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私と発達障害

 これは「自分は発達障害なんじゃないか」と気づいた私が、どういう心持ちで生きているのか書いたもので、そういう人もいるんだなという一例として読んで貰えればと思います。 

 自分が発達障害なんじゃないかと思い始めたのは、25歳のときです。
 
 仕事から疲れて帰ってきた私は、いつも通りの汚部屋で、いつも通りのローソンのカルボナーラを食べながら、ぼんやりテレビを見ていました。放送されていたのは、ASD(アスペルガースペクトラム症候群)の特集。
 最初は「ふーん」くらいだったのですが、番組が進むにつれ、どんどん目が離せなくなりました。私の過去の記憶の点と点は、線で繋がるにとどまらず、線と線が平面を形成し、平面が重なって立体となって動き出し、ピッカピッカピッカリーン☆

「これ、私じゃん!!!」

 番組内で放送されたASDの特徴が、ほぼほぼ自分に当てはまっていて、「私、ASDだったのか…」と気づいたわけです。
 
 この特集に出会うまで、自分は出来損ないで、性格が悪くて、努力が足りない最低の人間だと思っていました。でも、どうやら自分が悪かったのではなく、単純にそういう特性のある脳だっただけ。むしろこんなハンデをと抱えてよくここまで成長したわ!と、気持ちが救われました。霧が晴れるとはあのことでした。

 当時の私は世間の発達障害のイメージを知らなかったので、嬉々として「私なんか頭おかしいと思ってたら、アスペルガーだったんだわ〜☆」と周囲に言いまくっていました。
 まあ当然、言われた方は困惑してました。多くの人は私に何の興味もないだろうし、障害がありますって言われてもね。今ならわかりますが、当時はわかりませんでした。

 遡って、中学3年生。勉強はできる方でしたが、度重なるトラブルから、どうやら自分は人の気持がわからないらしいと気づいたのはこの頃です。
 人の気持がわからないってことがわかったので「こういうパターンのとき人はこう思っている」みたいなやつを、当時の彼氏に聞きまくって一つ一つ暗記して徹底的に積み上げていきました。当時の彼は賢くてまともな人間だったので、頭のおかしな私は最終的に振られてしまうのですが、彼のおかげで人の気持ちが少しわかったし、本当に感謝しています。

 そうして時代は進みSNSが出来て、人が本当は何を考えてるのか、よりわかるようになってきました。それと同時に、自分がどの程度マイノリティであるかということも自分の中で明確になってきました。そして、多くの人と好みが異なるし意見も違うのに、思ったことは相手が誰であろうと話してしまうからダメだったんだと気づきました。
 これはASDだけではなく、普通に人格障害とか認知の歪み的なアレかもしれないなと思って少し悩みましたが、少し悩んだ結果、「結局は犯罪を犯さなければ良いだけ」という結論に至りました。
 
 そんな感じで周囲の人々に散々迷惑をかけて生きてきたので、周囲の人類の約8割に嫌われていたように思います。でもそういう脳の特性をもっているというだけで基本的には善人なので、彼氏も友達もいました。そして、ミスが多かったり空気が読めなかったりで仕事で怒られても「こんな私でもいないよりマシでしょ」という謎の開き直りをしていたので、困っていませんでした。現在は人の気持ちが予測できるようになり人間関係にトラブルもなくなって、さらに何も困ってないので受診していません。

 まあだから、ASDなのか、超軽度なのか、ただのおかしな人間なのか、本当の所はわかりませんが、簡易テストは毎回クロではあります。
 
 私も、賢く、美しく、優しく、強く、他者からより良い評価を受けられる人間に生まれたかったです。社会的な動物ですから。
 でも私は他者から良く評価されるために自ら望んで生まれたのではなく、なんか知らんけど気づいたらこの世に存在していたから生きているだけです。良いとか悪いじゃなくて、少なくとも、この地球のシステムの中で生物として存在できる状態だから存在しているだけ。
 人間社会の物差しで、良かったら、まあそっちのほうが良いけど、悪いからといってどうということはないと思って、今は楽しく生きています。

おわり。

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