感謝の言葉と、抗癌剤。
生か死か、それが問題だ、というのはシェイクスピアのハムレットの一節だけど、仕事をしていたら人の根幹、生死に関わる場面もちょくちょくあるわけで、その度に考えさせられることが多い。
ある女性のお話
今の職場に配属されて担当している人がいる。癌の転移を繰り返している女性。こちらからの電話には一切出ない癖に、手続きのために連絡なしにひょっこり現れて、他愛もない話をする。足取りは重く、体型も痩せこけていて実年齢より老けて見えるが、頭脳は明晰で心に芯のある、弱々しくも強い女性という印象。
仕事に不慣れな頃はよくこちらの不備で迷惑をかけ、叱られたこともある。けれど徐々に仕事にも慣れ、対応を重ねるうちに「ちょっと慣れてきた?心に余裕が出てきたように見える。」「これからも人を支えられるような人でいてね。」と、罵詈雑言を浴びせられることも多いこの職場の中で数少ない、自分を励ましてくれる、そんな人。
病状を語る
そんな彼女が先日、いつものように現れて、手続きを終えたあと自身の病状を語った。
今まで10年以上癌の治療を行なってきたが転移が進み、現在もまだ拡大傾向にあるという。抗癌剤か、緩和ケアか。
全身ぼろぼろなのに、彼女は抗癌剤治療を選んだ。理由を問うと、「初めの頃は命なんてくれてやると思って、いつ死んでもいいと思っていたが、癌サロンで知り合って先に旅立っていった仲間のことを思うと、生きたいと、強く思うようになった。」
皮肉なものだなあ。死に近づくほど生きたいと思うとは。
謝意
伝えられるうちに、感謝の言葉を彼女に伝えた。あなたからは多くのことを学ばせてもらいました。ありがとうございます。
抗癌剤の使用をやめれば、年内まで命が持つかどうか。そんな病状らしい。
身寄りもおらず、独居で、背後のすぐそこまで死が迫りつつある人に、どんな接し方をすればいいのだろう。わからない。多分、考えても、考えても、わからない。
去り際に、「じゃあ、また。」と言って別れた。
また、っていつになるんだろう。考えているうちに、か細くも凛とした後ろ姿は見えなくなっていた。