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つらい記憶が子供にかえる

脳卒中で療養中の母についてです。

健忘(物忘れ)は強いのに、時々過去の人の悪口を言うことがあります。
こころのブレーキが外れたように口調は幼い感じになって
「私はそういう人、大っ嫌い!」と言います。

この前は、(姑に媚を売って、周りの人に強く出る人がいた)でした。
姑(私にとってはお祖母ちゃん)はなかなかの権力者でした。田舎からでてきて、医者である夫(お祖父ちゃん)と結婚。
夫が開業すると、次々郷里が、親戚を呼び寄せました。
戦争を挟み、戦争未亡人になった方、その下の世代昭和20年代後半の人たちを呼び寄せて、住まわせて、働いてもらって、所帯を持って。
ここからは私の想像ですけれど、都会で医者の嫁になった○○ちゃんの所に娘を送ればなんとかなると、祖母の郷里の人々が考えたようです。

家の中は東北だった、小さいころ母が言ったことがありました。言葉もお国訛り。祖母にとってホッとする家の中だったんでしょう。
嫁の立場の母は居づらさを感じていたのかも。
90歳になってもその時のつらい思い出は残っているんですね。

何回も嫌いな人の話をするので、「もうその人は亡くなったのよ、そんなこと言わなくてもいいの」答えた私に不満そうな表情の母でした。
普段、ヘルパーさんには威勢のいい話ばかりしています。「お姑さんは尊敬できる人だった、向上心があった」
元気なころは仲良い感じではなかったのに。
早くに両親を亡くした母は姑(祖母)と仲良くしたかったのかもしれません、祖母の周りにいる同じお国訛りの親戚たちが二人の仲を遠ざけるように感じていたのか。

私が帰るというと「また来てね、いないと寂しいから」とこれも子供っぽい口調で話した母。
来週も遊びに行くからね。

西條奈加さんの隠居すごろく
上州からでてきた女中が、帯締めをつくるために年若い従姉妹たちを呼び寄せるシーンがあります。でてきた従妹たちとはしゃいでお国言葉がでてきます。楽しそうです。
ストーリーは商売だけを考えてきた隠居が孫のために右往左往、最終的には地域への貢献を考えていくものです。


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