私の好きな言葉
金言と言えるものは、練りに練られて余計なことは一つも無い
そして、今を生きる私たちがその言葉に胸を熱くする時、きっと「ありがとう」と、先人に自分の知恵と苦悩とが報われたよと言われて微笑まれるに違いない。
その言葉に出会うのは、これだけ情報がとれる時代になったのだから、もはや、紙媒体の本に頼らない形で電子書籍でも、noteの様なネット掲示板でも、皆大好きユーチューブでも何でもいいと思う。
ただ、単純にその言葉を求め彷徨う人のアンテナにビビビッと受信すれさえすれば良いのだ。
とにかく、ポジティブなときにも燥ぎ過ぎず、ネガティブに落ち込んでいるときも落胆しすぎず、常にニュートラルな意識の状態で少しでも日々、前進あるのみ。その時の自分が腑に落ちて、気持ちが楽になるなら、それは本当の言葉なのだなと思うから。
いつも苦しい時に思い出しては、なぜなぜ、どうしてと堂々巡り。それでもまだ頑張ろうと踏ん張ったり、違う方向へ方向転換を模索したりするときに励まされる言葉。
私の手帳に書いてあったそれは、ノーベル平和賞を受けたこともあるアルベルト・シュバイツァーの言葉だった。
鬱っぽくなっていた時期もあった私が、読書をしていてたまたま見つけた。
「物事に関心が無くなり、真面目さや憧れ、情熱、熱意などを失いかけていることに少しでも気付いたら、これは病気の前触れだと考えなくてはいけません。
表面的に流されている生活に魂が苦しんでいると気付かなくてはならない。」
医師でピアニストで哲学者、私財をなげうってまで、発展途上国の人々の命を救おうとした偉人の言葉。常に流されていた私にズシンときた金言であった。
そして、現実と理想の狭間でうんうんとうなされていた頃の私が勇気づけられ、必死にメモした言葉を以下にまとめてみました。
①物事に関心が無くなり、真面目さや憧れ、情熱、熱意などを失いかけていることに少しでも気付いたら、これは、病気の前触れだと考えなくてはいけません。表面的に流されている生活に魂が苦しんでいると、気付かなくてはならない。
②成功は「幸せの鍵」ではありません。幸せが成功の鍵です。
もし、自分のしていることが大好きなら、あなたは成功しているのです。
③人間は、愚か者のように振舞う賢い生き物である。
④認められるまで笑われる。これは真理の常である。
⑤まず、考え、それから行動せよ。
⑥あなた方の運命がどうなるかわからないが、一つだけわかっていることがある。
あなた方の中で幸せになれるのは、どうしたら人類に奉仕できるかを模索し、ついにそれを発見した人々だけである。
⑦力のある者は、決して騒がない。力のある信者ほど、無言のまま働きかける。
真の道徳は、言葉の終わったところから始まる。
⑧楽観主義者には青信号しか見えていません。同じように悲観主義者には、赤信号しか見えていません。
でも、賢者には、両方の信号が見えているのです。