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「生き急ぐ手帳活用術」と「ほぼ日手帳」

今日は少し毛色の違う私の好きな文具のお話です。
毎年秋頃になってくると各社こぞって来年の手帳を発売しますよね。
私は中学生のころ、図書館で見つけたほぼ日手帳公式ガイドブックを見て「1日1ページもある変わった手帳があるのか!」と衝撃を受けて以来、毎年ほぼ日手帳を使っています。
ですが、好きではあるけど難しいのが1日1ページということ。
ブログやSNSでもほぼ日手帳は空白が多すぎて辞めてしまった、続かないという声を聞きます。

長い間、手帳活用術という言葉に悩みました

人生を豊かにするために毎日変化し続けねばならないと急かすような手帳活用術の本が多い気がします。たしかに毎日のタスクを処理し、仕事を片付け、仕事終わりのプライベートも充実させようと思うと必然的にPDCAサイクルを早く回すような活用術が増えるのだと思います。

でも当時の私は中学生、書くことといえば読んだ本の記録や宿題、テスト範囲のメモぐらいでした。わたしはこの手帳を活用できていないんじゃないか…という考えはつい最近までつきまとっていたように思います。

続かないほぼ日手帳と廃盤になる手帳

いろんな活用術を見ては書き方を変えたり、手帳を変えた方がいいのかとモレスキンでバレットジャーナルを始めてみたりフランクリン・プランナーのスターターセットを買って毎日ログをつけてみたりしました。

ログをつけ始めて思ったのは書き出すタスクの量が少ないとこんなにも何もしていないのかと思ってテンションが下がること。これは私に合わなかっただけなのだと今は思いますが無意識にやっている家の掃除やストレッチなんかも全て書き出して無理矢理タスクの量があるように見せていた気がします。自分しか見ない手帳なのに誰かに見栄をはっているような状態でした。

こうして色々な手帳を転々としていくと好きなカバーやデザインで選んだ手帳は二年、三年もするとフォーマットが変わってしまったりカバーが好みのものが無くなったりします。同じフォーマットでずっと統一したいのに表紙やカバーのデザインを重視するだけで毎年同じものが使えないのは小さなストレスでした。

記録しても見返せない記録は死んでいた

こうして手帳を転々としつつもほぼ日手帳は何年も書き続けていました。
スケジュール管理はそれこそ、その時々の手帳でしていましたが、いつしかスマホとPCでデジタル管理することに。紙の手帳にはちょっと思い出に残したいことだけをマンスリーに書くくらいです。

そうして毎年、書き続けていたフォーマットの変わらないほぼ日手帳は記録として数年後に見返しても楽しかったことや気になっていたことを思い出せるのに対して、スケジュール管理をしていただけの手帳は見返してもただ予定が並んでいるだけ…しかもフォーマットが毎年変わるから書き方が安定せず見返しづらいことに気づきました。

見返しづらいということはいずれは記録として見返すことが無いということ。これは書き続けていても死んだ情報と同じことだと思います。

ほぼ日手帳へ収束していく私なりの活用術

こうして毎年変わらないメリットに気づいた私はいろんな情報をほぼ日手帳に書き留めていくことにしました。なんとなくの記憶を頼りに年数と季節で振り返ることができる。これからもほぼ日手帳が廃盤になることなく何十年と販売され続けてほしいなと思います。

追記

また別記事で書こうと思いますが、今はMDノートとほぼ日手帳の二冊使いに変わりようやく手帳活用術の旅にひとつ目処が立ちそうです。

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