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20(24/05/22) じぶんのために書く〇〇の気持ち

文章構造的につながりを持たない短文の羅列なので、
Twitterみたいなものだと思ってください

どこかでしたような話の焼き直しになっている部分が多いんですが、
改めてnoteにまとめておきます


「あの人の話、面白くて良いな」「この人の振る舞い、物腰柔らかで話しやすいな」「〇〇さんの描く絵、見惚れちゃって追いたくなるな」みたいな、
人が提供するものが自分にとって得があって、その人を何かの提供者として好きになることがある でも、
それとは別に、それ以外の一面、あるいは全ての面をひっくるめて
大好きになってしまうことも、ある


恋愛感情だとか、あるいは人をいわゆる「推し」にする気持ちだとかってなんなんでしょうね。なんで生まれるんでしょうね。
その人を提供者として見ているから? そうでないとしたら?
それって向けていい感情なのか?



自分は、人間自体に惚れ込んでしまった、んですよね

多分向こうは不本意なんだろうけど、めちゃくちゃな生き方をしている人
なんかは、本当に人間自体が魅力的に見えるんです
特に音MADの世界には異常者※がたくさん居て、もうね、凄いよ
音MADの世界は本当に面白い人間が居る

※私は「異常者」だとか「変」だとかをプラスの意味でしか使ってません
「変わってる」だとニュアンス違ってて何かイヤなんですよね

普通に生きようと思えば/思考がちょっと一般化されてしまえば
いわゆる「普通の人生」「エリート的な人生」を歩めたであろうほどの人が、なぜこんな行動を取っているのか、なぜこんなまるで無意味なことをやっているのか、何に魅入られているのか、どんな価値観を持っているのか、どんな生き方をしてきたのか、みたいな。
もうそういうフックがあると、例えば部屋の写真だとかデスクトップの様子だとか、誕生日だとか、職業だとか、親の職業だとか、そういうのを知るだけでニコニコしてしまうんですよね
自分はこういう状態を平たく言って「興味がある」という風に表現してます


これ絶対に勘違いしてほしくないんですけど、自分のこの感情の中には、
バカにしてる気持ちは一切ないです。マジで。1mmも。
水道止められてる人だとか、教科書買えなかった人だとか居ますけど、
そこに対しての葛藤や重く/軽く受け止める価値観なりが好きなだけです

「本当に愚かで描くにも値しない人間を、僕らが無理して描く必要はないですよ」っていう宮崎駿の名言じゃないですけど、ただ他人を愚かだって
嘲笑うのに時間使ってられるほど趣味終わった人間ではないんで



割とこれのイメージとしては、BLのナマモノジャンルに近いです。
性の面を推さなかったり2人じゃなくても成立したりしてるだけで、
人間自体(の想定されぬ点)に惹かれてるのでやってることは同じです。
なので、実際この感情は他人に向けるというか当人に認知されるのは
結構良くないことだな~とも思うようになりました。

(率先して相手に伝えていたわけではないんですが、
一般的な単なる好きの延長なら伝えたっていいだろうと思っていたので、
このことに気づけたのは最近でした、申し訳ないです……)



自分がこうなった根底でいうと、前回のnoteも触れていたSKET DANCE
という漫画を幼少期に読んでいたことが結構大きいと思います
自分が人間の人格をちゃんと見るようになったのは、その普通じゃない人の「理解者でありたい」という気持ちがあったからだと思います
人格をまじまじと見ていたらいつの間にか、魅入られていました

あとこれもだ
恐山の「人生の全部を聞くとキライになれないですよね」っていう発言が、結構印象に残っているんです。
人がどうやって生きてきたのか知ると、苦手なあの人も、
1本の人生の筋で通っていて、理不尽な生き方には思えなくなる
これも人の生き方・価値観をもっと知りたくなる要因でした


こうなったのは割とシャイニーカラーズ(アイドルマスター)の影響もあると思います。シャイニーカラーズに登場する人物は実在性やら何やら言われているように、人格のディティールが現実に近いレベルで細かいです。
そのせいで登場キャラクターを好きになることが、すなわち
人間の人格・行動そのものを好きになること」に近くなります。
そうして、仮に相手が現実に存在する人であっても
シャニマスの登場キャラを好きになるノリで好きになれてしまいました。

現実と架空が区別がつかなくなった、というより
架空が現実に対する見方を増やした、という表現が合うと思います。

それでこの動画も結構影響受けました これも恐山じゃん
ここで永田に対して「人間にたった1つの評価を下すことはできない」って
1個の面じゃなくて、ぜんぶを合わせて、人間をそのままで受け取る


割と最近は、自分に限らずとも世間一般的・オタク文化的に、
人間をパフォーマンスや能力、瞬間の行動など一面ではなく、
切り分けず総合的に、そのまま受け取るっていうことが当たり前に行われるようになっていると思います。
多分昔は雑に人間を受け取ることが結構多かったんでしょうけど、
VTuberだとかハウス系YouTuberだとか、推し文化の影響ですかね
(自分の友達がそうなだけで、全然世間的にそうではないかも)


人生のこれまでの色んな要因があって、
人間を人間のまま受け取ることにだいぶ傾いていたなあと思います


こんなんになったのはいつなのかな~と振り返ってみると、
少なくとも2020の時点ではそういう人間そのものを面白く思う気持ちは(ほぼ)なかったと思います
2021年後期ぐらい……? でもちゃんとシャニマス始めて、シャニマスを味わってからな気がするから、2023年初頭ぐらいか……?
いや、■■■さんと出会ったときにはすでにその考えには達していた気がするんだけどな
そもそも最初に人格凄い気になるもっと追いたいってなった人は■■さんだと思うから、2022年中期ぐらいかも…… わかんね!

ともかくたかだか3年ぐらいですか、長続きするのかなあ
長続きすべきなのかも、分からないんですよね
この感情ってやっぱりカルマなんでしょうか……

やっぱり音MADの界隈においては、音MADをしにきていて、評価される・愛されるにしても音MADの面でそうありたいと思う人が多いはずです
だからやっぱり不誠実かな……
うーーーん 好きなだけなんだけど、良くないのかなーー


自分は何度も何度も言っているんですけど、
人間をもっと知りたいなと思ってるんです
僕が興味ある・なし関係なく、もっと己を開示して、
自分の価値観を叫んでほしいです
Twitterで愚痴みたいに吐くだけじゃなくて、
誰かが描いたイメージじゃなくて♪



LEVEL6です。2004/05/22に生まれ、今日で20歳になりました。
20年生きてきて価値観は目まぐるしく変遷していきました。
多分5年もすれば、この価値観もまた薄れて、溶けてしまうと思います。
自分は過去の価値観であれ置き去りにするのはキライなので、
まあ墓石というか、自分がその価値観で生きていた証になるよう
このnoteを置いておきます

20だし一応書いとくか
ムラサキカガミ! 二分の一成人式のときのタイムカプセル!

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