勉強と、レバーが好きな小学生。
それが私だった。

変だったのはそれだけではない。
育った環境も、
好きなものも、
嫌いなものも、
価値観も
大切な思い出も、
すべてがちょっとだけ人とズレている。

それだけではない。
小説家になりたくて、中学生から人と違った視点をもつ訓練をしていた。

変まっしぐらである。

周囲が好きなものは理解できず、理解しようと挑戦して挫折した。
流行を教えてくれる音楽番組をどう鑑賞したらいいか理解できなかった。
苦痛でしかなかった。

周囲に理解されないし、
周囲を理解できない。

それは私の長年のコンプレックスだった。

社会人となり、指示が「音波」にしか聞こえない上司と出会ったときは絶望した。

人付き合いが狭い私は気づいてなかったが、私は気が合わない相手の言語を理解できなかったのだ。

上司には「馬鹿にしている」と受け取られたかもしれないが、なんせ、相手の言葉を理解できないのでよくわからない。

間に誰か通訳を通さないと理解できなくて、指示の解説を求めて周囲にお願いした日々。

そうやって
「理解されること
理解すること」と闘ってきた。

いろんな喋り方をして、データを取った。

このタイプには、こういう表現が効き目がある。
このタイプにはこういう表現はだめだ。
テレビのバラエティは教科書だった。

闘い方の方向性を間違えて、世間が求めることを飛び越え、
相手の「本当はこれが言いたい」ばかり見えるようになってしまったので、カウンセラーで発揮できたときは嬉しかった。

「理解されること
理解すること」
=普通を幸せだと感じられる感性

だとなんとなく思っていたので、心が健康になれば、「普通のことを普通に幸せと思って生きること」ができるようになると思っていた。

そうして、今、心が整ってきて出てきた自分は、
「人とちょっとズレている一人好きの自分」である。

ずっと集客に取り組むことが辛かった。
営業をかけることが辛かった。
一人にメールを送る度に、急激な眠気に襲われる自分をどうしたらいいか分からなかった。

はるかさんの無意識ワークを受けて、3ヶ月自分と向き合って、はじめて知った。

周囲が理解できないから怖い
ということに。

私にとって、周囲とは
常識も言葉も通じない相手である。
勉強して勉強して、相手を理論として理解できても、根本は理解できない。
根本を共有できない。

だから、怖い。

いつ思ってもみないことを押し付けられるかわからない。
私のことは理解されないから、私が理解しないといけない。

相手を理解して咀嚼して、相手が分かる自分を演出しないと言葉が通じない。

だから、怖い。

そして、何より1番怖かったことは、
心が整った「私」を病人にされることだ。

人が嫌いなんて、心が病んでる証拠。
と言われたくなかったのだ。

恐怖と見栄を受け入れ続けた3ヶ月。

漫画の中のような完全理解の世界なんてなくて、お互いにちょっとずつ勘違いしながら生きているのがこの世の中。

やっと
「周囲に理解されないし、
周囲を理解できない」
を受け入れることができそうだ。

今までは、
「周囲に理解されないし、
周囲を理解できない」
ことを再現する無意識ゲームを繰り広げていた。

これからは、
「周囲に理解されないし、
周囲を理解できない」
ことを前提として生きていく。

受け入れた瞬間から、体が痺れている感覚があるけれど、営業活動をしても急激な眠気に襲われない予感がある。

長かった…
そして、恐怖に気づいてあげられなくてごめんね。私。

★★★
3ヶ月の変化をまとめてみました
この変化を感じたい方は、
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