学校閉鎖空間の外は地獄でなかった
今、塞ぎ込んでいる子どもは、
今の状況に塞ぎ込んでいるだけです。
現代の子供にとってよくないのは、大人との接触が少ないことだと思います。
自分の親や親類以外の大人です。
幼児の時は、ママ友の他のママさん達と交流するでしょう。
小学生以降は、学校の先生という大人と接するでしょう。
その他は習い事などの、講師やスタッフと関わるでしょう。
現代社会は、それ以外が少ないと感じます。
農業地域の社会はよく知りません。
私がいうのは都会や住宅地での生活圏です。
習い事など先では、利害関係がある大人たちです。そこの大人たちも、子供はお客さんの意識は抜けません。
教師の方は、一般社会とはちょっと違う学校の閉鎖環境で活動してる特定された関係です。
もっと、何の利害関係もない、自分の生活圏にいない変な大人や雑な大人との交流が少ない気がします。
私が子供時代でさえ、あまりなかったです。みんなで公園で遊んでると、いかがわしい馴染みの大人がいたりして多少交流ありましたが、そんな感じです。
将棋クラブに通って大人と将棋さしたり、
釣り少年が現場で大人の釣り師に教わったり、
天文好き少年が同好会な天文会に参加したり、
有志的な劇団で大人と混じって演劇したり、
年代問わないサークルみんなで走ろう会みたいのでランニングやロードバイクに参加したり、
ボルダリングにハマって1人で通っているうちに他の大人に教わったり、などなどなど。
なんかこういう交流があると、子供も社会を知ることができるんだろうと感じます。
趣味の活動ですかね、
同じ目的で同じ目線で、世代を超えた交流があると子供にとってもすごく良い刺激になるし、大人にとって刺激になりますよね。
いろいろ問題を抱えている子供は、学校という閉ざされた空間が世界の全てになってる盲目な状態があるんではないでしょうか。
今、思い出しました。
娘の学校での話を聞きまして、登校拒否の少年がいました。彼は部屋で1日中ゲームをしてましたて、担任に頼まれて友達生徒が家に行ったりするのですが交流しませんでした。
しかし、何かのきっかけであるスポーツにはまり、地域の同好会に入って大人たちと一緒に活動してるうちに、学校に来るようになりました。
今や、SNSで、その活動のリア充自慢するくらいです。
学校の価値観にはない、広い社会の価値観に触れると、自分の考えの狭さに気付いたりするのでしょう。いやそんな自覚なんか関係なく、利害関係のない大人に触れると、いろんなことがどうでもよくなるような気がします。
全然話が変わりますが、私が大学生になった時に、某スクールであることを教えるバイトをしました。今まで学校しか知らない高校生が、お客さんである社会人の大人を指導する立場になりました。これは最初はビビりました。
居酒屋バイトなどではお客さんに従う仕事です。
私がやったのは大人を指示しなければならない仕事です。お客さんお客さんなんですけど、私が言ったことで大人が動く、さっきまでクソ高校生だったのに、今のクソ大学生がやっていいのかどうか、恐縮というかなんというか変な感情でした。もちろんすぐ慣れちゃいましたけど。
いい経験でした。同時にもっと前から交流出来てたら、もっとうまく出来たのにと思います。
なので、子供のうちに、閉ざされた学校の中の環境が全てではない、変な大人や雑な大人と交流するのが1番の教育かもしれませんよ。
今は極端に、学校以外は繁華街の犯罪予備軍の大人ぐらいしか関わってません。
それでまた大人はひどいと間違った認識を子供がしてしまいます。
普通の社会人の大人と関わるのです。
大人の方も子供と関わるようにする感覚が大事なのは、以前の記事のような感じになりました。