>>vol.008,009
どうも、音楽ド素人です。きゃぴ。
今回はそんなド素人の立場からレスしてみようと思います!楽器をやられている方、音楽の知識がある方からするとお門違いな発言もあるかと思いますが、(生)暖かく見守っていただけますと幸いです。では、
(˘ω˘)ほんへ(˘ω˘)
演奏技術の善し悪しは、めっっっちゃ上手いかめっっっちゃ不足してるかといった、極端な違いがあるときには多少気にしますが、基本的には「弾いてるな〜叩いてるな〜」と思って見ています。(まじの素人)
ただ、「音」として聴いた時には、乗せられた、込められた気持ちや感情や思いが伝わってくるのが分かります。それは、私も何かを表現をする活動の経験があるために、込められたものの存在を認識する癖がついているのか、
はたまた、私が元々"出された音から感情を読み取る感覚"を持ち合わせているために、奏でられた「音」からも自ずと感じ取っているのか、
どんなルートを通っているかははっきりしませんが、ともあれ私にはそんな「音」が聴こえるんです。読点多。
今では私のほぼバイブル的存在で、その「音」に衝撃を受けたバンドがいるので、そのお話を例に挙げてみます。(そういえば彼らもバリバリのネット民だったなあ)(も、とは)
私は音と詞でいうと詞を優先して捉えるタイプで、まずは彼らの作る詞に惚れたんですね。主には"閉じ込めた悲しみや孤独"のようなものを表現していて、ワードチョイスや言葉のつなぎ方も、それはそれは私の感性にぐっと響くものがありました。
が、それを「曲」で聴いた時、「あれ……?」ってなったんです。
悲しいコト、辛いコトを語る詞なのに、曲調は明るくて、「音」も楽しい音でした。当時の私には、『悲しみは悲しみで表現する』という概念が強くあったため、初めの頃は曲を聴くのに謎の拒否反応が出たこともありました(笑)
でも、あまり経たずして『悲しみは楽しく表現する、楽しく表現出来るんだ!』と思えるようになり、なんならその考え方が他の物事への向き合い方のヒントにもなっていきました。
そんな、人の納得すら生んでしまう「音」を聴いた私は、すっかり彼らに魅せられていったわけです。
(後に確認した本人のブログに『ライブでは悲しいことでも楽しく表現したい』という発言があったので、私の直感の解釈とはマッチしていたようです。)
ただ。そこのリーダー/兼作詞作曲/兼ギターボーカルの彼は、歌も下手(と、言いきれてしまうレベル)だし、演奏も上手くはないんです(本人も認めてます😊)。ライブでもしょっちゅう目立つミスをします。
ひっそり地下に生息するようなバンドではあったので、技量ばかりが大切ではなかったのかもしれません。それでも、彼らに心動かされる人は少なくなかったと聞いています。
今回、矢花くんが追加で定義したのは、
"LIVEに限り"「音が苦」より「音楽」であれ!
ということでしたが、
そうですね、
時には技術・技量が最優先される場面があって、
そこでは達成すべき目標に向かって努力しなければいけない、疎かにしてはならない場合もあります。
一方で、心や感情が注目を浴びる場では、腕にこだわるばかりでなく、"いかに表現するか"が大事になることもあります。
ただまあなんといいますか、ね、いかなる場面においても、
"自分はこうである"(矢花くんなら「音を楽しむ」「解放=ロック」)という信念を持ち続ける、曲げない、というのはよいことだと感じます。あなたにしかできないこと、で、あなたであること、あなたの音であること、の、ある種の証にもなりますし。うんうん。そうそう。(納得の強制)
なので私は、これからも矢花くんの生み出す「音」を楽しみにして参る所存です!
>>vol.006で書いたことに通ずるんですが
いろんなアンサーを読んで、それに対して矢花くんもまた考えを抱くと思います、が
ぜひぜひ、気負わず、楽しんでください
"ぶんがく"も「文が苦」より「文楽」です!激イタ重ね!
舞台頑張ってください(^-^)
p.s
私もやるし、髪のお手入れせん?🤘
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