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若さの価値ある経験の忘れ

死んだら、自分らしい姿になる自由さがあるそうです。
年寄りで死んでも、あの世では自分の若い頃の姿になるとの話があります。やはり若い頃の素晴らしさは普遍性あるのかもしれません。
少年が死んだら、自分が成長した青年の姿になる話を聞いたことなく、やはり体験してないことはイメージできないのでしょうか。
死んでもしばらくは、今世の記憶にしか頼れず、全てを思い出すには段階がある、そんな構造なのでしょう。

少なくとも私個人的な生きてる間の記憶、半世紀も生きて感じる若い時の価値です。
若い頃は、大人に言われても全く気づかないでいました。
いいオジサンにだろうと、やり手のシブい男にだろうと、力説して若いって素晴らしいと自分に伝えてきましたが、なに言ってんの、こっちなんて何者でもない若僧で大変なんだからと、アホくさと思ってました。
今はわかります。
かといって、若い頃に戻りたいなんて全く思わないし、やり直したい気もサラサラありません。
しかし今の見識のまま若い頃になったら、もっと上手く輝かせると感じます。

そのように、死んだら生きてた自分をそう感じるのでしょうか。死んで改めて、生きている時の価値を気づくのでしょうか。
生きるなんて大変なんだからアホくさと思っていることが、若僧のアホくさなのでしょうか。

そもそも積んだ経験を忘れてこの世に来るのがアホくさになる不備な設定な気もします。
「忘れてこの世に来るから学びになる」と言いながら、「覚醒とは思い出すこと」とは矛盾している気もしなくもない。
やはり忘れているのはもったいない気もします。


バシャールさんがどこかで言ってた話があります。
人が「忘れる」のは、新しい視点で追体験したいからとのことです。
積み上げた体験を持ったままだと、その時の視点のままで捉えてしまう。
一旦、忘れることで、新しい自分の視点となり新しい自分の学びを思い出していく。
確かに、この世に生きて体験を初めてでも、腑に落ちたり得心したりするのは、どこかで過去の感覚でしているのかもしれませんね。

今の見識のまま若い頃になって、もっと上手い体験をしたい、この想像こそが、あの世から見た視点なのかもしれません。
まあ今世が上手い体験になってるとは思いませんけどね。
あの世に行ったら全ての視点が統合されて、その宇宙の構造を理解するのでしょうか。
楽しみだけど、予習しときたいですね。


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