NieRシリーズの「天使」の正体【後編】
こんにちは!
NieR考察ガチ勢のれいらです。
前回の記事では、「天使」について「蘇生•再生された死者である」と紹介しました。
しかし前回「天使」の例として紹介したキャラの中には、また死んでないキャラも含まれるのではないか? と思われた方がいると思います。
今回は、その疑問を解決する「社会的な死」の概念と「天使」の関係性について紹介していこうと思います。
「社会的な死」と「天使」
「社会的な死」とは、何かしらの原因で社会から存在を認められなくなったり、社会と分断されてしまったりする状態のことを指します。
人間が生きるには社会との関係性が必要なため、それを失ってしまうと社会的には「死んでいるも同然」の状態になってしまいます。
よってNieRでは「社会的な死」の経験があるキャラを、一度死んだ後に蘇生された人間を表す「天使」と同等の存在として扱っていると考えられます。
「社会的な死」の例
ここからは、「社会的な死」とはどのような状態か具体例を挙げて紹介しようと思います。
「社会的な死」に陥った「天使」
まずは、社会的な差別を受けたり保護者から見捨てられたりして、「社会的な死」に追い込まれた「天使」キャラの紹介です。
◆デボル・ポポル (Automata)
デボル・ポポルは、Automataのレジスタンス部隊に所属する双子の旧型アンドロイドです。
Automataのデボル•ポポルは、人類を守るための「ゲシュタルト計画」を任されていました。
しかし、Replicantで他の「デボル・ポポル」モデルが起こした事故が計画を破綻させたことで、事態は一転してしまいます。
Automataのデボル・ポポルが他アンドロイドから受けた迫害は、レジスタンスキャンプでも続いていました。
キャンプ内で一番過酷な仕事を強いられる待遇はまさに穢多非人も同然で、2B・9Sが手を貸すまで2人は「社会的に死んだ」状態でした。
◆フィオ
フィオは、住んでいた国の法学者によって「山羊の民」という被差別身分に定められ、友達も人としての尊厳も失ってしまいました。
さらにフィオの母親は、浮気相手と共に家を去ってしまい、それから二度と帰ってきませんでした。
友達にも、母親にも、議会の議員や父の元仕事仲間にさえ相手にされない様子は、まさに「社会的な死」そのものです…
「社会的な死」を選んだ「天使」
このように「社会的な死」は非常に絶望的な状況ですが、中には自ら社会的に「死ぬ」ことを選んだ「天使」キャラも存在します。
しかし、自ら望んで「社会的な死」を選んだように見える「天使」キャラも実は、選択の前に一度「社会的な死」を経験しているのです。
◆アケハ
アケハは暗殺を生業とする家に生まれ、常に人を殺すことを強いられてきました。
自らの生業に人並みの幸せを奪われる状況に、彼女はしばし惨めさを感じていました。
そしてアケハは、敵大名家の跡継ぎである男装させられた娘に出会い、自分の家を滅ぼすことを決意しました。
このように家に「社会的な死」を強いられてきたアケハは、自ら家の者を滅ぼして社会的に「死ぬ」ことで、殺されるはずだった娘とのささやかな幸せを手に入れたのでした。
◆ユディル
ユディルは幼いころ、奴隷として船で働かされていました。
奴隷の扱いはゴミ同然のものであり、「社会的な死」というほかないものでした。
そんな生活の中で唯一の味方だった少女への暴挙に耐えかねたユディルは、奴隷船の船長を殺し、社会的に「死に」ました。
こうしてユディルは自由を手に入れますが、ユディルはまだ幼い子供。
正当な仕事になど就けるはずもなく、盗人としての壮絶な人生が幕を開けたのでした。
死を免れた「天使」
他にも、死んで当然の状況下で生き延びた「天使」キャラもまた「社会的な死」の経験者です。
当人の生存を知らない周囲の人々、つまり社会から見ると「死んでいる」状態もまた、「社会的な死」といえるのです。
◆グリフ
グリフは、明日の命の保障もない戦場に生きる軍人です。
彼は、軍への入隊を望むグリフに反対する両親に嫌気がさして、強引に家出をして軍人になりました。
そして家を出てから8年もの間、家族と連絡を取っていなかったのです。
そのため、グリフの母親は8年の間「息子は死んだ」と思っていたことでしょう。
人間にとって、一番身近な「社会」の構成員である家族に「死んでいる」と認識されていたので、グリフは家族から見ると「社会的に死んでいた」存在なのです。
◆アタッカー二号/A2
アタッカー二号は、Automata本編の4年前に行われた「真珠湾降下作戦」に出撃したヨルハ機体のうちの一人であり、AutomataではA2と呼ばれています。
「真珠湾降下作戦」には当初、16機のヨルハ機体が投入されていましたが、地上に到達する前に二号を含む4機以外は全滅してしまいました。
二号たち4機はレジスタンスと合流して作戦を続けますが、作戦終了時のヨルハ機体の生存者は二号のみに…
その後二号は脱走し、9Sと2Bに発見されるまでヨルハ部隊の追撃部隊を破壊しながら生きてきました。
レジスタンス側の生還者である、Automata本編のアネモネやアニメ8話のリリィの反応を見ても、二号は作戦時に死んだものとされていたことが分かります。
よってA2は、「社会的な死」の経験者だといえるのです。
ヨルハ機体が持つ「天使」の特徴に関しては前回言及しませんでしたが、型番が
⑴ 偶数(n+n) 例: 2B→(1+1)
⑵ 平方数(n×n) 例: 9S→(3×3)
⑶ 11の倍数 例: 二十二号→22
のいずれかに該当するキャラは、「対を成す特徴」を持った「天使」─擬似記憶の元が人類のものである、あたかも蘇生された死者のような機体だと考えられます。
このように人間はしばし、命があるにもかかわらず社会に「死者」とみなされてしまうことがあり、NieRではその状態を「蘇生・複製された死者=天使」に分類しています。
「社会的な死」に抗う一つの手段
社会的には死んでいるも同然の状態に追い詰められた「天使」は、命尽きるまでこの状況に抗っています。
抗う方法は主に、
⑴ 自らを追い詰めるものを回避・攻撃
⑵ 自分自身で新たな「社会」を創る
に区分されますが、⑵には非力な子どもでも自分一人の力でできる「ある方法」が存在します。
それは、自分自身の心の中に「想像上の仲間」を創ること(イマジナリーフレンド)で、子どもにはよく見られる害のない現象です。
しかし、過度なストレスによって「想像上の仲間」に関する言動が社会的な問題を引き起こすようになると、その「想像上の仲間」は乖離人格(俗に「多重人格」というもの)と呼ばれるようになります。
実は、乖離人格が生じる精神疾患「解離症」の描写の一つに、
というのがあり、これがEN版DOD1で「天使」を表す「The Watchers」(観察する者)という表現に通じるものがあるのです。
DOD・NieRシリーズ中で乖離人格を持っていると思しきキャラの一例が、「天使の教会」の司教を務めるマナ(DOD1)です。
マナは実の母親から虐待を受けていた6歳の少女ですが、彼女は成人男性の低い声で、6歳とは思えないようなことを話すことがあります。
この「神」と呼ばれる成人男性は、マナの「想像上の仲間」である可能性が高いです。
「神」は大人の男性であることからマナ自身より強く、過酷な状況の中で頼りがいのある人間だというイメージから創り出されたのでしょう。
マナは虐待で「社会的な死」にあったため、自らの心に「神」を創り出して心理的孤独を凌いでいたと思われます。
しかし、「想像上の仲間」はあくまでも本人の精神の一部であるため、第三者には見えないものです。
そのため、「想像上の仲間」も「社会的な死」にあり、創造者と一蓮托生の「天使」なのです。
「社会的な死」の悲惨さ
社会から否認・分断される「社会的な死」には、人間を本当の死に追いやる力があります。
致命傷でないにしろ、暴行されたり過酷な労働をさせられたりすれば、確実に身体は弱って死に近づきますし、
人から否定され続ければ、心が弱ってプライドや良心、生きる気力などが失われます。
よって「社会的な死」は生きている状態のうち最も死に近い状態であり、そうでない者から見ると「生きながらにして死んでいる」状態です。
そのためDOD・NieR中において「社会的な死」の経験者は、蘇生・複製された死者である「天使」と同等の存在に区分されているのです。
このような状況は人間の認知・記憶までも変容させ、現実には存在しない「想像上の仲間」を創り出すこともあります。
印象的なわりに情報量の少ないNPCキャラはもしかしたら、現実世界には存在していないキャラなのかもしれません…
(もっとも『檻』は現実世界ではないので、二次創作ではNPCキャラも今まで通り描いてあげていいと思います)