最終回(仮) by カンザスシティバンド 下田卓
何年前のことでしょうか。
当時バンバンバザール主催の『勝手にウッドストック』、バンバンのメンバーがほぼアルバム『4』の顔触れだったと思うので、2000年代の初め頃、つまり20年くらい前、ということは『勝手にWS』が始まった頃でしょうか。
そしてそれはカンザスシティバンドが、たぶん初めてそのイベントに出演したときのことだったと思います。
ステージ前に集まった聴衆の中に、ひときわ盛り上がっている一人の男性。
ああ、彼はたしか以前、やはりバンバンで出演した、横浜だったかな、イベントに一緒に出演していたハッチハッチェルという人だ。
ステージ上から見渡す聴衆の中で、出演者というよりまるで一人の客の如く実に楽しそうだ。ビールを片手に。
僕らが演奏を終えてステージを降り、拍手をして下さるお客さんたちの間を「ありがとうございました」と言いながら歩いて本部棟へ向かう途中、楽しそうなハッチハッチェルさんの脇を通る、僕と目が合ったとき彼はニヤニヤしながら「あ、頭のおかしなおじさんだ」。
そう、思い出しました。そのとき「なんていい話」という、まあ馬鹿馬鹿しい内容のジャンプナンバーを演奏したんです、それにウケてくれたんでしょう。その曲を演ったということは、やはり2003、4年頃だったんでしょう。
それとね、彼も頭のおかしいおじさんだったんだよ。
そのハッチハッチェルとは毎度この相模湖で顔を合わせ、夜中には酒を飲みながらセッションをしたり、馬鹿話をしたりしてたと思います。
ある年の最終日、みの石滝キャンプ場を後にして、ハッチハッチェルバンドとカンザスシティバンドのメンバーで打ち上げようと、相模湖駅前の名店「かどや食堂」へ。
この宴会は僕とハッチの、有る事無い事、出鱈目、出任せの会話の応酬で数時間にわたる盛り上がりをみせ、何と終電で帰宅したのでした。
このときの意気投合が、後に下八という日本有数のやましいことが多すぎるデュオユニットの結成へと繋がってゆくのです。
下八をやるようになってからは、僕とハッチの二人が現場にいるから、というだけで、終演後のメインステージをジャックしては勝手に演奏と雑談をしてました。お前ら何やってんだよ、と。
言うまでもなく、下八は一度として『勝手にWS』のオフィシャル出演者にクレジットされたことはありません。お前らふざけんなよ、と。
楽しかったねぇ。
やがて『勝手にウッドストック』にも最終回が訪れます。
あんなイベントを10年以上続けてこられた方が普通じゃない。バンバンバザールはすごかった。お疲れさまでした。
しかし「あのイベントが無くなるのは実に惜しい、さびしい、残念だ」一人の男が、後先も考えずに「引き継ぐ」と名乗りを上げる、そう、ハッチハッチェルその人であります。
彼同様、あのイベントを愛するスタッフたちとともに『レッツ!ニューイヤーフェスティバル』とタイトルを変えての新たなる開催でした。
ところがその新たなる開催の直後、大雨による鉄砲水で地形が変わるほどの水害に見舞われたみの石滝キャンプ場、さらにはCovid-19の世界規模のパンデミック、昨年の再開は実に4年ぶりでした。そして再開して2回目の今年、『レッツ!ニューイヤーフェスティバル』は最終回を迎えます。
思い返してみると、僕にとってこの相模湖のキャンプ場の音楽イベントはいろんな人たちとの出会いの場でした。特に40歳も過ぎてから、まるで高校大学の頃の友人かのような付き合いができるハッチと出会い、親交を深めていくきっかけになった場でした。
大変なんですね、こういうイベントをやるってのは。
僕なんか呼ばれて行って、演奏して、酒飲んで、笑って過ごしてりゃいいけれど、主催者の大変さはどれほどか。「あのイベントが無くなるのは実に惜しい、さびしい、残念だ」との熱い想いで引き継いだハッチハッチェルとスタッフたちの無念な気持ちはどれほどか。それくらい続けていくのは大変なんですね。
でもね、先日ベテランのあるスタッフが言ってました。
私たちも歳をとった。かつてのようにはできない。だけどもし、やりたいという若い人たちがいるならノウハウを伝えてあげるからやってほしい、と。バンバンバザールが『勝手にウッドストック』を始めたときも彼らは若く、熱だけでなく体力があったんです。お客さんも若かった。『レッツ!ニューイヤーフェスティバル』の主催者も引き継いだ時は今より5歳若かったんです。
「やってみたい」「どうやったらいいのか、教えてほしい」
そんな若者たちが現れたら、このイベントは受け継がれていく可能性が、あるんじゃないでしょうか。
だから今回は「最終回(仮)」かも知れません。
カンザスシティバンド 下田卓