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初代地方創生大臣に聞く 今こそ必要な国と首長の連帯意識(石破茂代議士インタビュー)

安倍晋三総理の入閣打診を断ったその結果は!?

わが国は人口減少と少子高齢化という内なる危機と国際情勢の緊張という外なる危機の二重の危機に直面しています。両危機では国もさることながら地方自治体の占める役割と責任にも大きなものがあります。そこで、初代地方創生担当大臣であり、国民保護法制定時の防衛庁長官でもあった石破茂代議士から危機時代の地方自治体トップのあり方についてお話を伺います。 

政治家への道、運命の出会い

-まず、石破先生はなぜ政治家を目指されたんですか?

石破茂代議士(以下「石破」) それはもう話は簡単で、田中角栄先生に呼ばれたからです。父親が建設事務次官をしていたので、私は東京生まれなんですよ。私が1歳のとき、1958年の11月に父が鳥取県知事になりました。当時の自民党幹事長は佐藤栄作先生だったらしい。
 1958年に東京都知事が代わるところでした。今の小池(百合子)さんは兵庫の人、その前の舛添(要一)さんが福岡の人、その前の猪瀬(直樹)さんが長野の人、みたいに、東京都知事って東京の人はあんまりならないんですよね。当時も、東京都知事が代わるとなって、「あ、そうだ。今、建設省の事務次官をやっている石破君がいいではないか」とか言って、幹事長のお使いで田中角栄先生が建設省に来られた。「幹事長がぜひ東京都知事にと言っておられるが、どうかね」と言ったら、うちの父親が答えて曰く、「俺は鳥取県の知事にならなるが、東京の知事はならない」。「言っちゃなんだが、なんで日本で一番貧しくて一番ちっちゃな県の知事なんかになりてえんだ」と田中角栄さんが言ったら、「それは俺の県だし。俺は鳥取で生まれて鳥取で育って鳥取で死ぬんだ」って言って、鳥取県知事を4期もやるんですね(その後、参議院議員へ転出)。
 その倅なもんですから、政治に関心がないわけではないけれど、父親とは歳が49も離れていた。父親が死んだとき、私は三井銀行に入って3年目の24歳で、(父は)参議院議員でしたから、30歳にならないと出られないので、当然跡継ぎになれるはずもないしなろうとも思わない。「国会議員なんかやらなくていいんだ、よかった、よかった」と思っていましたが、葬儀委員長が田中角栄先生で、「葬儀委員長、ありがとうございました」とお礼に行ったところ、「君、今すぐ銀行を辞めてね、1軒ずつ回ってね、選挙の基本はまず挨拶回りだ」とかなんとか。「へ、何の話でしょうか?私はまだ24で、跡継ぎなんかなれませんけど」って言ったら、「誰が参議院に出ろと言った!お前は衆議院に出るんだ」と言われて、それで衆議院になっちゃうわけです。角栄先生って人じゃないからね。神だから。神のお告げ。すごかったですよ。権勢の絶頂の田中角栄は。

-闇将軍の時代ですね。

石破 闇将軍の時代ですよ。こっちは24歳の兄ちゃんで、ついついその気になった。だから、すごく立派な志があって政治家になったわけではありません。ここは間違いないです(笑)。
 私は東京で生まれて、鳥取で育って、高校から慶応に出てきているんです。知事の子どもが県立高校に行くとあんまりいいことにならないという母の方針があって、高校から慶応なんです。夏休みだろうと冬休みだろうと春休みだろうと、お友だちに「来てね、来てね」っていっぱい(鳥取に)引っ張ってきたんですよ。好きだったんだと思います、自分の育った町、村、そういうところが。子どもの頃のわくわくするような素敵な体験がいっぱいあって。私も、できたら市長とか町長とか知事になりたいなとずっと思い続けて、なれずにここまで来てしまいました。
 自分が育った、大好きなまちがどんどん寂れていく。中心市街地もそうだし、農村漁村も山村もそうで、どんどん人がいなくなっていく。我々、65を過ぎると、突然同窓会が増えて、小学校の同窓会とか中学校の同窓会とかで集まるわけですよ。「俺たち、子どもの頃は楽しかったよな」みたいな話ばっかりなんです。どうやったらあれがもう1回戻ってくるんだろうっていう話をすることが多いんです。
 私は防衛が専門だと思われていますが、もっと長くやっているのは農林水産なんですよね。自分が育ったまち、育った田舎が抱えている問題って、きっと日本国中どこでもそうなんだろうと。日本は農業、漁業、林業をするには、世界で一番恵まれた国です。農業は土と光と水と温度の産業なので、土が豊かで、春夏秋冬まんべんなく雨が降って雪が降って、傾斜が急峻で水が流れて、水田という連作障害が起こらないシステムがあって、最近はやたらと暑いが比較的温暖で、陽の光も適当に降り注ぐ。土と光と水と温度っていう四つの条件を全部具備した国って、世界中にそんなにあるわけじゃないので、農業は世界で有数のポテンシャルがあります。世界第6位の排他的経済水域を持ち、世界第3位の海水の体積を持っている世界でも珍しい魚種が豊富な水産業、先進国でいえば第2の林野率で、木の蓄積量も世界有数の、日本の農業、漁業、林業がどうしてこんなに栄えないのか。
 はっきり言うと、これら一次産業が衰退の一歩手前まで来てしまったのは、国としてそういう政策を選択してきたからです。農業、漁業、林業でそんなに頑張らなくてもいいですよと。機械を導入して労働時間はすごく短くなった。でも、そこで浮いた時間は生産性を上げるために使うのではなくて、第二次産業に従事してね、という政策だったんです。かつては家電であり、次の時代は自動車でしたが、同じものをたくさん作る製造業が全国に立地した。農業、漁業、林業が機械化されて浮いた時間は公共事業や誘致企業の労働力として活用してね、国がそういう政策をとってきた。
 東京一極集中についても、「ロンドン一極集中」とか「パリ一極集中」、「ローマ一極集中」というのは聞いたことがありません。これも国の政策として、最も効率的な東京一極集中という政策を選択してきた結果、当然のことが当然のように起こっているということだと思っています。
 だから、放っとけばどんどん悪くなる一方で、ここで国のあり方を「一極集中から地方分散型にしていく」という政策転換を図り、農業、林業、漁業のポテンシャルを最大限に引き出して、そこに雇用と所得を確保する、という国のかたちを目指していくべきじゃないかと思ってきたし、今もそう思っているんです。だから、宮澤内閣で農林水産政務次官をやり、森内閣で副大臣をやり、大臣は麻生内閣でやりましたが、それはたまたまなっちゃったんじゃなくて、自分でかなり望んでなったところはあります。 

考えたくもないが有事と災害が同時に起こったら?首長だけが把握できていることがある。

-農林水産の経歴と並行して、防衛庁長官に就任されます。小泉内閣での防衛庁長官の大きな課題としては、イラク派遣と武力事態対処、その中で国民保護法制についても十分に議論をしてこられました。
 自治体の関心は国民保護法制をどのように動かして行けば良いのか。おそらくほとんどの首長が認識をしないまま来ていると思います。能登半島地震もあり、自然災害への対応については知見が高まってきていますが、国民保護法制は武力事態対処法制の一部であって、外敵が武力行使をしたあとから動き始める。すなわち、トップダウンで国から指示が来るところはあまり知られていません。国民保護法制にはどういう思いが込められているのか、首長は国民保護法制をどのように動かしていけばよいのでしょうか。

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