☆18.天才万博で踊っちゃった話と一年の総まとめ。
おはようございます。
おせちって今、どれくらいの家で食べられているんですかね。私は伊達巻きとタコしか食べません。ホント好きなんですよ伊達巻き。小袋の福豆といい、季節限定のものを好きになるとなかなかしんどいですね。
話はそれていない気がします。どうでしょう?
というわけで今回は「天才万博で踊っちゃった話と一年の総まとめ」というテーマでお送りします。
まあ本当に本当にたくさんのことが起こった一年でしたからね。でも正直、今年が一番楽しかったんですよ。たくさんしんどいこともありましたし、病気退職とか無職とか色々あったはずなんですけど、それでも今年が一番楽しかったと言い切れる。こんなメンタリティにいつからなっていたんでしょうか。正直信じられません。
天才万博で踊っちゃいました!
ボトルジョージシアターで買わされた天才万博のチケット
全ての始まりは「ボトルジョージシアター」でした。映画『ボトルジョージ』はずっと見たいと思っていて、予定が合わず延期延期を繰り返した結果11月の末に見ることになりました。私は1年くらいサロンメンバーだったのですが、そうした人たちが集まるイベントには警戒感が強く、なかなか顔を出さずにいたのですが、意を決して参加したわけです。
そして着くなり早々、天才万博のチケットを買わされることになりました。まだボトルジョージだって見ていないですよ。そこでいきなり5000円出せってそんな、怖いじゃないですか。周りも天才万博の参加者ばかりで逃げ場もない。正直この瞬間は来たことを後悔していました。
ボトルジョージは素晴らしかったですし、そこからたくさん話もしたし聞いていただいた。感謝はたくさんあります。けれど、輪に飛び込むなりいきなり取り囲まれるというのは正直トラウマになる人もいるでしょう。同時に手売りの大変さも感じることができましたし、彼のような人がいなければ成立しないのがエンタメでもあると思うので悪くは言うつもりはありません。ただボトルジョージ観劇をおすすめできなくなっちゃったのも正直な気持ちです。難しいですね。
兎にも角にも買わされてしまったチケット。さてどうしようと思っていたところに「天才万博でのバンドザウルスのバックダンサー募集」のクラファンの情報を知りました。いわゆる”おっさんダンサーズ”というやつですね。ここで私の尻が浮きます。せっかく天才万博のチケットを買わされてしまったんだから、どうせならステージの上に立つ側になろう、というわけです。とはいえ私が気付いた時にはほとんど売り切れてて、残ってたところを買った形になります。受け身に回っていいことなんて何一つない。そのことは普段の高校演劇の観劇でよくわかっていましたので、作り手側に回ってやる!となったわけです。
同じ阿呆なら踊らにゃ損!
で、結果なんですが、やっぱり踊る側で大正解。チケットとクラファン(出演料)もろもろで4万円強かかりましたが、プロが演出して作り上げる舞台で、400人くらいいるであろう観客の前で素人がダンスする権利として4万円は全然出していい。あの5分間はもうあっという間で、ティラ様(西野さん)とマンモス堤下さんが即興コントをする後ろで踊る。本当に不思議な気持ちでした。
そして堤下さんのツッコミに踊りながら震えました。弾数・スピード・アクセルの踏み込み・正確さ……あらゆるものに心を奪われて振りを間違えました。ど素人が踊りながらでもわかる「打ち返しやすさ」にプロのなせる技を感じました。つくづくすごいステージにいるなあと嬉しくなりました。
ステージでは当然みんな西野さんたちを見ますのでほとんど目が合わないのですが、ステージを降りたところでハイタッチをたくさん受けて、また子供達と握手したり叩かれたりと、ステージを降りてからの方がイベントが多くて楽しかったかもしれません。狭い東京キネマ倶楽部に恐竜の着ぐるみがぎゅーぎゅーしているのもなんかおかしくて、お客さんのお出迎えから何から、すごく楽しかったですね。
鶯谷という場所柄ではありますが、西野さんのオンラインサロンメンバーということで子供に優しい世界で、赤一色の怪しい世界で恐竜の着ぐるみと写真を撮る親子の図は、ファンタジーともちょっと違う不思議な空間でした。
特に親しい知り合いもいるわけではないので、観客側だったら何もすることがなかった。優しい人は多いもののやっぱり突き詰めれば内輪のイベントではあるので、初めましてで飛び込むことは大手を振ってはお勧めできないのも事実。
だからこそステージに立つ側で正解でした。踊る側として舞台裏に入ることができたことも興奮しました。プロが作るステージの裏側。今回はおっさんダンサーズにも楽屋が用意されていたこともあり、他のミュージシャンが演奏する音の響きを楽屋で感じながら着替えたりする感じが骨身に沁みました。ダンサーの皆さんは今日のステージを作る仲間同士。お互いに声を掛け合ってすごく素敵な舞台裏の景色でした。
怒涛の2024年が終わる
さて、もうすぐ2024年が終わるわけですが、みなさまにとって今年一年はどのような年だったでしょうか。私の一年は、本当に本当にたくさんのことが起こる一年でした。
出ていけ、出ていけの連続
まず新年明けて1月10日、仕事始めの日に年度末退職が決まったところから始まりました。そこからしばらくは演劇漬けの生活を送り、最後の大会でも無事に結果を残すことができました。3月までは並行して手紙を書く日々でした。部員や一部の先生、仕事でお世話になった関係先などあちこちに手紙をたくさん書きまくっていたので、実は精神的にさほど苦しい自覚がなかったのが正直なところでした。自覚がなかったのか、自覚しないように動きまくったのか。
そして4月、新しい学校に赴任して事件が起こります。昼夜を問わず襲いくる呼吸困難。吸ってる息がないのに吐こうとする日々。誰も通らない田舎道で息が吸えなくて、救急車を呼ぼうにも呼べないことが何度もありました。あれ以来野田線がトラウマとなり、今でも近づくと過呼吸を起こします。
そして半月と持たずに退職。人生で初めて「無職」の肩書を手に入れることになりました。ちょうど引越しと重なって新居契約に支障が出て、急遽無職で住める家を求めてシェアハウスに飛び込んだのもいい思い出です。そのシェアハウスでもトラブルがあり、最初の更新で退去通告をされて、1年の中で公私両面で存在拒否されるというまさかの経験をすることになったのだから面白い話。どう考えてもアイデンティティ崩壊案件ですし、通常ならここで心折れててもおかしくないのですが、そうはならなかったのが今年の私。いつの間にか強くなっていた(多少抵抗できるようになっていた?)私に気づかされたのも今年よく見る光景でした。
それがあったから、「音響の仕事をしたい」と狙いを絞って探していたにも関わらず、今の派遣の仕事にあっさり受かってお世話になっています。わからないものですね。
失ったぶん、出会いも多かった
そして、今年はとにかく出会いが多かった。
今年は古いオタクの知人や養成所の同期、古い教え子に至るまでとにかくたくさんの人と再会しました。正直印象良くないのでは?とも思っていましたが、意外にもみんな暖かく迎えてくださるものですね。そして喫茶店を開いたり、アイドルになったりと挑戦している人との出会いや再会も多くて嬉しかったです。noteの扉絵を描いてくださった方とも1月の大阪で再会し、お仕事として依頼させていただきました。本来の事業は進捗ゼロですが、こうして活用できているのでありがたい話です。
そしてなんと言ってもトッコさんの『3日でつくる演劇ワークショップ』への参加です。ここで繋がった縁に今年何度救われたことか。高校生から人生のベテランさんまで、たくさんの人がトッコさんのもとに集まって演劇を純粋に楽しむ姿。栃木は正直いい思い出がなく、両親が東京に移ったこともあって「捨てた」ようなものだった場所でしたが、まさか栃木とこんなに縁ができる一年になるなんて思いもしませんでした。何回宇都宮に行っただろう今年笑
5月のワークショップで直接出会いはしなかったけど、後から出会い直した人も何人かいましたね。8月の滋賀、東松山、秋の王子とたくさんのワークショップに参加する中で、どこへ行っても"トッコの手の者"がいるんだから笑っちゃいました。もう悪いことは絶対にできませんね。
また、自分で開催することになりました12月15日のワークショップ。一体どこから見つけてきたのか、教え子との再会を果たすこともできました。埼玉開催だったこともあると思いますが、これは本当に嬉しかった。懐かしすぎるったらありゃしない。一体どこから見つけてきたのよ笑 他にもたくさんたくさん嬉しいことがあって本当に勇気をもらってばかりの一年でした。
演劇もたくさん見た
そして今年はたくさん演劇を見に行きました。新春1/5の大阪に始まり、南北関東大会、いわき春フェス、中学関東、"産卵"自主公演、中学私学大会、夏研、優秀校東京公演、佐賀東東京公演、前職の地区大会、東松山地区大会、宇都宮地区大会、埼玉県大会、ほんまるアラカルト、他に知人のライブや公演もいくつか行きました。そして気がつけば自分が一人芝居や天才万博で舞台に立つというありさま。土日休みの仕事だったとはいえこんなにも自由に動き回る自分がいることにすごくびっくりしています。
ただ同時に思ったのは、私はやっぱり見に行くだけじゃ物足りないっていうこと。確かに衝撃は受けたし見てよかったのですが、繋がりの広がりという意味においては行く場所ではないなと思いました。正直「高校演劇を見て感想言って終わるのの何が楽しいんだろう」と思ってしまって(他者を否定する意図はありません)、やっぱり私は作り手でありたいんだなあと改めて感じました。そして挑戦が足りないことに気付いて、note定期投稿・一人芝居・インプロ・ワークショップと色々走り出したのが現状というわけです。
本当であれば感想も、noteではなくお手紙で書きたいくらいです。いや何校かはお手紙を出させてもらっていますが、「俺、高校演劇見てるぜ〜」という風を吹かせるのがすごく嫌で。あの風が本当に嫌いなんですが、皆様から見たら私もあの風が吹いて見えるものなのでしょうか。だとしたら身の振り方を考え直さないといけないです。実際どう思われてるものなのでしょうね。ちなみに顧問時代に1通お手紙をいただいたことがあって、それに刺激を受けている部分もあったりします。
何もない人だけど、何もしない人にはなりたくない。
すごく思ったんです。色々な人に出会って、やっぱり私はもっと何かをしたいんだって。演劇部のことを話せば話すほど好きになって、やっぱりあいつらは天才だって心から思える。手紙を渡したのは正解だった。手紙さえあれば、何度だって言葉を振り返ることができる。苦しんだ時に、辛い時に、負けそうな時に、手紙の中で何度だって天才だって言い続けられる。
人は、同じ言葉に何度だって刺される。だから傷つけてはいけないし、勇気づける言葉は何度だって勇気づけてくれる。誰がなんと言おうと、少なくとも私は味方なんだ。それを書き残せたことは嬉しく思いますし、もし仮に私が死ぬようなことがあれば、きっとたくさんの人の手元にお手紙が届くことになるでしょう。いつその日が来てもいいように、私はたくさん書き残しています。
だって大好きなんだもん。目の前の人を100で愛さないと気が済まない。いずれ忘れる日が来るかもしれないけれどそんなことはどうでもいい。その人のために、なんて言葉は使いたくないけれど、その人のために何かをしなければ気が済まない。いつまでだって愛してやる。いらないと言われても。
否、いらないと言われたからこそ、こちらから愛することをやめたくない。こっちは愛してもらうために愛しているんじゃない。愛してくれる人がいたらそれはとても嬉しいけれど、それが目的なわけじゃない。見返りを求めることが愛だなんて許さない。ちゃんと負けろ。話はそれからだ。
そしてそのためにも、もっとやれることを増やしたい。行動しなきゃいけない。そう思えたからこそ今年はたくさん行動できたし、いいことばかりではなかったけれど、思ってるよりも諦めてない自分がいることに嬉しくなったりするんです。ああ俺、前より格段に強くなってるなって。
私は何もない人です。
けれど、何もしない人にはなりたくないです。
だからまずは、言葉にし続ける。尊敬している愛しているって言葉にし続ける。届かないってことはわかってる。それでも言い続けるんですいつどこで聞いてるか見てるかわからないから。まずはそこから始めます。それしか今の私にはできないから。力がないから。
そしてそこから一歩抜け出して、もっともっとみなさまに何かをもたらせるよう、学びを重ねていきますし、新しい挑戦もし続けます。受け止めるだけの人生なんてつまんない! 作れ作れ作り続けろ! お前は何を作れる何を与えられる? それで終わるなんてあいつらのためにも許さないぞ。
心を撃ち抜かれた劇
せっかくなので、今年一年ですごく衝撃的だった劇をいくつか挙げておきます。身の振り方を考え直させられたり、自分の足りない部分に気付かされたり、たくさん学ぶものがありました。私からは絶対に生まれないし、この劇を作る景色を共にすることができたらとても充実した日々を送れるんだろうなと思うのです。
ここに書いても関係者の目にはなかなか触れないと思いますが、まあこういうイタズラもいいでしょ?笑
『楽しかったらええやん!!』
1/5大阪新春公演、大阪産業大学附属高校
これが本当にぶち抜かれた。3年生部員が演劇部生活を振り返る話だったんですけど、演劇で人生が変わる姿をまざまざと見せつけられました。演劇部顧問として一番嬉しい瞬間ですよね。わかります。
『TABOO』
1/21南関東大会&3/22春フェス、下妻第一高校
教師ってなんなんでしょうね。伊勢崎清明さんの『(株)カンパネラ工業』もそうですが、ああいう劇を子供が演じてしまうことに危機感を持って行動できない大人にはなりたくありません。
『走渡鳥』
3/29中学関東大会、日吉台西中学校
本当に清々しかった。中学生の生徒創作であんなの作れるの……あんな劇を作れるくらいまっすぐな心を持った子供を育てたいですね。そのために大人が見せる背中は、どんなものがいいですかね?
『病院ではお静かに!』
7/14中学私学大会、立教池袋中学校
開始10秒で病院送りという笑撃の脚本。最後までバカたっぷり。あれは人生苦しい時に思い出したい馬鹿馬鹿しさですね。これは人の命を救える劇です。「辛い時は俺を見ろ!」っていうタイプの劇です。天才。
『太陽の羅針盤〜陸蒸気を海に通せ〜』
9/8赤坂自主公演、佐賀東高校
あの鍋島閑叟は忘れられない。大隈の"友人が銅像になる"という誰も理解できない苦しみ。でも道半ばで死んだ、その道の先を切り拓いた人がいるから"道半ばになった"んですよね。切り拓く苦しみを背負った馬鹿がいる。
『バイ・ユア・サイド』
10/12宇都宮地区大会、宇都宮東高校
劇の感想が未来形ばかりになるなんて未だかつてあったでしょうか。源太朗と皐月の手紙の物語が美しいったら。これ二人の物語を深々と描いて映画化しませんか? 大会の60分尺では短かったんですよきっと。
『贋作 妖怪呟談』
11/16埼玉県大会、深谷第一高校
なんかね、後から後からじわじわくるんですよ。なんだろうこの、お出汁が沁みてくるような感じとでも言いましょうか。言語化できていない部分が多すぎて困ってますが、とりあえず今もう一度見たいです。
『めぐるめぐる』
11/17埼玉県大会、上尾南高校
誰からも見捨てられひとりになったヒーローめぐる。最初は形から入っていた彼女がたった一人の少年のヒーローとしてやることが「119番通報」なのがすごく沁みる。自分にできることで最善を尽くすのがヒーローなんだ。
終わりに
ふう。書き切った書き切った。
というわけで、明日から一泊二日で某所に行ってきます。ただの思いつきです。飛行機がちゃんと飛びますように。
皆様良いお年を。
ここまで読んでくださったあなたに、素敵な朝日が昇りますように。