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国民のため、政策本位を掲げ続ける(玉木雄一郎国民民主党代表インタビュー)

地方自治を捉え直し、権限と財源を地方に移譲すれば 豊かな暮らしは実現できる

―最初にマスコットキャラの「こくみんうさぎ」についてお聞きしたいのですが。

玉木雄一郎国民民主党代表(以下「玉木」)  私より人気があります(笑)。街頭演説のときに横に着ぐるみがいたら、子どもたちとかもみんなこくみんうさぎと遊びに行ってしまって、お父さんお母さんが演説を聞いてくれないほどです。

―すごい人気ですね(笑)。誕生秘話はありますか。

玉木 党のキャラクターを作ろうと考えたときに、大きな耳でいろんな人の意見を丁寧に聞いて、大きな目で社会をよく見ている、国民民主党の姿勢を表すマスコットキャラクターとして生み出されました。伊藤孝恵参議院議員が制作を担当していて、最初はかわいいパンダだったんですけど、やっぱり聞く耳を持った方がいいだろうということで、大きな耳が生えてきた。結果として良かったと思います。

こくみんうさぎ(国民民主党HPより)

改革を進めるのも政治 止めるのも政治

―玉木代表はもともと大蔵省出身で1993年に入省しています。当時を振り返ってみると、98年に「ノーパンしゃぶしゃぶ」が大きな話題になった接待汚職事件がありました。当時、若き官僚とし てどのように見ていましたか。

玉木 当時は主計局にいました。自分たちが夜遅くというか朝早くまで働いているのに、上司は何をやっているんだという気持ちが率直なところありました。ただ一方、その後に橋本内閣の行政改革で 大蔵省が財務省と金融庁に分離されたことが、日本の力を落としたところもあるのではないかと感じています。
 もちろん主計局や主税局は霞が関の省庁の中でも力を持っていましたが、当時は民間を担当する銀行局や証券局も一緒でした。マーケットを常に見ている部署が切り離されて金融庁になり、財務省はある意味で役所だけを相手にする官庁になってしまった。予算編成は省庁の出してくる概算要求の査定作業なので、現場や市場の感覚から遠ざかってしまったということが、その後の日本経済の長期的な低迷につながったのではないでしょうか。

―そこから行政が変わろうと思うと、やはり変えられるのは政治の力ですよね。そこから政治への志が出てきたということでしょうか。

玉木 そうですね。昔はある意味で、まず大蔵省が政治をやっていたんです。政策を考えて、議員に振り当てるようなこともしていたので、私も天下国家を動かしたいと思って大蔵省に入った。それは非常に面白かったんですが、ただ途中から不祥事もあったし、いわゆる公務員叩きの流れもあった。その中で小泉改革のときに、石原伸晃行政改革担当大臣の秘書専門官として内閣府に派遣されて、裏方で支えていました。当時、鴻池祥肇構造改革特区担当大臣と特区制度を一生懸命頑張って、岩手県遠野市に行ってどぶろく特区を作ったのは、私が実際に担当していました。一方で道路公団の改革は、ちょっと具体的な名前は出せないですが、ある政治家のせいで止まってしまったこともあり ました。
 あの時にすごく感じたのは、改革を進めるのも政治だけど、止めるのも政治だということ。裏方でよく見ていて、やはり日本を変えるためには政治がしっかりしないといけない。もちろん役所にも優秀な人材は沢山いますが、試験に受かって官僚になっても、役人がやれる範囲は限られています。政治家は民意を得て選ばれて、そして社会を変えていく存在です。少なくとも憲法には、国権の最高機関は国会と書いてありますからね。そこがしっかりしないといけないという想いも募り、当時野党だった民主党から出馬しました。

真っ当な野党が 日本の政治を進化させる

―選挙区事情もあったと思いますが、与党ではなく野党から出馬したことは、今振り返ってみていかがですか。

玉木 私は良かったと思っていますし、 私の政治の本番はこれからだとも思っています。大蔵省に限らず、役所出身の人は自民党にはいっぱいいるわけですよね。私が野党を見ていて弱いなと感じるのは、役所の事を知らず、法律を知らず、行政の実際の現場を知らずに、ああだこうだ言っている人が多いところです。行政のことも、役人もしっかり知っているような体制の中で、自民党に代わるもう一つの、現実的な政策集団を作らなければなりません。社会党時代も反対ばかりの勢力と言われていましたが。

―二大政党制ではなく1と2分の1(いっかにぶんのいち)政党制とも言われていました。

玉木 はい、当時の55年体制のような形を変えていくために、私のように幅広く行政経験もある人が、真っ当な野党をきちんと形成していくことが、日本の政治を進化させる、健全化させると考えて、出馬しました。
 正直なところ、自民党からも誘われていましたけど、お墓のあるところ、地元でやりたいなというのもあって。私は自分のことを「土着の保守」だと思っているので、地域というのはいろんな人や文化を育むところで、そこを大切にすることができないと、その集合体である国家を大切にすることもできないと考えています。

―郷土愛、愛郷心でしょうか。

玉木 そうですね、ある種の郷土愛。昔は「お国はどこですか」と言いましたが、それは旧藩であったり、今の都道府県であったりしますが、そういった区分や、あるいはそこで形成された伝統や文 化、考え方を私はとても重視しています。そういう多様な、多彩な地方が織りなす日本国という存在がとても大事です。ですから、政治をやるにも自民党ではない現実的な政治集団が必要だと考えたこととあわせて、自分の先祖のお墓があるところで選挙に出たかったのが、民主党から立った大きな理由です。

―玉木さんの地元出身で、かつ官僚出身の偉大な政治家と言えば、大平正芳先生ですね。

玉木 まさに大先輩です。

―やはり心の師のような存在ですか。

玉木 それはあります。私は今、国民民主党で「対決より解決」路線を掲げていますが、単に反対するだけではなく、よく話し合って解決策を見出していこうという政治姿勢を所属議員にも徹底しています。これは大平の唱えた「楕円の哲学」が非常に似ていて、つまり正円は中心点が一つしかないが、楕円には二つの中心点があって、それが時に緊張感と調和を保ちながら成り立っている。
 彼の時代は保革の対立が非常に激しかったので、野党の意見も聞きながら、丁寧に合意形成していこうという考えでした。

―自民党内の抗争も激しかったですね。

玉木 それもありましたね。四十日抗争とか。だから、そういう対立はもちろん政治につきものだけど、でも対立だけでは何も生み出しません。ですから我々国民民主党の「対決より解決」というのは 「楕円の哲学」に通じるものが大いにあります。あとは、非常に権力行使に抑制的であったりとか、文化を大切にしたりとか、そういう大平ビジョンは、私自身も共感するところが多いです。

「対決より解決」の思想的な根幹は大平正芳元首相の唱えた「楕円の哲学」につながる

―田園都市構想なども含めて、まさに地域に立脚した政策という点もですよね。

玉木 そうですね。

野党再編への失望感から生まれた「対決より解決」

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