【下書き公開キャンペーン】5月7日 物語とソシャゲ(特にシャニマス)、続いていくこと
シャニマスと物語とを考える
まず、この話をする上で物語とはなんなのかを考えないといけないんです。
ただ!
ここで定義に振り返る、辞書を引くっていうことは無意味に等しいと思っています!
こういった単語は言葉ではそうやすやすと表現できないようなニュアンスを含んでいるからです。
実際検索してみるとこうです。
こんなん見たってしょうがないよ
だから"物語"という1ワードに自分、あるいは人々が持っている含みを自分で考察しないことにはこの話は完結しないんですよね
僕にとっての"物語"を言葉にするとしたらこうだと思います。
"ストーリー"もほとんど同じニュアンスで使っている気がします。
このことから私が言いたいのはですね、
目標が達成されたならば、物語はそこで終わらなければならない
ということです。
場合によっては物語の途中、あるいは終了後に新たな目標が生まれることもあるが、それを解決するまでの過程は言うなれば別の物語にあたると思います。
どのような形であれ目標が達成されたところでその物語は終わりになると思うんです。
また、よく人生は物語だとか言われますが、
この定義に沿うと人の一生というのは物語にあたりません。
なぜならば、生まれた瞬間から死を目標としている人は居ないからです。(要出典)
本当に物語といえるのは人生の一部を切り取った何かしらの目標を達成するまでのプロセスの部分でしょう。
物語は人生の切り抜き動画にあたる
さらに、いわゆる日常系・空気系と呼ばれるような作品も物語性※は薄いと考えています。
これは、単なる日常は物語ではなく様子にすぎないからです。
※ここでいう物語性は先述した"物語"と呼べるかどうかを指している
さて、私が大好きなコンテンツ「アイドルマスターシャイニーカラーズ」は、いわゆるソシャゲという形態を取っていて、ゲームの経営戦略としては「続くこと」がかなり重要になってきます。
また、コミュがコンテンツの大部分を握っている状況でもあります。
コミュとは平たく言うと会話シーンのことで、アイドルたちの様子や"物語"が描かれています。
では、そういった"物語に重きを置くソシャゲ"についてはどうなるんでしょうか?
1.物語は目標の達成とともに終了する、すなわち終わらないためには目標を達成できない状態でなければならない
2.運営の戦略的に、ゲームは続こうとする
つまり、
物語が続くために登場人物たちの目標がずっと達成されないままでいる
ということになります。
嫌だなあ、ああ嫌だ
そんな残酷なことがあるなんて