
もう祈るしかない。
……一月が爆速で過ぎていった。
何をやっていたか、ほぼ記憶がないまま二月に突入していた。
一月行って、二月は逃げて、三月去って、とはよく言ったものだな。
一月note書いたっけ?と思ったら書いていたのでちょっと安心した。
私は大晦日までインフルエンザで隔離、元旦に数日ぶりに夫と顔を合わせ、
あけましておめでとうの次に口をついて出た言葉は
「去年、ほんとやばかったな」
今年こそ健康に。家族みんな無病息災!
新年に次男とご祈祷に行ったお札は、リビングに高々と飾ってある。
そして最近よく眠れない。
眠れないなら起きてnoteでも書けばいいけど、そんな気も起こらず、
暗闇でひたすらSNSを見ている。
目に悪いのはわかっている。
今日は書くぞと決めて起きてみたら、やっぱりこの方が断然いい。
布団に入って子供を寝かしつけたあとも、ちゃんと子供たちが息をしているか気になって、何度も目が覚め、眠りが浅くなる。トラウマがまだ存在していることを知りながら、うまく付き合う方法を考えずに逃げている。
大変なものを産んでしまった、と思う。
一生、子供を心配する心を持ったまま生きていくのだと思うと気が滅入ってくる。だからと言って、子供を無碍にしていいわけではない。
祈るしかない。
毎日毎日、保育園まで自転車を漕ぐ数分間に
「今日も無事に元気で帰って来れますように」「平穏無事で過ごせますように」
思うだけでなく、小さくても声に出すと少し心が落ち着くのがわかる。
救急車がサイレンを鳴らして通ると、息子は「頑張れー!」とエールを送る。私も「頑張れー!無事におうちに帰れますように」と一緒になって祈る。どんな人がどんな状態で乗っているかわからない。無責任な祈りだけど、そうしないと心が落ち着かない。
こんな気持ちになるのは私だけなんだろうな。
夫は子供から遠い場所でいびきを書いて寝ている。
私たち家族はいつまで元気で生きていられるだろうか。
子供たちは心も体も健やかに、育っていってくれるだろうか。
ものすごい低い確率かもしれないが、自分の寿命より先に子供を失ってしまう可能性のあるこの人生が怖くて仕方がない。
誰かそんな確率はゼロだよ、って言ってほしい。
病気になったら医者が薬を出してくれる。
必要であれば手術だってしてくれる。
でも心が壊れたら、治せるのは自分だけだ。
心は一度壊れたらなかなか元通りにはいかない。だから自分が一番に気づいて、一番に守ってあげなくちゃ。
そう思って、パワハラが会社中充満していた前職をやめた。
割と最近まで、その仕事や職場に未練があったと思う。
あいつさえいなければ。なぜ真面目に働いてきた自分があんな理不尽な思いをしなければならなかったのか。あいつさえいなければ、今頃も楽しく働けていたはずだったのに。
上司の顔が浮かんでは、嫌な気持ちになり、また消えて、また浮かんだ。
何を思ったか、先月末に職場のあった場所まで足を運んだ。
体が重くて、「ああこれは、当時の気持ちを体が覚えているんだな」とすぐにわかった。
2年以上踏み入れてない土地に意を決して行ってみたら、案外吹っ切れた。
頑張ったなぁ自分。行けなかった場所に行けたよ。
「あんなところ辞めてよかった」というには簡単すぎるけど、
実際に転職してみたら、ミシンを踏める今の仕事と職場が合っているし、子供たちを優先して考えてくれる上司にも恵まれた。
私は今までもこれからも、パワハラした人たちを許さない。恨まないけど、許さない。
でももうやめにするんだ。未練を残したまま今の仕事をするのは。
楽しくミシンを踏むために、楽しく技術を得るために。
もうあんな職場には戻らないけど、私がした経験は私を裏切らないから、糧にしてやるよ。
私は私の心を、私が感じたことを大事にして生きていく。