中国は『一九八四年』の世界か
お久しぶりです。Takakiです。今回は先日読み終えたジョージオーウェル著『一九八四年』の世界と中国について、僕が思っていることをつらつら書いてみたいと思います。※ただ思考過程を吐き出すだけになる可能性が高いです。
『一九八四年』の世界
では、思考の自由が許されていません。国を治める「党」に反する思考を持っただけで、思考警察に捕まり、拷問を受けたり、抹殺されたりします。
この世界では、テレスクリーン(管理されたTVのイメージ)を通じて「党」のメッセージ(プロパガンダ)が送られたり、日々の行動が監視されたりしています。「党」による完璧な監視が成立した社会です。
何が恐ろしいか
この小説の世界において恐ろしいと僕が感じた設定の1つは、言葉・語彙の削減です。もともとの英語「オールドスピーク」を下にして、「ニュースピーク(Newspeak)」作っています。この移行過程では、語彙を削減がされていきます。(例:Bad を削除し、No good にするなど)
人は多様な語彙を持って自分の思考を整理し、他人に伝え豊かな生活を送っています。新たな語彙というオールを獲得することによって新たな方法で物事を認識することができます。物事に意味を与えたり、自分をメタ認知したりすることで人生の荒波をかき分けることができるのです。平たく言うと語彙が増えることによって人間は賢く・強くなると私は考えています。
また、新たな言語(日本語、英語、中国語など)を習得することによって、脳の回路が変化して、認知能力が高まる等の研究結果も出ています。
参考文献『言語の力』
現在の中国では
どうかと聞かれると、似ているところはありつつも、『一九八四年』の世界とは違うと僕は考えています。
まず、監視についてですが、中国政府は事実上監視できるところは、監視する体制ができていると(僕は)想像しています。北京大学のキャンパス内にも監視カメラはたくさんありますし、あらゆるところで、顔認証システムを使ったサービスも提供されています。(AliPayの決済など。これを政府が完全に管理下に置くことも、可能だと想像します。)
しかしこれが民間人を監視するためであるかというとそうは思いません。もちろん、中国共産党が倒れると14億人の国民に悪影響が及ぶので、共産党の統治に反するものは是正の対象となると思います。ただ僕は日本で報道されているほどの監視社会だとは感じていません。
中国の共産党のスローガン・政治思想について
は、日常的に感じられることが多いです。例えば、中国共産党のスローガンを記した看板がそこかしこにあったり、年越しTV番組の司会者も習近平首席をメンションしたり。さすがに中国語の語彙を減らすと言うことをしていないと思いますが、国民あるいは中国に住んでいる人が中国共産党の思想に触れる事は、日常的によくあると言えると思います。
しかし、一方で、『言語の力』(言語習得による脳の回路の増加)の観点から考えると、当然ながら、中国人は外国語を習得することを制限されているわけがありません。むしろ外国語を習得して外国に留学に行き、見聞を広めることをが当たり前の時代となっています。
ジョージオーウェルの『一九八四年』を読みながら、中国と似ているなぁと部分を感じつつ、言葉や言語は大事だなぁと感じつつ、、、
そんなとりとめのないことを考えていた今日この頃でした。
今日の格(好つけた)言(葉)
これは、いつか子どもが(幸運にも)できたら、持ち続けたい考えの1つです。
もし!できたらですが!笑
では、また次回お会いしましょう~