1月29日 運/占い/日記
今日は、人生で聞いた話の焼き直しをします
自分が独自で考えたような内容はほとんどないです
「このガチャ引いてくれない?」
ソシャゲなんかでは、自分のランダム要素を
人に託すことがあるらしい
託されたことはあるが託したことはない
大方、「流れを変えるために」だとか「自分の運が悪いから」だとかの理由でそういうことをしているんだと思う
ガチャを引いた
引けば解決する話だし、断るメリットもないから
どうやら当たったようだ
「運いいな〜」
運なあ
あんまり好きな概念じゃないんですよね
運が"よかった"は分かるんですけど
運が"いい"は分かんないです
思ってること99%これの6:00〜あたりからと同じなんで、これ見てくれた方がいいです
運みたいな話で思い出したんですけどね
占いってあるじゃないですか
自分は占いを信じていません
というか占いに限らず、そういった超常的なもの全般を信じていないです
幼少期に読んだ漫画に、荒稼ぎしてる占い師をやっつける話があって
それがあったから信じる流れに全く行かなかったんですよね
インチキ占い師はバーナム効果やホットリーディングを使ってる、だとか
当時そういうこと全然知らなかったわけで結構衝撃を受けました
まぁそういう話術の話はともかく、占い全般の話をしますが
人が占いを信じるのって「当てられた」の経験から無意識に信じる方向に意識が向いていったり、根拠がなくてもなんとなく言われたら信じてしまうってことだと思うんです
ただ、自分は「悪い星が出てる」「この数字は希望を意味してる」とか全然信じられないんですよ
だって筋の通った根拠じゃないもん
そこの論理が気になっちゃうんです
生年月日、名前の画数、血液型で今日明日10年後の運勢が決まるなんて全然納得できないんですよね
でもさ〜今でも運命とかの占いがウケてるってことはやっぱり需要があるんだろうね
多くの人は自分の将来を知りたい欲求を持っていると思うんです(データや根拠なき発言につき注意)
たとえ変えられない未来だったとしても
とにかく知りたいと思ってしまう
不安だからかな
知らないって怖いし、その恐怖の中で情報は光だから
自分も未来を知りたいとは思う
知っていれば何ができるかもしれない希望もある
ただ、もし占いとかじゃなく100%の予測があったとしたら、あんまり見たくないかも
未来を知る事に対する怖さもある
断片的に、1秒分の情報だけとかだったら見たいかも
誤解してほしくないんですけど、占いが嫌いって言ってるわけでも占いとかそういうものを信じてる人を馬鹿にしてるってわけでもないです
ただ自分は信じられないよっていう事実を伝えたかっただけです
改めて読み返したけどこの占い師のモチーフ細木数子すぎるだろ
あなた大丈夫? 世の中大変ね
自分の好きキャラが占い好きなもんだからあんまりこの話しちゃいけないよな~~~とか思いながら書いてましたが
大丈夫かも?
自分を信じるきっかけになるからだと思ってるんですよね
朝の星座占いなら悪い結果でもラッキーアイテムがあって、
それを身に着けていれば勇気の裏付けになる
結果が良かれ悪かれ
心はプラスに繋がっていく
だからそういう占いが好きなんじゃないかな~
日記
ついったーチラ見したんですけどそのチラ見の瞬間で悪いこと言いたくなっちゃったんで、本当に向いてない
本格的に何も作れない期です
この期間って毎年あるのでもうしょうがないのかもしれない
何も作れない期の酷さって、REAPER開いても何もやる気出ないのに
REAPERを開いちゃうっていうところだと思うんです
流石にこれを肯定する方法は浮かばない
「なんで別の要素と日記をまとめて1本のnoteで出してるの?」
なんででしょうね
なんか面白い形式かなと思って
その日思ったことを書いてるだけなので、前半部分も日記といえば日記なんですよ
ガキ使でトークの前にオープニングとして企画が挟まっていったのと同じかも
最近の自分、かなり危険な状況にあると思う
インターネットで置かれてる状況が
肯定だけしか見えないから絶対調子乗っちゃう
非難されなきゃいけないところがあったらちゃんと指摘してほしい
そうしないと俺はもう暴走してしまう
メモのコーナー
今日は通話してたせいでメモが全然なかった
未来が決まっているだなんて嫌じゃないですか
選択してきたから今があるんです
これから選択していくから未来があるんです
各々の不可抗力を全部の原因にするっていうのは 人が悩んで迷いながらやってきた選択や努力を無下にしてるのと同じです
人生が最初から決まってるなんてふざけんな、ですよ