいし感謝しています。

改めて、今年もありがとうございました!
来年も何卒!


それから、

いつの時も
矢花くんの今が最高!でありますように。


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