愚痴らないこと。
愚痴らないこと。というタイトルで書きます。今も昔も、私は他人の愚痴を聞いてもなんとも思いません。基本的には、パッと愚痴って、また頑張ればいいじゃんと思います。
ただ私は、愚痴らない人に憧れを持っていました。もし自然体で愚痴らずにいられるとしたら、すごい生きやすいと思いませんか?
愚痴るとスッキリしたような気もしますが、愚痴≒何かや誰かを悪く言ことなので多かれ少なかれ自分も嫌な気分になります。
私は「なるべく自分が不快にならないため」に、愚痴りたくなるような嫌な出来事も無理なく受け流せるようになりたかったのです。
私は2023年のGWから、こんまりメソッドの片づけ祭りを行い、モチベーション維持のためにその様子をX(旧Twitter)にポストしていました。その際、「ここでは絶対に愚痴は言わんどこ!」と決めました。
最初はちょっと嫌なことがあったら、すぐポストしたくなりました。子供がああでめんどくさい、夫がこうでムカついた、職場のスタッフがどうだった、などと書いてポスト…したくなりましたが、手を止めて、削除。
「ここでは絶対に愚痴らないって決めたじゃん。そういう自分になりたいんだろ。そのくらい頑張れこの〇〇がよォーーー!!」みたいな感じで、最初のうちは脳内のお言葉も少々荒れ気味でしたが、続けていくうちに段々と脳内まで穏やかになっていきました。部屋が片づいていくと、そもそも愚痴るような出来事が少なくなっていきますしね。
結果、愚痴らなくても全然問題なかったです。世界は自分が脳内で形成しているものなので、愚痴らないように意識を変えると、愚痴らないでもやっていける世界に変化するのです。言うても聖人君子ではない…というかクズ寄りの人間なので、日常生活で愚痴ることはあります。でも以前と比べれば悪質性はかなり低下しました。
人生は有限であり、同じ時間考えるなら楽しいことの方が良いし、誰かに伝えるなら相手が笑顔になることの方が良い。その理論については若い頃から知っていましたが、最近やっと精神年齢が追いついて実践できるようになってきたところです。おっそ!
※トップの写真は以前撮影したウトナイ湖です。凪いだ水面なので採用しました。
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