【雑談】VOCALIFE(but dead)のセットについて
今年9月にnagomix渋谷で開催されたクラブイベント「VOCALIFE(but dead)」に出演しました。普段は「今を生きるボーカロイド」をテーマにしたイベントなのですが、番外編的に開催された今回のテーマは「いつか死ぬボーカロイド」。ノイズあり朗読あり絶叫あり祈りありで、とても面白いイベントでした。私は実質初DJということで不安もあったのですが、おかげさまでなんとかいい感じになったのではないかと思っています。
当日の録音はこちら。映像素材は当日のVJも担当してくださったみおにさんに制作していただきました。めちゃくちゃいい。イラストはこのイベントの主催でもあるもなかさなかさんからお借りしています。めちゃくちゃいい。音源はMixcloudにも投稿してるのでお好きな方でどうぞ(YouTubeの方が音はいいと思います)。
これが結構色々な音楽を参照したセットでして、折角なのでリファレンスやセットリストなどについて書いていこうかと思います。
もなかさんから今回のテーマを聞き、すぐに連想したのがVaporwaveでした。かなり多様化しているジャンルではありますが、基本的には既存曲をサンプリングし、テンポやピッチを下げ、一部分を執拗にループし、リバーブやディレイをかけることで制作されています。このジャンルを代表する曲、Macintosh Plus「リサフランク420 / 現代のコンピュー」(2011)はまさにこの手法を用いています。
80年代のポップスやCMなど、過去の商業的なイメージを引用したサウンドやアートワークから、(実際のアーティストの意図はさておき)資本主義をキッチュに見せることで皮肉っているなどと批評されることもあるのですが、個人的にはそのサウンド自体が(サンプリングソースの)音楽の死体や亡霊のようにも聴こえます。メロディや歌詞や展開が持つ物語性はループによって剥ぎ取られ、音色や歌声といった固有のテクスチャもピッチダウンやリバーブによって解体される。私が実際に参照したのはVaporwaveというよりは、その始祖的な存在として語られがちなChuck Person『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』(2010)なのですが、このアルバムはその顕著な例と言えるでしょう。Totoやフリートウッド・マックらの曲をサンプリングしていますが、彼らの親しみやすいポップセンスは鳴りを潜め、代わりに前景化するのは重苦しく野太いボーカルと、飽和しているとすら言える残響です。
またVaporwave/Eccojamsと同時に、ダブステップ――というよりBurial『Untrue』(2007)のことも思い浮かべました。リバーブが強くかかったアブストラクトなビートの上に、やはりピッチダウンされた野太いボーカルがサンプリングされる。Burialのこのサウンドは「亡霊」という形容がもはやクリシェになっています(読んでいないのですが、マーク・フィッシャーの影響が大きいのでしょうか?)。誰のものとも知れない記名性と文脈を失った歌声が残留思念のように響く。イベントに提供した私の「当日は初音ミクの亡霊を召喚したいと思っています」というコメントもここから来ています。
こうしたところから更に連想したのが、「Slowed + Reverb」という手法です。その名の通り、既存曲のテンポをピッチとともに下げ、リバーブをかけたもので、YouTubeを中心にしてカジュアルに制作・投稿されています。VaporwaveやEccojamsはループなどのエディットが必要ですが、Slowed + Reverbは言ってしまえば垂れ流しでも成立するので、今回はこの手法をメインに採用することにしました。これはSlaterというユーザーがYouTubeに投稿したLil Uzi Vert「20 Min」(2017)のslowed + reverbです。このように短いアニメーションがループする動画もslowed + reverbの特徴の一つで、今回YouTubeに投稿した動画もこれをイメージして制作し(ていただき)ました。
とは言え(制作者それぞれの加減次第なのですが)一般的なSlowed + Reverbは亡霊感が足りないということで、Slowed + Reverbの手法に則りつつ、やや過剰にすることでEccojamsなどに近い酩酊感を出すことを目指しました。具体的な方法はこうです。まずPCにDJコントローラー、オーディオインターフェイス、MIDIコントローラーを接続する。次に(普通はスピーカーを接続するのですが)DJコントローラーのアウトプットをオーディオインターフェイスのインプットに繋ぎ、PCで立ち上げたDAWで受け取る。DJソフトとDJコントローラーで曲の再生速度を変更し、DAWとMIDIコントローラーでエフェクトを操作すればリアルタイムでSlowed + Reverbが可能になります。もちろん、あまり細かくエフェクトをかけないのならばCDJだけでもできるのですが、私は複数のエフェクトを同時にかけたかったため、こうした形式を取りました。
セットリストを見てみましょう。1曲目はИagi「U₀」(2022)です。出鼻をくじくようですが、この曲は遅回しせず、原曲通りのテンポで流しました(リバーブなどは少しかけた)。原曲からして亡霊のような感じが漂っているためです。初音ミクの声だけで作られた曲ですが、各音節のアタック(頭)の部分が削がれ、声としての輪郭がぼやけているような印象がある。初音ミクの声が徐々にフェードインする様は、声と音の境界、さらには音と無音の境界が溶けるようです。間違いなく何かを伝えている(歌っている)はずなのに、それをはっきりと認識することはできない。曲名、たぶん「ユーレイ」と読みますよね。ちなみに、Иagiさんは「圧延」(2021)もセトリの候補に挙がっていました。こちらもまた別のアプローチで初音ミクの歌声を解体するような曲で素晴らしいです。
2曲目は~離「エスパー」(2021)です。そもそもこのイベントについて初めて聞いたとき、イメージとして浮かんでいたのが~離さんや川卜紗さんのような、エクスペリメンタル系のトラックメイカー文脈から合成音声を使用し、かつ無機質さのある曲を制作している方々でした。死(体)-冷たい-無機質という安直な発想ではありますが、この連想は初音ミクにはじめからまとわりつくものかもしれません。初音ミクの生みの親である佐々木渉氏は次のように述べます。
個人的に~離さんの曲は、こうした合成音声の無機質さや人格のなさ、つまりある種の死体性とシナジーを生んでいるように聴こえます。高音域に比重が置かれた電子音の連なりと、そこに並置される初音ミクの淡々とした歌声。これはボカロ文脈の中からはなかなか出てこないアプローチかもしれません。なお、「エスパー」は現在インターネット上から削除されています。このイベントでは、B,Fさんが「消えボカ」こと削除された(ことのある)ボカロ曲縛りでDJをしていたのですが、この曲も消えボカということになりますね。
「エスパー」は30%ほど落として再生したのですが、3曲目のアメリカ民謡研究会「「VOCALOID」の脆弱性。」(2016)以降は基本的に50%ほど落として再生しました。約7分間ポストハードコア~ノイズロック的な演奏と初音ミクのブレス(!)が続く曲で、私は丁度半分くらいまでかけたんですが、テンポも半分に落としているので結局約7分くらいかけていたらしいです。正気か。で、この曲、MVの後半にボーカロイドについて論じた文章が登場します。細かい部分は実際にMVを見てほしいんですが、ざっくりと言えば、ボーカロイドは指示された音を一切の私情を挟まず淡々と出力するものであり、この類のソフトウェアを用いた音楽は「ボーカロイド」に分類される。ブレスのファイルを一つ差し込めば「ボーカロイド」であるし、そのブレスが本当に初音ミクのものであるかも問題ではない。なぜなら初音ミクはあらゆる表現を受け入れるからだ。このことから「ボーカロイド」は特定の音楽様式を指すものではないと言えるが、一般的には流行のポップミュージックとして認識されている。その流行が廃れたとき、世間からボーカロイドはきっと忘れ去られるが、それを引き止めようとは思わない。なぜなら私(アメリカ民謡研究会)は、誰もいない場所で音を鳴らす人間を、「ボーカロイド」によってのみ受け入れられる脆い音楽を美しいと思うからだ――みたいな内容だと思います。個人的にこのボーカロイド観が凄く好きで、かつ実際にストイックな形で実践しているのでセットに組み込みました。ボカロの死を描くには、まずボカロを描かなくてならない。ブレスの持ち主について、原文には「人間が初音ミクを騙っているのかもしれない」とあるのですが、実際にこの音声ファイルって、おそらく中の人の藤田咲さんのものだと思うんですよね。それが初音ミクのブレスとしてラベリングされて収録されている。正直、私は原曲を把握して脳内で補完してしまっていたので言われて初めて気づいたんですが、私はそれをさらに遅く低くして、(原曲を知らない人にとっては)もはや初音ミクの記号をほとんど消してしまいました。でもそういうイベントなので……。
音楽的には、このパートではスプリングリバーブを強くかけました。これによって金属的でびしゃびしゃした残響が得られます。また、フィル的にスネアが単独で鳴る部分(原曲では2:29、ミックスでは9:19)には付点8分のディレイを強くかけました。これらのアプローチは、どちらもレゲエから発展したジャマイカの音楽、ダブに影響を受けています。ダブは一度完成したレゲエ曲の各種トラック――ボーカル、ベース、ギター、ドラムなど――をリアルタイムで操作し、音量やエフェクトを著しく編集することで新たな音響を作り上げる手法/ジャンルで、今回のセットの根本的な思想のヒントにもなっています。これはダブの代表的なエンジニア、King Tubbyの「King Tubby Meets Rockers Uptown」。
原曲はJacob Miller「Baby I Love You So」(1974)。聴き比べると、ダブミックスは各トラックを急にミュートしたり、そのために発生した余白を利用してディレイを効果的に聴かせていることがわかって面白いです。
4曲目はELECTROCUTICA「0259 in my room」(2013)。『Piece of Cipher+』収録版です。ピアノと初音ミクのハミング、それからヒスノイズと少しの物音だけで構成された曲で、まるで初音ミクが弾き語りをしているように聴こえます。2:04からは少し悩んでいるような声と間もあるので、即興演奏でしょうか。そういえばタイトルも日記やボイスメモっぽい。つまり、この曲は初音ミクの実在性をフィクショナルに作り上げている。しかも楽器はピアノとボーカルだけなので、遅回しにするとアンビエントのようになる。これはこのイベントにうってつけではないか! ということでセットに組み込みました。
ディレイを強めにかけたんですが、そのうえでマスターテンポ(テンポを変更してもオリジナルのキーを保持してくれる機能)を一瞬だけ押すと、初音ミクらしい声の初音ミクが現れ、しかしこだまと共にすぐに消えてしまうという表現が可能になります。お気に入りポイント。ミックスで言うと13:40とかですね。これはKyototower, irukanotane「ホ」(2024)などの影響を受けてるかなと思います。アンビエント的なトラックにグリッチされた初音ミクの声が一瞬だけ顔を覗かせるこの感じ。
遅回ししてアンビエントのようにする手法は、dumaramutsiというYouTubeチャンネルによる、Radiohead「Pyramid Song」(2001)を8倍遅くしてドローンのようにした動画に影響を受けてるんじゃないかと思います。最高~~~~。しかし、これもフルがけしたので約7分かかってたらしいです。やってる側は好きな音楽を好きにかけてるから楽しかったんですが、聴いてる側はどうだったんだろう……(全然フロアを見られなかった。反省)。
5曲目はcosMo@暴走P「初音ミクの消失」(2008)です。と言ってもイントロだけですが。初音ミクの死を描いた代表的な曲なので、安直に取り入れました。高速歌唱のパートを遅回ししたら曲のアイデンティティが揺らいで面白いんじゃないかと思いかけたんですが(「初音ミクの消失」の消失?)、普通に露悪的なだけだなと思ってやめました。あと音としてあまり面白いものにならなかった。実際にかけたイントロ部は、オルゴールのような音色によるメロディ、声らしき音のグリッチ、それから映写機の音のようなノイズによって成り立っています。「0259 in my room」からアンビエント的なサウンドを引き継ぎつつ、ボカロの死(体性)というテーマを大ネタゆえに想起させ、次の曲に受け渡すインタールード的な役目としていい感じに使えたかなと思います。
6曲目はピノキオピー「君が生きてなくてよかった」(2017)。初音ミク10周年を記念したコンピレーション・アルバム『Re:Start』の書き下ろし曲です。初音ミクの感情の欠落をモチーフにした歌詞なんですが、ピノキオピーは初音ミクの魅力として度々こうした点を挙げています。
(文字通り)機械的な歌声を、例えば「よく聴けば(作者の)感情を読み取れる」と支配的な規範に乗ることで肯定するのではなく(ここでは「歌声は感情がある方がよい」という規範に乗っている)、美化せずに「変な声で/奇妙な見た目」の異物として描く。ピノキオピーのこうした姿勢は、この曲の最後にも表れます。おそらくボカロシーンのことを「くだらない/理想じゃない/非日常のゴミ溜めで」と表現しているのです。「みんなが好きなことをやっていて素晴らしい」だとか「夢を追いかけているのが眩しい」だとか「音楽は生産的な行為だから価値がある」だとかではなく。少し脱線するのですが、ピノキオピーはこうした「ゴミ」的なモチーフをよく用います。例えば「ラヴィット」(2020)には「価値のない/宝物を抱えながら」という歌詞が、「わたしがこの世にいた頃に」(2014)には「ガラクタ集めが生きることのすべてだったり」という歌詞が登場するように。一般的な価値基準からこぼれてしまったものや行為を、ひっそりと大切にする。その様をそっとすくい上げるように描く。先の「「VOCALOID」の脆弱性。」にも共通する(あの曲では「騒音」と「我楽多」を「音楽」と並べている!)のですが、やはり私はこうしたボカロシーン観が好きです。
ちなみに、以前ボカロ曲のSlowed + Reverbを聴いていたところ、wenzdayというYouTubeチャンネルに投稿されたこの曲のSlowed + Reverbに行き当たりました。原曲のアトモスフェリックな要素を強調するようなエディットが気に入り、それ以来度々聴き返しています。やはりピアノの音は遅回しに向いている。私のミックスとはテンポの変更率も異なるため、聴き比べると面白いと思います。
7曲目はハチ「砂の惑星」(2017)――のEccojamエディット。この曲はそもそも初音ミク10周年のマジカルミライのテーマソングとして書き下ろされたのですが、当時のニコニコ動画やその内部のボカロシーンを「今後千年草も生えない/砂の惑星さ」や「すでに廃れた砂漠」と表現したことで、様々な反応を呼び起こしました。今更この曲について言えることはほぼないんですが(去年𝑎𝑖𝑛𝑖𝑔𝑚𝑎さんによる決定版の考察が出ているので……)、とにかく死にゆくボーカロイドをテーマにした有名曲ということでセットに取り入れました。
正直、なぜこの曲をEccojam風にエディットしたのかはよく覚えてないんですが、ジャンクなサウンドに仕立て上げるのがしっくり来たんだと思います。あと、歌詞を執拗に繰り返すことで異化を図る目的も(制作の途中からは)ありました。「イェイ今日の日はサンゴーズダウン/つまり元どおりまでバイバイバイ」という箇所を亡霊的な声と退廃的な音響で誇張することで主張を相対化するとか、「有象無象の墓の前で敬礼/そうメルトショックにて生まれた生命」という箇所を何度も歌わせることで、いかにこのシーンに有象無象の生命が多いかを強調するみたいなことですね。まあ基本的にはただ面白さに任せて作ってたんですが。ちなみに、原曲のオーディオデータに直接アプローチすることで「砂の惑星」を相対化した前例として、松傘さんによるビートジャック「砂の惑星(突然変異remix)」(2017)があります。
そもそもこのビートジャックが発表された背景には、「砂の惑星」の発表からしばらくして公開されたハチとryo(supercell)の対談があります。その発言がこちら。
「砂の惑星」から遡ること3年、2014年はボカロを使ったヒップホップが「ミックホップ」として新たにラベリングされた年でした。2015年2月にはLAMP EYE「証言」(1996)をサンプリングした「初音ミクの証言」が発表。ミックホップ周辺のボカロPらが集まって制作されたこの曲は話題を呼び、「砂の惑星」発表の約1か月前の2017年6月22日までに約8万7千回再生されています(「初音ミクの証言 - ニコニコチャート」 参照)。当然、ミックホップ周辺のボカロPだけがヒップホップの文脈や手法をボカロシーンに持ち込んでいたわけではなく、「初音ミクの証言」はあくまでひとつの指標に過ぎないのですが、とにかくこうした曲が一定の支持を得たにもかかわらず、この発言がメディアを通してなされてしまったわけです。先の松傘さんのビートジャックを始め、(おそらく)この発言を受けていくつかの曲が発表されました。そのうちの一つが8曲目、鈴木O, DJトラッシュ「十年」(2017)です。
ハチの曲をいくつもサンプリングして制作された曲で、「どうやらここは砂漠らしい/僕はそれでも構わないけど」や「人知れず埋もれ消えてゆくばかりの景色を/なかったことにしないでくれ」といった歌詞からも、「砂の惑星」や件の発言へのアンサーであることが読み取れます。鈴木OはヒップホップというよりはエクスペリメンタルやPlunderphonics的な文脈からサンプリングを行うボカロPなのですが、この曲はブーンバップ的なビートであったり、スチャダラパー「ヒマの過ごし方」(1993)を本歌取り的にサンプリングしたフックであったりと、ヒップホップの文脈を意識的に取り入れたように思えます。こうした点を踏まえ、歌詞やサンプリングソースを明確に聴かせたかったので、この曲は原曲通りのテンポでかけました。音楽シーンとしてのボカロシーンやボカロ曲は様々な音楽の総体であり、十把一絡げに語ることはできない。これまでの10年(と、「十年」が発表されてからの7年)を「縮めることも伸ばすことも、ましてや消すことも不可能」だし、誰かに勝手に設定された「新しいスタート(=『Re:Start』!)なんていらない」。これは完全に愚痴なんですが、「砂の惑星」のアンサーソングの話をすることで現行のボカロシーンを称揚しようとするムーブって今でもたまに見かけます。でも、そこでナユタン星人「リバースユニバース」(2017)や、syudou「ジャックポットサッドガール」(2020)や、Ayase「HERO」(2023)しか挙げないのって、「砂の惑星」とやってることはほとんど一緒だと思います。
9曲目は全自動ムー大陸「冥立とうめい公園」(2014)です。これまでの曲と比べるとかなり感覚優位の選曲なんですが、なんというかサウンドからメランコリーを感じます。単音のピアノのフレーズとか乾いたエレキギターの音がそう思わせるんでしょうか。加えて、タイトルも霊的なものを想起させるし、「壊れたらまた新しいのを買いな/くだらないものはぜーんぶ代えがきくから」などの歌詞には、あっけらかんとした喪失感(観)がある。これはこのイベントにうってつけではないか! ということでセットに組み込みました。「十年」とテンポを揃えたかったので約40%ほど落とし、これまたスネアが鳴る箇所で付点8分のディレイをかけました(原曲では00:24、ミックスでは29:09)。気に入ったことは何度やってもいい。
このパートでは「Chopped & Screwed」という手法を取り入れました。これはヒューストンのDJ、DJ Screwが90年代に編み出した手法で、「Chopped」は同じ曲を半拍ずらして両デッキで再生し、フェーダーを切り替えることで部分的に反復させることを、「Screwed」は曲の回転数を落とす(テンポを下げる)ことを指します。つまり、EccojamsやSlowed + Reverbの祖先(あるいは先例)とも言えます。ミックスの30:19から度々ラグっぽくなるのがChoppedですね。といっても、私は二枚使いではなくビートジャンプ機能を使って再現したので、厳密にChoppedと言えるかは怪しいのですが。これはDJ Screwが手掛けたK-Rino「The Game Goes On (feat. Z-Ro)」のミックスです。
オリジナルはこちら。聴き比べると、DJ Screwのミックスではテンポが遅くなっているだけではなく、部分的に躓くようなリズムになっていることがわかりますね。
10曲目はPuhyuneco「akane」(2020)です。この曲に関してはテーマ性というより、いかにSlowed + Reverb映えするかという点で選曲しました。「akane」の特筆すべきところはやはりボーカルでしょう。初音ミクの声はサビで酷く歪められ、いくつにも分裂する。この歌声は決して一般的に「美しい」歌声ではない。むしろ、グロテスクで奇妙でエラーのような歌声が、整えられずにそのまま響いている。そこにこの曲の本質があるように思います。個人的な感覚としては「美しくないことが美しい」というような理解とも少し異なって、美しさという基準の外部を提示してくれているような感じです。歪でトリートメントのされていない剥き出しの声を音楽のなかに映すことで、そうした声の居場所を作っているというか。うーん、難しい。とにかく、私は「akane」についてそのように感じていて、Slowed + Reverbにすることで、こうした要素を誇張し増幅させようと思いました。セットを組む際に色々な曲を遅くしてみたわけですが、この曲を試したときは流石に「来た!!!!!!!!!!!」と思い、結果約8分フルがけ。あと本番では高ぶってしまい、2番のサビ(原曲では2:10~、ミックスでは37:24~)でスプリングリバーブをびしゃがけし、めっちゃノイジーにしてしまいました。楽しかったです。
11曲目はJake「初音ミク万歳」(2016)。鈴木Oの別名義で、supercell「ワールドイズマイン」(2008)をはじめとしたボカロ曲と、「God Save The Queen」(1977)をはじめとしたSex Pistolsの曲をサンプリングしています。「(世界でいちばん)おひめさま」と「Queen」をかけたネタですね。Sex Pistolsはまったく詳しくないので恐る恐る説明するのですが、「God Save The Queen」は元々イギリスで「女王陛下万歳」を意味する言葉で、国歌の曲名も君主が女王の場合は「God Save The Queen」となります。しかし、Sex Pistolsのこの曲は女王を賛美するものではまったくなく、曲中で歌われる「God Save The Queen」の言葉も反語的に響きます。これを踏まえると、「初音ミク万歳」という曲名や「世界でいちばんおひめさま」という歌詞に含みがあるようにも見えてくる。この構造と悪ふざけにも聴こえるサンプリングがこのイベントに合っていると思い、セットに組み込みました。やっぱりサンプリングって、サウンドを元の文脈から引き剥がす行為でもあるんですよ。そこにある種の死体性がある。となると、この曲のようにそれを別の文脈に再接続するのってネクロマンシー的だったりして? 今適当に思いついたんですけど。この曲は8分音符で連打されるキックの粗野な感じを聴かせたかったので、原曲通りのテンポでかけました。
この曲は終盤において「God Save The Queen」の「No Future」と歌われている箇所をサンプリングしているのですが、それと同時に流れ始めるのが12曲目、ika「みくみくにしてあげる♪」(2007)――のオフボーカルです。No Future→未来がない→ミクがいない。さも初めから狙っていたかのようですが、セットを仮で組んだ後に気づいてニヤッとしました。オフボーカルのアイディアは話をもらってすぐに思いついたのですが、せっかくならば初音ミクの代名詞的な曲であり自己言及的(=初音ミクがいなければ破綻する)な曲でもある「みくみくにしてあげる♪」でやるのが一番クリティカルだろうと思い、セットに組み込みました。でも、実際にボーカルを消去してみて感じたのが、そんな小手先ではこの曲から初音ミクを消せないということです。あの「みくみくにしてあげる」という歌声が、あまりにも有名で、あまりにも耳にこびりついて、あまりにも自己言及している。むしろ、不在によって存在を意識せざるを得ない状況を作ってしまいました。つまり「きみがいないことは きみがいることだなあ」(©曽我部恵一)ということです。ね? 再生しないでも頭に流れてきたでしょ?
この曲ではサビに入ったあたりからローとハイをカットし、徐々にリバーブを深くしていきました。これは「playing in an empty mall」または「playing in an empty shopping centre」というミームを意識しています。主に有名曲を加工することで、閑散としたショッピングモールで流れているかのようにする動画で、おそらくVaporwaveやその派生ジャンルのMallsoftの流れから生まれたものなんじゃないかと思います。これはRaspberries and Rumというチャンネルが投稿したToto「Africa」(1982)を加工した動画です。もっとも、私のミックスではリバーブをかけ過ぎて、終盤の方はかなり別物になってしまったのですが……。
アウトロではテンポを徐々に落として最終的にゼロ(再生停止)に。当初はここで終わらせることも考えたのですが、露悪が過ぎるというか、今回のイベントテーマの「いつか死ぬボーカロイド」は今はまだ死んでいないというところもポイントなので、最後にもう一曲かけることにしました。イントロの一部をループした状態で、今度はテンポをゼロから徐々に上げるようにして流したのが、13曲目の荒木若干「どろとろうこどう」(2024)。歌い出しからして特徴的な初音ミクの歌声に意識が向かいます。例えるならヘリウムガスを吸ったような声ですが、その声はAメロを通してどんどん奇妙になって、言葉が曖昧になっていく。サビではこの歌声にディレイが多量にかかることで、歌声の連なりはひとかたまりのサウンドテクスチャーへと変貌していく。この曲において初音ミクの歌声は、言語伝達や記名性といった声の持つ機能を剥ぎ取られ、ただの音へと還元されるのです。声には持ち主の人格や身体を半強制的に想起させる力がありますが、この曲において、当初は曲と聞き手の間に仮構されていたはずの初音ミクの身体は、サビに入ると霧散してしまう。声だと思っていたものがいつの間にか音になってしまう。この曲のボーカルが人工的で、ある意味では擬似的(と思われている)な声であることは、より示唆的です。声と音が連続的なものだとすれば、人工的な声と自然的(と思われている)な声も連続的なものかもしれない。自然的で真正な人間の声/それを模倣する人工的な声もどきという観方は必ずしも不変の真理ではないかもしれない。「声」の条件は実在するものから発せられることではないかもしれない。この曲は今回かけた中で唯一音源が販売/配布されていなかったのですが、セットのコンセプトを考えるとやはりどうしても流したくて、荒木さんに直接ご連絡し音源をいただきました(ありがとうございました)。
他の作業もしながら断続的に書き進めていたら、当のイベントから1ヶ月半以上が経ってしまいました。流石にどうなんだという気もしますが、新しく動画も作って同時投稿したのでホットな話題ということで許してほしい。なお、当初はこの記事を書くことに(主にVaporwaveやScrewedについて調べるのが面倒という理由で)あまり乗り気ではなかったのですが、ヒップホップを中心に執筆する音楽ライターのアボかどさんに背中を押され、結局1万字以上を使ってここまで書くことになりました。アボかどさんとアボかどさんのモットー「書くのが先、やる気はあと!」に感謝。