見出し画像

腐敗でなく

発酵肉という名前で初投稿してみる。


【わしは漫画が好きな女児だった】

ずっと『小学○年生』などの児童雑誌を親に買ってもらっていたが、目につく本は絵や写真の挿入があれば大体目を通していたものだ。

親に連れて行かれたラーメン屋では、『ドラえもん』『サザエさん』の単行本を手に取るのがルーティーン(関係ないけどラーメン屋の漫画って、絶妙な汚れ加減だと思う)。のび太やカツオには、怒りや苛立ちなどを主に刺激された。
近所のスーパーには今で言うフードコートがあり、たまたまそこにあった単行本は『うる星やつら』。気に入って読んではいたものの、内容がハチャメチャ過ぎて当時のわしには難しかった。また、そういうところに、炭酸入りのキャンディ『ドンパッチ』のようなかつてない刺激を感じもした。

世界の七不思議、ミイラやUFOの写真が多く載ったものなどは、便意をこらえながら書店でつい立ち読んでしまったし、同じシリーズで心霊写真を集めたもの、また、なぞなぞだけの本なども大好きだった。
これらのものは大体にして『○○○大百科』と名付けられており、わしの心の中では『大百科シリーズ』と呼んでいた。

小学1年の頃、足が遅くてピアノもバレエも習っていないわしはクラスのカーストでは下の方だったが、知能と顔面偏差値は低くもなかったので、オプションでこの『大百科シリーズ』の知識をひけらかし、“遊びたがられる児童”の座を恣にしていた。


【『なかよし』との出会い】

未就学児の頃少し病弱だったわしは、小学校へ上がってもしょっちゅう隣町の小児科に連れて行かれた。

そこで出会った少女漫画月刊誌『なかよし』。

いがらしゆみこ先生、たかなししずえ先生、原えりこ先生、あさぎり夕先生、さこう栄先生、松本洋子先生らが牛耳っていた頃であった。この出会いのせいもあり、世にいう『りぼん・なかよし戦争』でわしは『なかよし派』を名乗らねばならなくなり、りぼんをたまに読んでも公にはできなくなったがそれはまあいい。

とりわけ、あさぎり夕先生の作品は、わしの中の何かをとても刺激した。

冴えないヒロインの前に荒くれた男子が現れ、なんか知らんパワーワードをいくつも落としていくのだ。これについてはすぐには纏められない上、思い入れなどもあるため別の記事とさせてほしい。

わしは『小学○年生』を買ってもらいながらも『なかよし』をねだり、まんまと買い与えられていたのだった。

更にその傍ら、祖父と父親の買ってくるジャンプやマガジンにも幼少の頃からくまなく目を通していた。 


【月刊誌という罠】

気をつけなければならないのは、それが週刊少年ジャンプ・マガジンなどではなく、『月刊ジャンプ』『月刊マガジン』だったという点。よい子のみんなならお察しだと思うが、週刊よりも月刊の方がターゲットの年齢層は高い。

要するに、週刊よりも月刊の方がエロい。

弓月光先生、みやすのんき先生、中西やすひろ先生、永井豪先生らによる肉林of酒池。文句なしのモンスター揃い踏みである。
わしの下地はこうして、色々な部分をトゥンクと刺激されていい具合に拗れていった。


【AJたちとの出会い】

そんな可愛いわしが発酵しだしたのは小学四年生の頃。

既に姉妹で発酵していた同じクラスのAJ(えーじぇい)が、聞いたことのない単語を口にした。

「『コミケ』行こぉぜ」

(AJの口調から昭和のかほりを感じ取っていただければ幸い)AJの発酵済みの姉が関わっていたと思うが、大昔のこと過ぎてきっかけなどはうろ覚え。
この姉妹は小学生とは思えぬ、もはや”絵師”で、皆様の学校にも一人や二人いたであろう類のギフテッドであった。

とんねるず好き、AMラジオ好きの共通点から仲良くなったわしらだが、AJの絵の上手さに感激し、絵の好きなクラスメイトと集って思い思いのイラストを描いてよく遊んでいたものだ。そんなある日に降って湧いた『コミケ』という言葉から、なんか知らん大人の響きを勝手に汲み取るわし。

結局わしだけがOKしたのか?定かではないが、わしとAJは二人で、地元の1番のハコである市民会館へ赴く。


そこで目にした驚きの光景とは!?

誰も気にならないこの続きは次回へ

いいなと思ったら応援しよう!