私のすなる日記といふもの
すみません。これは引用機能を使ってみたかっただけです笑
日記といえば、高校の古典の授業で習ったこの一文をいつも思い出します。
男性の紀貫之が、かな文字を使うために、女性になりきって書いたという"イマっぽさ"が好きです。
私も日記といふものを書いています。
書き始めたのは2年半前からです。
きっかけは、私の文房具趣味からです。
私は文房具が大好きで、日記を始めたのは、ちょうどガラスペンやら万年筆やら、インクやらを集めている時期でした。
集めるはいいが、使う機会がない!
眺めるだけでもこの文房具たちは僕の心を溶かしてくれるのですが、使えばさぞかし愛くるしいだろう。
そう思った私は、何か書きたい。文章を書くのは大変だなぁ。ということで、日記を書くことにしたのです。
日記なら無限に書くこと(=文房具を使う機会)が溢れてきますからね。
結果的に、その日記は育児日記になっています。
今日は子どもがこんなことを話した。こんなふうに笑った。こんなふうに喧嘩した。
正直文章にまとまりはありません。
半分箇条書きのように出来事を書き連ねているだけなので、会話の描写や感情の描写も不足しています。
でも自分が見返すだけだから良いのです。
それに、日記のいいところとして、
「書いたことは忘れて良い」
ということがあります。
楽しいことを忘れてしまっても、また日記を読めば思い出せますし、忘れたところに新しい"楽しい"を詰め込みやすくなります。
一度言われた嫌なことも、何度も自分の頭の中で繰り返してしまうくらいなら、一度書いておけば、明日には忘れてしまって良いのです。(いつか上司を訴える時が来ても!笑)
日記を書くと、毎日が軽くなります。
何か書くことないかなーと思いながら生きていると、日々の小さな幸せへの感度が上がります。
これは誰かに見せるものでもないし、だから自由に書いています。
ただ、もし自分が死んだとき、妻や子どもが万が一中身を見てしまったら……………
その時は私の溢れる愛情で記された日々の出来事に、きっと温かい涙が止まらなくなることでしょう。
それは、先に死んでしまった側の責任として、家族への最後のプレゼントとなるように、なるべく愛情を込めて家族への下手な不満は書かないようにしています。
そういう意味では読んでほしくないけれど、少し読んでほしくもある。
ある種、手紙のタイムカプセルのような、不思議な思いで遺している、それが私の日記です。